四 – 7
話は香が病院に運ばれた時に遡る。
香の病室には舞と聖義、そして義彦がいた。
けいれんが治まった香はしばらく放心状態だったが、精神安定剤を投与されて眠っていた。
舞は香の頭を撫でながら、唐突に言った。
「大和くんは生まれてすぐに『みらい』という能力者の子供と取り替えられたの」
聖義と義彦は舞の言葉の意味を理解できず、黙っていた。
舞は続けて言った。
「義貴くんの母親にあたる美子さんと、彼女の姉である麻子さんは、どちらも医師だった。彼女たちが、能力者の精子と卵を体外受精させて子供を第三者に生ませたの」
舞の口調は、まるで娘の香に物語を聞かせているようだった。
「大和くんは千紗都さんの実子だと思っているわ。もちろん千紗都さんも」
聖義と義彦は舞の言葉を黙って聞いていた。
「大和くん自身には、間宮のも上宮のチカラもなかった。だけど、私たちのチカラを増幅させる能力がある」
舞の突然の告白に、義彦は躊躇いながら言った。
「そんなこと、どうして分かる?」
舞は愁いを含んだ表情で義彦を見返した。
「教えてくれたのは義彦くん、あなたよ。
あなたが幼い頃、大和くんのチカラに触発されて発作を起こしたの。
麻子さんと美子さんが作った子供の中で行方が分からないのは『みらい』という男児だけだった。
大和くんが特別な能力を持っているのは偶然とは思えないでしょ」
義彦は言葉を失った。
「当時、美子さんは『みらい』を探していた。
近くにいるだけで自分のチカラを増幅できる存在は貴重だった。
特に私たち下宮は、上宮や間宮のチカラを増幅させることはできても逆はできないから」
「どうして大和さんなんだ?」
そう尋ねたのは聖義だった。しかし舞は首を横に振った。
「詳しい経緯は分からない。
でも私の母が千紗都さんの親友で、姉と面識があったこと、その千紗都さんが同じ時期に坂倉病院で子供を産んでいたからだと思う。
この事に気がついたのは私と義貴くんだけ。樹も知らない」
聖義が淡々と母に尋ねた。
「大和さんの能力が双子に遺伝したというのか?」
「おそらくは」
「だから香を双子の通う高校に入れたのか?」
聖義の声は怒りを抑えなかった。舞は聖義を見返して言った。
「そうよ。でも雄大くんと香をどうかしようと思ったわけじゃないの。
チカラが子供にどれだけ遺伝しているか、分からなかったし」
聖義は母親の言葉を嘘だと思った。
単純にチカラを視るだけなら、同性である和那を香と同じクラスにするはずだった。
人を操るチカラを持つ舞が、香のクラスをどちらにするか、考えてないはずがなかった。
聖義は母親に尋ねた。
「双子にそういう能力があるとして、だから何だってわけ?香の暴走と関係あるの?」
舞が聖義の言葉に即座には答えず、黙って香の顔を見ていた。
舞はしばらくそうしていたが、ふいに顔を上げると言った。
「香は・・・和那ちゃんを操っていた。暗示をかけることや、操るだけなら誰に対してもできる。でもあの子は和那ちゃんの中に入り込んでいた。
しかも離れた距離で。
普通、操るためには相手の視界に入る程度の距離にいないと難しいのに」
舞の言葉に聖義はかっとなった。
「香のしていたことを、知っていてどうして止めなかった?!」
舞に詰め寄る聖義を、義彦はとっさに抑えた。
聖義の剣幕は舞を殴りかねなかった。
しかし舞は淡々と言った。
「双子の能力がどういうものなのか知りたかったの。
大和くんのチカラは私が抑えてしまったから。
香は和那ちゃんに弾かれたショックで、チカラと精神のバランスがとれなくなってけいれんを起こした。
おそらく和那ちゃんは、私たちのチカラを増幅させることも、破壊することもできる」
義彦は無意識に呟いた。
「彼女のせいじゃない」
「そう、和那ちゃんのせいではない。
でも彼女にそういう能力があることは事実」
舞は一旦言葉を切り、そして義彦に告げた。
「間宮の家督を継いでいる人間として言うわ。
和那ちゃんに聖義の子供を産んでもらいたい。
和那ちゃんが聖義の子供を産めば、恐らく義貴くん以上の能力者が生まれる」
義彦は舞の話を無表情で聞いていた。
しかし隣で聞いていた聖義は、軽いめまいを覚えた。
海の実の母親で、海ことを心配していた舞が、海を傷つけることを平然と言うことが聖義には信じられなかった。
聖義は反射的に母に言った。
「俺には母さんの言っていることが分からない。
和那ちゃんは義彦さんとつきあっているんだ」
「義彦くんと和那ちゃんの子供は、聖義と海ちゃんの子供よりチカラが強いかもしれない」
「それでも構わない。親父の後は俺が継ぐ。
でも俺の後を継ぐのは、俺の子供じゃなくてもいい」
「良くないわ。義彦くんの子供が次に後を継ぐことになったら、聖義の器が不足していたと言われかねない」
舞は樹が間宮の跡継ぎに決まったとき、一族から同じようなことを言われていた。
樹と舞の子供は、おそらく義貴とひーこよりもチカラが劣るだろうと。
実際はチカラの問題以前に、舞が間宮の跡継ぎになる男児を産めなかった。
だから舞は義貴に、聖義と海の交換を提案したのだ。
聖義は母親の気持ちが分からなくもなかった。
しかし、和那の恋人である義彦の前で、和那に息子の跡継ぎを産んで欲しいという母の配慮のなさに、聖義は腹を立てた。
「いい加減にしろよ!跡継ぎの事なんて、俺と海を交換しただけで十分だろう?」
聖義は母親に怒鳴った。
ただでさえ、海は流産して精神的に参っていた。
聖義は海を失うことが怖かった。
自ら身を投げた海を抱きしめた時の重みは、今でも聖義の記憶にあった。
そして、その重みが消えてしまうと考えるだけで聖義は恐ろしかった。
--母さんが海にそんな事を言ったら、海は今度こそ俺の前から消えてしまう。
舞は聖義を睨んで言った。
「香の前で、やめてちょうだい」
聖義はその場にいるのが辛くなり、病室を出て行った。
舞も義彦も、言葉を見つけられなかった。
そして舞は病室の外に、和那の気配を感じた。
和那の隣に聖義がいる。
聖義が和那の気配に惹かれているのを、舞は感じた。
聖義が和那に好意を持てば、舞の思うとおりになる。
しかしその一方で、実子である海が不憫になった。
舞は自分でも混乱したまま、病室を出ていった。
義彦は顔にこそ出さなかったが、舞の変貌ぶりに少なからずショックを受けていた。
以前の叔母は、自分や海を大事に考えてくれる人だった。
義彦がかつて自傷しようとした時に、舞が身体を張って止めてくれたのだ。
しかし今の舞は、間宮家の事だけ考えているように義彦には映った。
間宮家での過酷な環境が叔母を変えたのだと思うと、義彦は切なくなった。
ほどなく病室に戻ってきた舞に、義彦は静かに言った。
「どうして跡継ぎにこだわるのですか。
仮に、和那ちゃんと俺が結婚して子供ができたとしても、間宮の後継者を聖義と海の子供にすればいい。
俺のチカラが増幅されても、それは上宮のチカラです。
聖義の間宮のチカラには及ばない」
舞の表情は愁いを帯びていた。そして何故か寂しそうに呟いた。
「義彦くんは相対的に上宮のチカラが大きいだけで、間宮のチカラがないわけじゃない」
義彦は冷静に返した。
「俺と聖義の後継者問題が出たとき、舞さんは俺に言いましたよね?
『どちらが跡継ぎになってもいい』と。
なのに、今のあなたは次世代の跡継ぎまで聖義の子供にしたいという。あの時の言葉は嘘ですか?」
義彦の言葉に舞は身体を震わせた。義彦はさらに言った。
「俺は美子さんの記憶はほとんどないが、今の舞さんは美子さんのイメージそのものだ」
舞は愕然とした。
--私が、美子さんと同じ・・・?
舞は叔母の美子に憎しみを持っていた。
しかし義彦は自分と美子が同じだという。
舞は自分の思考が歪んでいることに気がついた。
その時、香が突然目を見開いた。
そして香は、天井を見ながらはっきりと言った。
「母さんは悪くない」
それはまるで人形が話をしているようで、舞と義彦は怯えた。
香は淡々と言った。
「私とお兄ちゃんは、本当の兄妹じゃないの?」
聖義が言った言葉を香は聞いていたのだ。
舞は何も返せなかった。
香は混乱していた。
香は聖義が大好きだった。
兄のためなら何でもするつもりだった。
香は何度も、兄が実兄でなければいいのにと心から思った。
しかし、兄が好きなのは海であることは分かっていた。
そして大好きな兄が家を出て海と暮らすようになり、何もかもを諦めていた。
兄に愛されていた海を、恨むのは筋違いだと分かっていた。
それでも、香は海が嫌いだった。
香は心から思った。
--お兄ちゃんと兄妹でないのなら、あたしがお兄ちゃんの側にいたい。
しかし戸籍上は間違いなく兄妹だった。
そして兄は、何があっても間宮家の子供だと言うことを香は知っていた。
--私がお兄ちゃんといられないなら、海の側にもいさせない。
香がそう思った直後、香は海の気配を感じた。
海は聖義から連絡を受けて病院に来ていた。
今まさに階段を昇ってこちらに向かってくる。
香は兄が決して海を離さないことを知っていた。
だから、海がいなくなれば、聖義は諦めるだろうと香は思った。
--海がいなければ、いい。
香は呟いた。
「間宮のためなら、お兄ちゃんと和那が結婚したほうがいいわよ」
香の冷淡な言葉は、舞と義彦の心を凍らせた。
香はベッドから飛び降りると、ドアに向かって走り出した。
香の突然の行動に、舞も義彦もとっさに動けなかった。
その直後、廊下に続く階段から何かが落ちる音が聞こえた。
義彦は反射的に病室を飛び出した。




