一 – 5
病院の庭は、芝生の青と花壇のパンジーのコントラストが美しかった。
柔らかく吹く風は花の匂いがして、早咲き桜の花びらが海と和那の周りを舞った。
和那は一番見晴らしのよい場所を選んで、車椅子を停めた。
二人はしばらく景色を眺めていたが、海は思い詰めたように和那に言った。
「ごめんなさい。兄の前で、和那ちゃんに意地悪なことを言って」
海は病室で兄との話をしたのは、和那を怒らせて帰らせるつもりだったのだ。
しかし和那は海の言葉に動じなかった。
外に出て落ち着いた海は、自分のしたことを後悔していた。
和那は海の言葉には反応せず、車椅子の持ち手に手を置いたまま聞いた。
「海ちゃん・・・・何があったの?」
和那は言ってからしまった、と思った。
流産しかけた海に言う台詞ではないと思ったのだ。
しかし、海の言動はお腹の子供の心配だけではない気もしていた。
海はしばらく黙っていたがゆっくりと口を開いた。
「私、たくさん子供を産まないといけないの」
海は桜の木を眺めながら続けた。
「なのに流産しそうになって。そしたら間宮の人に言われたの。無理をしなくても聖義に妾をもらえばいい、って。このご時世に妾だって、笑っちゃう」
海の言葉に、和那は返答できなかった。
海の嫁ぎ先は血縁の跡継ぎを必要とする家柄だから、重圧もかなりの負担なのだろうと和那は理解した。
海は続けて言った。
「聖義も・・・聖義ですら無理するなって。それなら私と結婚するって言わなければいいのに」
和那が海を見ると、海の頬に涙が伝わっていた。
和那は黙って海にハンカチを渡すと、海は『ありがと』と言ってハンカチを受け取り、涙をぬぐった。
和那は唐突に言った。
「海ちゃんは赤ちゃんを精一杯大事にしている」
和那の言葉を海は黙って聞いていた。
「だけど、一生懸命やってもうまくいかないときはあるよ。
がんばってもだめなときは、そういうものだって思わないと、自分が壊れちゃう。
でもそれは諦めるのとはちがう。自分ができることをすればいいんだよ」
海は和那の声を聞きながら、ぼんやりと芝生を眺めていた。
海は和那に何もかも話をしてしまいたかった。
自分には特別なチカラがあること。
そしてそれを後世に伝えるために、子供を産まなければいけないこと。
しかしその子供の命が危ないこと。
胎児の成長が平均よりも遅く、心配していた矢先の入院だった。
自分に何もできないことが、海には怖かった。
そんな海にとって、今の和那は太陽のような存在に感じた。
わざと不快なことを言った海に怒ることもなく、和那は側にいてくれた。
泣いている自分をそのまま受け入れてくれた。
今の自分でいいと言ってくれた。
海は和那がいるだけで、不思議と嫌な気持ちが薄れていくような気がした。
しばらく二人は黙っていたが、ふいに海が呟いた。
「和那ちゃんの声は、良い声だね」
「ええっ、誉めるのはそこなの?」
和那が言うと、海は和那を振り向いて微笑んだ。
「来てくれて、ありがとう。嬉しかった」
そう言う海は、いつもの穏やかな従姉だった。
和那は、自分をまっすぐ見つめる海を見て、ようやく安堵した。
その数日後、和那は海が退院したことを母から聞いた。
ここまでが前章のつもりでしたが、長いですね。
どうぞおつきあいください。




