三 – 8
その週末の昼、和那は義彦とカフェで食事をしていた。
食事を終えてコーヒーが出てきたところで、義彦は和那を見ながら言った。
「元気がない気がするけど、どうかした?」
和那が慌てて笑顔をつくると義彦に応えた。
「そんなことないです」
本当は香の事を切り出したかったが、言葉が出てこなかった。
和那はその代わり、まずは自分の気持ちをはっきりさせようと思い、義彦に言った。
「試験も終わったし、今度、義彦さんの家に遊びに行っていいですか?」
和那の言葉に、義彦は少し困った表情で黙った。
和那がコーヒーカップを持つ手を止めて義彦を見ていると、義彦は作り笑いの表情を浮かべながら言った。
「少し待ってくれるかな」
義彦のやんわりと拒絶され、和那の表情は強ばった。
一度は自分を抱いたのに、自分に女性としての魅力がないのかと心配になった。和那はとっさに口を開いた。
「私と・・・二人きりになるのが・・・いやですか?」
和那の言葉を聞いて義彦は再び黙った。
義彦は、和那をチカラで監視している人間がいることを気にしていた。
和那を監視している人間の意図が分からない間は、和那に触れるのを止めるつもりでいたが、それを和那に話すわけにもいかなかった。
義彦には暗い表情をしている和那を、明るくさせる言葉が見つけられなかった。
二人はそのまま黙ってコーヒーを飲んだ。
しばらくして、
「そろそろ出ようか」
という義彦の言葉に、和那は黙ったまま頷いた。
レストランを出ると、和那は義彦の車に乗り込んだ。
義彦が車のエンジンをかけた直後、和那は唐突に右手で義彦の左手を取ると、無言のまま自分の膝に乗せた。
和那の突然の行動に、義彦は驚いて和那を見た。
「和那?」
「どうして、しないの?」
和那はうつむいたまま呟くと、義彦の左手を自分のスカートの中に導いた。
義彦はしばらく和那を見ていたが、右手で和那の右手を優しく掴むと、自分の左手を和那の腿からゆっくりと離した。
義彦は和那の意志でしているとは思っていなかった。
義彦は和那を残したまま車を降りると、自動販売機で飲み物を買って戻ってきた。
「もう暑いから、ホットはないね。はい」
和那に渡したのは紅茶の缶だった。
それは以前、義彦が香とドライブに行ったとき、カイロがわりにホットの紅茶を渡した時と同じ状況だった。
和那は生気のない表情で紅茶を見ていた。
義彦はある確信を持って言った。
「今の君は和那じゃない。香ちゃんだろう?」
義彦の声を聞いた和那は、ゆっくりと義彦の顔を見た。
「どうして?」
義彦は和那を見返して言った。
「和那は人の気持ちが読める子だよ。チカラがなくてもね、相手の事を考えて行動する。
今の君は和那のふりをして俺をコントロールしようとしているだろう。それができる人間は、俺の周りに香ちゃんしかいない」
和那は無表情のまま言った。
「どうして橋本さんなの?いくら海の従妹だと言っても、チカラのことを知ったら、恐がって離れていくかもしれないわよ」
目の前で話をしているのは和那だったが、口調は明らかに香だった。
義彦には彼女が香の姿に見えた。
それがかえって義彦を冷静にさせた。
「彼女は一度、俺のチカラを見ている。でもその後の態度は変わらない。
彼女がそれを気にしていないのか、気にしない振りをしているのかは解らない。
ただ、俺を受け入れてくれている。そういう存在が俺には必要だから」
和那は驚いた表情で義彦を見ていたが、突然意識を失って前屈みになった。
義彦は和那の身体を抱きとめると、助手席のシートにゆっくりともたれかけ、和那の手から落ちた紅茶の缶を拾った。
香が義彦の言葉を理解したかは解らなかった。
あどけない表情で眠る和那を、義彦は不安そうに見つめてから、静かに車を発進させた。




