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五 – 7

聖義が義彦の病室に現れた時には夜の十時を過ぎていた。


「義彦さん、具合はどう?」


聖義はこともなげに言うと、ベッドの脇の椅子に座った。

義彦も普段と変わらない口調で返した。


「大丈夫だ。色々とすまなかった」


義彦はおぼろげながら聖義が現場にいたことを覚えていた。

聖義は淡々と言った。


「橋本さん親子は、間宮から車を出して家に送らせた」


聖義の機転に義彦は感謝した。


「助かるよ。陽菜さんは車の運転ができないから。で、海はどうしている?」


聖義は真顔で応えた。


「今は落ち着いて眠っている。・・・こんな状況で、よく海の心配ができるな」


聖義の口調は軽やかだったが、目は真剣だった。

義彦は不思議と落ち着いていた。


「妹だからだ」


聖義は義彦に意外そうに尋ねていたが、義彦の気持ちは聖義にも分かった。

実際、聖義は香が海を階段から突き飛ばして怪我をさせても、香を責めることができなかった。

聖義が黙っていると、義彦が尋ねた。


「それで、海に何があった?」


義彦の問いかけに、聖義は事件までの経緯を思いだしていた。



今日は海と聖義の誕生日でもあった。

朝食の席で、聖義は海に言った。


「今日、俺は午前中に会議があるけど、午後から空くから。

ひーこさんと義貴さんの墓参りをしてからどこかに行こう」

「うん」


海はリンゴを剥きながら穏やかに応えた。

聖義は海の様子を見ながら、話を切り出した。


「本音を言えば、俺は入籍したいと思っている。今日で二十歳になるし」


聖義の言葉は嬉しかったが、海は躊躇っていた。

香が海を階段に突き飛ばす事件があって以来、海は結婚に乗る気ではなかった。香が海を突き飛ばした理由こそ訊かなかったが、香が二人の結婚に反対していることは理解していたからだ。

海はしばらく沈黙した後で、ゆっくりと言った。


「入籍は急がなくてもいいじゃない?今日は誕生日会をしましょう。

私は会議が終わるのを待っているから」


海のぎこちない笑顔を見て、聖義はため息をついた。

聖義が会社に出かけた後、海は香の病室に向かった。

事件の直後、海は香に対して怒りを感じていた。

それは、香が海を突き飛ばしたことで和那が重傷を負ったからだった。

しかし和那の怪我も治り、時間を経た今になって、香と冷静に向き合える気がしたのだ。

病室は面会謝絶だったが、人を操るチカラを持つ海が看護師の目をすり抜けて病室に入るのはたやすかった。

海が病室に行くと、香が個室のベッドの上に横たわっていた。


「香ちゃん、話があって来たの」


海の声を聞いた香は目を開いた。

香は自分で言葉を発することができなかったが、チカラを持つ海とは、チカラで意志を疎通することができた。

海は自分の正直な気持ちを口にした。


「香ちゃんが私を嫌っているのは判っている。でも私は聖義と結婚する」


香は海の弱点を正確に突いてきた。


「お兄ちゃんにふさわしいのは、子供が産めないあんたじゃない。橋本和那よ」


香の言葉の前半は海も予想していたが、後半は理解できなかった。


「和那ちゃんが?どういうこと?」


香は無表情のままチカラで告げた。


「橋本和那は能力者のチカラを高める能力を持っている。

あんたも感じているでしょう?

彼女といて心地良いのは、あんたが彼女のチカラを感じているから。

そして義彦さんは、チカラを持つ彼女を選んだ。

義彦さんと彼女が結婚して子供を産んだら、間宮を継ぐお兄ちゃんにとって脅威の存在になる。

あんたがお兄ちゃんにできることは、あの二人を別れさせる事」


海は表向き穏やかだったが、内心は動揺していた。

それでも海は呟くように返した。


「そんなことは、できない」

「なら、お兄ちゃんの前からいなくなってよ。

あんたはお兄ちゃんにも、間宮にとっても何の役にもたたない。

あんたがお兄ちゃんと結婚しても、跡継ぎ問題でお兄ちゃんが苦しむだけ。

自分のエゴでお兄ちゃんを苦しめるつもり?」


海は香の言葉を感じて、部屋に差し込む陽射しが、急に陰になったような気がした。

海はようやく和那の記憶喪失の理由を悟った。


「だから・・香ちゃんが和那ちゃんから私やお兄ちゃんの記憶を消したの?」

「そう」


海は香のした事の大きさと、香の罪の意識の低さに驚いた。

次に口を開いた海は、自分の声が震えているのを感じた。


「記憶を消したって、和那ちゃんの気持ちは変わらない。私にはわかる」

「そうね。それに義彦さんは彼女を離さない。彼女のチカラが必要だから。

だから」


香は目を見開くと、海を見て告げた。


「お兄ちゃんが好きならば、あんたが何とかしなさい」


とどめを刺すような香の言葉に、海は体を強ばらせた。

その瞬間、病室に舞が入ってきた。

舞は海の存在に驚きながらも、穏やかに声をかけた。


「海ちゃん・・・どうしたの?」


すると香が二人に告げた。


「母さんが一番判っているでしょう?

義彦さんと橋本和那に子供ができたらどうなるか?

母さんだって怖かったでしょう?

かつて、ひーこさんと義貴叔父さんに子供ができたって聞いて。だから」


--お兄ちゃんと海を交換したのでしょう?

という香の最後の言葉を舞は遮った。


「香!やめなさい」


舞は海から視線を逸らした。

跡継ぎになる男子を産めなかった惨めさを、舞は身をもって知っていた。

しかし海にそれを告げることはできなかった。

舞は息子には香と同じ事を言った。

むしろ香は自分の言葉をまねているに過ぎなかった。

しかし海を目の前にした舞は、改めて認識した。


--私は海を愛している。誰よりも幸せになって欲しい。

娘が好きな人と一緒になりたいと思っているのに、そんなことは言えない。


舞は間宮家の意向で樹と結婚した。

樹と結婚したことを後悔はしていなかったが、それでも舞は自分の娘には好きな人と結婚して欲しいと思った。

舞は自分でも意識をしないまま、目に涙を浮かべた。

海は、自分が本当は誰の子供なのかを知っていた。

生まれたばかりの聖義と自分を交換できたのは、舞のチカラがあったからだということも。

そして今、実親である舞が涙を浮かべているのを見て尋ねた。


「舞さんは・・・舞さんも、私と聖義が結婚しないほうがいいって思っているのですか?」


舞は怯えたような表情を浮かべた。


「海ちゃん、私はね・・・」


そう言いかけた舞を、海は遮った。

舞の姿は海に対する拒絶のように映った。

海が間宮家に入ることを、そして自分の娘であることを、舞が認めたくないために言葉を選んでいるように海には思えた。

この時点で、海の思考から理性が消え始めていた。


「あなたたちが私と聖義を婚約させたのに、私に子供ができないかもってなったらやめさせるなんてひどい」


海は舞に叫ぶと、病室を飛び出した。

海の言葉は舞の心をえぐった。

あまりの痛さに舞はその場に踞った。

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