四 – 3
義彦と和那が病院に着いた時は、夕方の六時を過ぎていた。
病室の並ぶ廊下を二人が歩いていると、義彦は長椅子の前で立ち止まり、和那に言った。
「ここで待っていてくれるかい?」
「はい」
和那は義彦の言葉に素直に従った。
和那は香と仲が良いわけではなかったので、義彦の言葉に少し安堵してもいた。義彦は和那に笑顔で頷くと、奥にある病室のドアをノックして入っていった。病院の中は静かで、廊下には和那以外は誰もいなかった。
和那は廊下の長椅子に座り、義彦を待った。
しばらくすると病室の中から人の気配がした。
和那が顔をあげると、病室から聖義が出て来るのを見て、思わず息を飲んだ。聖義は少し意外そうな表情で和那を見た。
「こんにちは」
和那は平然と挨拶をしたが、本心では聖義が怖かった。
聖義は和那の近くに来ると、呟くように言った。
「香と同じ高校だったっけ」
「はい。クラスは違いますが。間宮・・香さんが病院に運ばれたって聞いて」
「そうか・・」
聖義はしばらく和那を見ていたが、ふいに隣に座った。
和那は沈黙が怖くて話しかけた。
「香さん、大丈夫ですか?」
しかし聖義は応えなかった。
和那は黙ったまま香の病室のドアを見ていた。
聖義は和那を見なかったが、和那の隣にいるだけで不思議な気持ちになった。
--何だ、この気配。
和那はただ座っているだけだった。
しかし聖義は、自分のチカラがざわめく感じがして、必死に気持ちを抑えていた。
聖義が和那の問いに応えなかったのは、自分の感情を抑えるのに精一杯だったからだ。
舞が香の病室で話した内容を思い出した。
--母さんの言っていたのは、この事か。
自分のチカラを増幅させるチカラ、それが実際にどのような能力なのか、聖義には分からなかった。
しかし聖義は、自分でも意識をしないうちに和那に手を伸ばしていた。
--和那に触れたい。欲しい。
聖義の指が和那に触れる直前、香の病室のドアが唐突に開いた。
聖義はとっさに自分の両手を自分の膝に乗せた。
病室から出てきたのは舞だった。
舞は聖義と和那を見てとると、二人に近づき和那に話しかけた。
「香のお見舞いに来てくれたの?」
和那は少し緊張しながら応えた。
「はい」
和那は舞の表情が、以前に街で香と会った時と似ているような気がしていた。舞は威圧感を漂わせながら言った。
「ありがとう。でも今日は会えないと思うわ」
聖義は母親の様子に、違和感を覚えて言った。
「香を心配して来てくれたんだ。そんな言い方ないだろう?」
舞は聖義を睨んだが、すぐに和那に向き直った。
「せっかく来て下さったのに、ごめんなさいね。
遅くなるし、もう帰ってちょうだい」
舞の言葉は丁寧だったが、明らかに和那に帰るように促していた。
聖義は母親の言い方に驚いて口を挟んだ。
「待てよ、彼女は義彦さんと来ている。義彦さんが戻ってからでもいいだろう?」
「義彦くんには伝えておきます」
舞は淡々と、しかしきっぱりと言うと病室に戻っていった。
和那は舞の態度にいたたまれなくなった。
和那はふいに立ち上がると、聖義に向かって言った。
「私、帰ります」
和那は聖義の顔を見ないまま、階段の方向へ歩き出した。
すると階段を上がってくる人物が見えた。
和那はその人物を見て安堵しながら声をかけた。
「海ちゃん」
無言で微笑む海の表情が、和那の涙を誘った。
和那には、なぜ舞が自分に敵意を向けるのか分からなかった。
海が階段を上り終えたところで、和那は海の腕に掴まり俯いた。
和那はかろうじて涙はこらえたが、顔を上げられなかった。
海はまるで母親のように優しく和那に尋ねた。
「どうしたの?和那ちゃん」
和那は海にどう応えていいか分からずに黙っていた。
すると突然、和那の背後から軽い足音が聞こえた。
和那が振り向いたとき、その人物は二人の目の前にいた。
何かを察した海は、とっさに和那から離れた。
するとその人物は、全く躊躇せずに海を階段へ突き飛ばした。
海は自分を突き飛ばした相手を見た。
そして海を突き飛ばした本人は、倒れていく海を見ながら呟いた。
「あんたなんか、死ねばいい」
海を突き飛ばしたのは香だった。
和那には何が起こったのか判らなかった。
しかし、和那はとっさに海の頭にめがけて身体を投げ出すと、海を抱いたまま階段を落ちていった。




