表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/45

三 – 4

陽菜は、義彦の勤める病院の近くにある喫茶店で義彦を待っていた。

和那の鞄にあった海の手紙を読んだ陽菜は、海が自殺を図ったことを察した。

それで陽菜は和那が昨夜遅く帰った理由を理解したが、同時に海のことが心配になり、慌てて義彦に電話をしたのだった。

陽菜からの電話を受けた義彦は冷静に尋ねた。


「海のこと、和那ちゃんから訊いたのですか?」


義彦は、遅く帰った和那が自分との交際を陽菜に話をしてとがめられたのだと覚悟していた。

しかし陽菜は意外な事を言った。


「あの子は何も言わなかった。

海ちゃんが和那にあてた手紙を、私が内緒で読んでしまったの。

昨日、あの子が遅かったのは、海ちゃんに何かあったからでしょう?」


陽菜の口ぶりから、和那は昨日の事を母親に話をしていないことを悟った。

そして、妹の自殺未遂を思いだした義彦は暗い気持ちで答えた。


「はい。海が自殺を図りました。それでばたばたしてしまって。

昨晩は、和那ちゃんを遅く帰らせてすみません」

「和那は何も言わなかったけど・・海ちゃんは・・・大丈夫なのね?」

「無事です。今は聖義のところにいます」


義彦の言葉に陽菜は安堵のため息をついた。


「よかった」


そう言ってすすり泣く陽菜に、義彦は言った。


「陽菜さん。私は今日仕事なのですが、夕方に終わります。

少し話をする時間をいただけますか?」



義彦が陽菜との待ち合わせの場所に着いたときには、約束していた時間を10分ほど過ぎていた。

義彦が早足で喫茶店に入る姿を見た陽菜は、少し微笑んだ。

義彦は陽菜の近くに来ると開口一番に詫びた。


「遅くなってすみません」

「いいえ、仕事おつかれさま。

こちらこそ。あんな電話をかけて驚かせてしまって、ごめんなさい」


陽菜は義彦を待っている間に、気持ちを落ち着かせていた。

義彦がコーヒーを飲むのを待ってから、陽菜は寂しそうに笑って言った。


「義彦くん、大きくなったのね。当たり前だけれど」


陽菜が義彦と最初に会ったのは、ひーこが亡くなる一年前で、義彦が保育園に通っていた頃だった。

陽菜は大学を卒業して、現在の居住地に近い会社に就職していた。

陽菜は大和との結婚を前提にして就職先を選んだが、まだ大学生の大和とは離れて暮らすため、知り合いのいない土地でなじめるか不安だった。

それを払拭したのはひーこだった。

陽菜とひーこはウマが合い、大和の存在なしに仲良くなった。

義彦は陽菜にも懐き、陽菜も義彦が可愛かった。

そして三人で出かけることも多くなった。

そのひーこは、海が生まれた直後に亡くなった。

ひーこを失って憔悴しきった義貴を心配した陽菜は、半ば強引に義彦を預かった。

義彦は保育園に行っていたし、手のかからない子供だったので、陽菜は仕事をしながら世話をしていても、それほど苦にならなかった。

仕事を定時で終わらせるために必死で働き、通勤時間は子供と食べる夕飯のメニューを考えた。

すると陽菜に対する職場の評価はあがり、外食ばかりしていた一人の時よりも食費が抑えられた。

むしろ陽菜には、義彦との生活は楽しかった。

しかしそれは、ともに大事な人を亡くした悲しみを、それぞれの存在で癒やしていたかのようだった。

低体重児として生まれた海は、一ヶ月ほど保育器で過ごしていた。

陽菜は、当時を思い出しながら義彦に言った。


「海ちゃんは生まれてすぐに保育器に入って。海ちゃんは他の子と比べて小さくて・・・本当にかわいくて」


義彦は陽菜の言葉を聞きながら、海が生まれた頃を思い出していた。

海が退院する日、義彦は陽菜と大和に連れられて海を迎えに行った。

陽菜が海を抱いて義貴のマンションに行くと、義貴は玄関で海を抱きしめながら泣いた。

義貴が泣いているのを見たのは、それが最初で最後だった。

義彦はその日に自宅へ戻ったが、陽菜は事あるごとに義彦や海の世話を買って出た。

義貴は他人に海を預けることを拒否したが、陽菜にだけは素直に託していた。

ふと義彦は『なぜ親父は陽菜さんを信用したのだろう』と思った。

今の陽菜は大和の妻で海の義理の叔母だが、当時はまだ結婚していなかった。

陽菜は言った。


「私は大人になってから初めて子供に触れたのが義彦くんと海ちゃんだった。二人の世話をしたから、後で自分に双子が生まれても怖くなかった」


淡々と話をする陽菜を、義彦は黙って見ていた。


「そんな海ちゃんが、死にたいだなんて・・・」


そう言った陽菜の目から涙がこぼれ落ちた。

義彦はしばらく黙っていたが、陽菜が落ち着いた様子を見せたので、ゆっくりと言葉を発した。


「海は母親を知らずに育ちました。父親の最期も見てしまいました。子供も亡くしました。それは可愛そうだと思います。

でも、今の海は自分の選んだ人生を歩いています」


冷静に言う義彦に、陽菜が思わず口を開いた。


「でも」


ためらう陽菜に義彦は続けて言った。


「海と聖義は幼い頃からの許嫁でした。

でも一度だけ、聖義は海を手放す決心をしています。

それでも海は自分で聖義を選びました。

だからその後でどんな事があっても、海自身が乗り越えなければいけない」


陽菜は黙った。

二人の間にしばし沈黙が訪れたあと、義彦は続けた。


「春に海が入院したとき、初めて自分のことでわがままを言いました。

間宮に世話になるのは嫌だ、一人にしてくれって・・・。

海は今まで、親父や俺を困らせることはほとんどしなかったのに。

でもそれで気がつきました。

本来の海は、物わかりの良い子ではなかったのだと。

ひーこが生きていたら、海はもっとわがままな子供だったと思います。

海にわがままのひとつも言わせてやれず、可愛そうなことをしたと思っています」


義彦はコーヒーを一口飲んでから言った。


「そんな海のわがままを受け止めてくれたのが和那ちゃんでした。

海は見舞いに来た和那ちゃんに、わざと怒らせるようなことを言いました。

でも、和那ちゃんは海の挑発にも乗らずに、優しく接してくれました。

和那ちゃんは、海が甘えられる唯一の人です」


陽菜は顔を上げた。


「和那は・・・普通の子供です。元気で、明るい・・・普通の子供。

海ちゃんがそんなに思うほど、特別な子ではないのよ」


そう言う陽菜に、義彦は首を横に振った。


「昨日、海の異変を最初に気がついたのは和那ちゃんでした。

海にとって和那ちゃんは大事な存在です。俺にとっても」


義彦は陽菜に向き直ると、きっぱりと言った。


「私にも和那ちゃんが必要です。彼女とおつきあいをさせてください」


陽菜は驚いた反面、不思議と頭の片隅でそんな気がしていた。

しばらく沈黙した後、陽菜は意地の悪い質問をした。


「私や大和が反対したら、和那とのつきあいはやめるの?」


すると義彦は医者らしい笑顔で言った。


「もし和那ちゃんに私とつきあう気持ちがあるなら、二人を説得します」


義彦の言葉に、陽菜の笑顔は寂しそうにも、嬉しそうにも見えた。


「ああ見えても、和那はずっとあなたが好きだったのよ。いじらしいくらいに」


陽菜の言葉に義彦は黙っていた。

複雑な表情をした義彦を見ながら、陽菜はぽつりと言った。


「私も大和も、義彦くんを大事に思っている。血のつながりなんて関係ない。小さい頃からあなたを見てきて、誰よりもあなたのことを知っているつもりよ。あなたがどんな人物か、誰よりも判っている。

だから和那とのつきあいを反対する理由がないわ」


義彦は安堵した。すると陽菜は続けて言った。


「二つお願いがあるの。

まず・・・和那と会って遅くなる時は家に連絡するように言って下さい。昔、私の・・・友人・・が帰宅途中に乱暴されたことがあって・・・ものすごく傷ついたの。娘にはそういう思いをさせたくない」


陽菜の真剣な表情に義彦は息を呑んだ。

かつて自分の養母だったひーこも、暴行された経験があった。

義彦がその事実を知ったのはひーこが亡くなってずいぶん後の事だったが。

義彦は陽菜に深々と頭を下げて言った。


「遅くなるときは必ず家まで送ります。

昨日は本当にすみませんでした」


陽菜は軽く笑いながら言った。


「もうひとつ。大和にはもう二人の話はしたの?」

「いえ。でも連絡するつもりです」

「なら、一日だけ時間をくれない?私から大和に言わせてほしいの。

娘に恋人ができた話を、私から夫に報告したいのよ」

「わかりました。大和さんによろしくお伝え下さい」


陽菜は少し照れたように笑った。

義彦には陽菜の真意は分からなかったが、陽菜と大和のつながりを、義彦は羨ましいと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ