一 – 2
「失礼します・・・海ちゃん」
海からの返答はなかった。
和那は無言のまま、ベッドの横にある椅子に腰をかけた。
そして眠っている従姉の顔を見た。
ベッドの上にいたのは間違いなく海だったが、頬がこけて蒼い顔をした女性は別人のようだった。
室内の冷たい雰囲気といい、普段の彼女の印象にそぐわなかった。
和那が所在なく部屋の様子を見ていると、海がゆっくりと目を開けた。
海は和那を見て軽く微笑んだ。
「和那ちゃん、来てくれたの。ありがとう」
和那は海の笑顔を見て少し安堵したが、海の声には生気が感じられなかった。
「海ちゃん、気分はどう?」
「ん」
海はそれだけ言って黙った。
和那は何を言って良いのか思いつかず、二人の間に沈黙が流れた。
和那は考えた挙げ句に尋ねた。
「海ちゃん、何か食べたいものとか、ない?」
「ありがとう。でも食べても戻してしまうから。それよりお茶も出さないで・・・」
そう言いかけた海が起き上がろうとするのを、和那は慌てて止めた。
陽菜からは、海をあまり動かさないように言われていたのだ。
「海ちゃんはそのままでいて。私は大丈夫。様子を見に来ただけだから」
「ごめん・・・そうね・・・気をつけないと・・」
海はつぶやくように言ったが、だんだん興奮するようだった。
海の様子をおかしいと感じた和那は、なだめるように言った。
「海ちゃん、落ち着いて」
海は和那の言葉を無視して、何かから逃れるように腕を動かした。
「子供に何かあったら・・いやだ・・・」
和那はどうしていいのか分からず海の様子を見ていたが、海の腕から点滴の管が外れそうになるのを見て、慌てて海の腕を押さえた。
「海ちゃん、大丈夫だよ、落ち着いて」
「いやあっ。いやだっ」
海は和那に構わず暴れ出した。
和那は海よりも背が高く、華奢な海よりも力があるように思われた。
しかし、興奮した海は叫びながら和那の腕を振り払った。
和那が看護師を呼ぼうとしたその時、病室のドアが開いて男性の声がした。
「海?」
そう言って入ってきたのは、海の兄・間宮義彦だった。
義彦はこの病院の内科医として働いていた。
義彦と海は異母兄妹で、海の母方の従妹である和那とは血縁関係はない。
しかし和那の両親は義彦を甥として接しており、和那も従兄だと思っていた。
和那は義彦が大好きだった。
小さい頃は優しくて格好いい『お兄ちゃん』だったが、いつの頃からか異性として意識していた。
普段の和那は義彦と会っても、まともに会話をできないほど緊張するのだが、今は暴れる海をなだめるのに精一杯でそれどころではなかった。
「義彦さん、海ちゃんが・・・どうしよう」
和那は不安げな声で言うと、義彦は微笑みかけながら言った。
「和那ちゃん、来てくれてありがとう。場所を代わってくれる?」
和那は海を抑える手を離して後ろに下がった。
義彦は海のベッドの傍らに立ち、海の頬を軽く叩くと冷静に言った。
「海、大丈夫だから寝ろ」
海は兄の腕に縋りながら叫んだ。
「お兄ちゃん、私、また・・」
「大丈夫。目を閉じろ」
義彦は海の瞼に優しく手を当てた。
すると海は暴れていた手を突然ベッドの上に投げ出して、そのまま眠ってしまった。
和那は義彦の行動を見て言った。
「魔法みたい」
義彦は振り向いて苦笑いした。
「魔法が使えればいいけどね」
義彦は和那にそう言って海の方に向き直ると、点滴を整えて海の布団を掛け直した。
和那は二人の様子を黙って見ていたが、義彦が振り向いて言った言葉に仰天した。
「和那ちゃん。俺はこれから昼飯に行くけど、食堂につきあってくれないかな?」
義彦に食事に誘われた和那は嬉しさのあまりに一瞬、目を輝かせた。
しかし海の寝顔を見てすぐに思い直した。
「でも」
ためらう和那を見た義彦は、軽く笑いながら言った。
「海は大丈夫だから。行こう」
義彦に優しく促された和那は、顔が自然と緩んだ。




