二 – 8
土曜日の夕方、和那は二人との待ち合わせ場所である駅のロータリーにいた。
和那は手持ちの服でもっとも大人に見えた、シンプルなツーピースを着た。
ほどなくして義彦の車が見えた。
和那の前に車が停まると、助手席から海が降りてきた。
白いワンピースにボレロを着た海は天使のようで、和那は思わず海に見とれた。
和那は降りてきた天使に言った。
「海ちゃん。身体は大丈夫?」
「うん、ありがとう。もう大丈夫」
海はそう言うと、和那に助手席に乗るように勧めた。
「えっ、いいよ。恥ずかしいよ」
照れる和那に海は『いいから』と言って微笑んだ。
そして車の中から義彦が声をかけた。
「乗って」
その声に押されるように、和那は助手席に乗った。
義彦の服装は、普段と変わらないシャツにネクタイとスーツのパンツだったが、和那にはそれだけで見とれるほど格好良く映った。
三人が着いたのは、郊外にある小さなレストランだった。
海が先を歩き、義彦は和那の後ろからエスコートした。
品の良い店内に入り、和那は緊張していた。
背が高い義彦は軽く屈むようにして和那の耳元で言った。
「親父が好きだった店でね。お祝い事がある時には、いつもここで食事をしている」
和那は義彦の言葉を聞きながら、前を歩く海に何となく違和感を覚えていた。
海の身体はもともと華奢ではあったが、足取りが異常に軽く、体の重みを感じさせなかった。
そして、普段以上に笑顔でいた海が何を話していたか、和那の記憶に全く残っていなかった。
食事を終えて車に乗り込むと、海は義彦に言った。
「和那ちゃんを家に送る前に、うちに寄ってもらっていい?」
「いいけど、何かあるのか?」
「まだ八時だし。お茶でも飲んでもらおうと思って」
海の言葉に和那は不思議と不安を覚えた。
「海ちゃん、退院したばかりだから、無理しないで」
和那はそう言って海の体調を心配したが、海は少しはしゃぐように和那に返した。
「大丈夫。もう少し話がしたい」
そうして三人は義彦と海の住むマンションに向かった。
そのマンションは五階建てで、二人の住居は最上階だった。
和那はマンションの場所は知っていたが、家の中に入ったのは初めてだった。
部屋の中は至ってシンプルで、装飾品が全くと言っても良いほど存在しかった。
モデルルームのような部屋で美しかったが、どこか寂しい雰囲気のように和那には思えた。
「お茶は俺が入れるから。二人は座っていなさい」
義彦はそう言うと、電気ポットに水を入れてスイッチを入れた。
和那はリビングで義彦の姿を見ていたが、気がつくと海の姿がなくなっていた。
「海ちゃん?」
和那は海が自分の部屋にでも戻ったのかと思い、廊下に出て海の部屋に声をかけたが、人のいる気配がなかった。
「どうした?」
義彦が和那に声をかけて、同じように海がいない事に気がついた。
和那はリビングに戻ると義彦に言った。
「義彦さん、海ちゃんがいない」
「あいつ」
義彦はそう呟くと、チカラで海の気配を捜しながら玄関に向かって歩き出した。
和那は慌てて義彦の後を追った。
義彦は部屋を出てマンションの階段に向かうと、駆け上がっていった。
和那は義彦の後ろ姿を見ながら、次第に怖くなった。
--海ちゃん、屋上に?どうして?
義彦と和那が屋上に続く扉を開くと、屋上の端に海の姿があった。
「海!」
海は屋上の手すりを超えて、マンションの縁に立っていた。
足をスカーフで縛り、立ち上がったところだった。
ワンピースの裾を風になびかせながら、海は真剣な表情で下を見ていた。
義彦は声をかけながらゆっくりと海に近づいた。
「海・・・・こっちに戻れ」
海は振り返り二人の姿を見ると、微笑みながら和那に言った。
「和那ちゃん。お兄ちゃんをお願い」
そして海はためらうことなく下に向かって身を投げ出した。
まるで天使が地上に降りるように。
「海ちゃん!」
和那が叫んだ直後、屋上から義彦の姿が消えた。
和那はひとり屋上に座り込んだ。
「海ちゃん・・・・義彦さん・・・?」
突然の状況に、和那は夢ではないかと思うほどだった。
海が飛び降りたのは見たが、義彦が消えたのは理解できなかった。
和那はしばらく呆然としていたが、やおら立ち上がった。
「した・・・下に降りなきゃ」
義彦の行方はともかく、海の状況を見るために、和那は階段の方に歩き出した。
下の様子は気になったが、屋上から下を見る気にはとてもなれなかった。
和那は膝が震えるのをこらえながらエレベーターまでたどり着くと、震える指でボタンを連打した。
「海・・・ちゃん・・」
和那はエレベーターが来るまでの間、考えていた。
--海ちゃん、いつから飛び降りるつもりだったんだろう。
あまりにも淡々と行動していた海が、和那は怖くなった。
和那はエレベーターに乗った。
まるで冷凍庫の中にいるかのように、全身が震えはじめた。
「一階です」
と告げる音声に弾かれるように、和那はエレベーターを転がるように降りてマンションの玄関に出た。
そこには海を抱いた聖義の姿と、二人を見つめる義彦の姿があった。




