第44話「狼の血」
砦の中で、二人の男女が会話をしていた。
一人は総大将の総一郎と、もう一人はアテラ。
総一郎の話に、アテラは終始押されていた。
「もうすぐ、防衛班二組が戻ってくる。 鳩山はまだ動けるだろうが、大事を取らせて引っ込める」
「ええと……」
「一、二班のまだ動けるメンバーと、三班を合同でお前にまとめてもらうが、頼めるか?」
「ええ、はい!」
まるで彼は、自分の眼で見てきたように話を続けている。
この場から、総一郎は一歩たりとも、動いていないのにである。
何か神がかったような行動に、彼女は寒気を覚えてしまう。
「あの、天城様……一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、どうかしたのか、アテラ」
「天城様は何故、戦況が分かるのですか。 その…….戦場を見ていないのに」
「ん、そういうことか」
彼女が抱いた疑問に対し、総一郎はさも当然のように言い放つ。
「全て、風が教えてくれるのさ」
「なるほど、そういうことですか」
彼の答えに、アテラは合点がいったように満足な表情を浮かべる。
「噂は本当だったのですね、天城様の」
「鎌鼬の悪評か、そりゃあ?」
「ふふふ、勿論、それもたくさん」
アテラの答えに、総一郎はくつくつと笑う。
彼女の優秀さと、シコロの目利きの才能に賞賛を送りたくなってしまう。
「だが、ここが正念場だな」
「それも、風が?」
「いや、これは俺の考えだ」
そう言って、彼は立ち上がる。
そして、動き出す支度を整えようとする。
「俺が大将なら、ここで動く。 アイツも、そう考えたらしい」
「恐ろしいお方ですね、あなたは」
一体、彼にはどこまで見えているのだろうか。
彼女はそう思いながら、自身も動き出す。
「さて、何人生き残れるかはお前次第だ、アラシよ」
彼はまだ登っていない朝日の方角を見つめ、そう呟いた。
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砦の目と鼻の先、暗がりの中で三人の鬼が未だにその時を待っていた。
その中で、一人の鬼がゆらりと、ふいに立ち上がる。
彼にはその戦況が、ハッキリとその目に見えていたのだろうか。
「さーて、そろそろ終わらせてくるかあ」
「行くの、ガル?」
そうウルと呼ばれる鬼に、ガルは問われた。
彼は、彼女に面倒臭そうに返事を返す。
「今行かねえで、どうする。 ここを取れば、これでこの砦は終わりだ」
「貴様は、仮にも大将だぞ!!」
「チッ、うっせーな、だからお前は雑魚だってんだよ、ライカ」
そうガルに言われ、ライカと呼ばれる鬼は顔を憎らしげ一杯にする。
そんな彼を見て、ガルは大声を上げて笑う。
「カカ、まあ見とけや。 ウル、これが終わったら分かってんだろうな?」
「ええ、いつでも受けてあげますわよ?」
「よーし、首洗って待っとけや」
そう言って、彼は後ろに歩を進める。
そして、背を向けた直後に、走り出す。
「オラァァァッ!!!」
「な、何を……!?」
彼は、助走を付けて、何をしようとしているのかと、ライカは思う。
そんな彼に、彼女は答えを告げる。
「よく見ていなさい、ライカ。 これが、狼男の真の力よ」
「狼男の、真の力……!」
ガルは、あろうことかその大きな体躯を使い、思いっきり空中に、高く飛び立った。
まさか、あの戦場の中に飛び降りようと言うのか。
「そんな、馬鹿なことが……!?」
「それが、出来るのよ。 それが、私たち人狼の血なのよ」
その話に、全身が逆立つ。
自分にも、あのような力が……その時のライカの顔を、ウルは見逃さなかった。
「ギャハハハッ、待ってろ人間ドモォ!」
一歩一歩、その足踏みで地響きが鳴る。
荒野の中、かろうじて残っている草木も、悲鳴を上げる。
「さあ、行くぜェ!!」
今、大地を踏みしめて彼は叫ぶ。
この世界の、真の支配者は我らだと、知らしめる為に。
「イイィヤッホォォウ!!」
今宵は狼たちの宴。
偶然か必然か、その日は満月だった。
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「ポポポ、さあもうすぐ砦ですぞー!」
「すまない、鳩山殿……」
「ポッポ、それは言わない約束ですぞ〜」
鳩山と金森、残りの防衛班は砦の少し前まで戻って来ていた。
砦の中で三班と合流し、そして戦場を立て直す。
そう帰る途中まで、鳩山は考えていた。
「さあさ、アテラ殿が待っているはずですぞ!」
「くっ、この姿……一生の不覚!」
そう、その時が来るまでは。
上空で、声がした。
耳をつんざくような、狼の雄叫びが。
「ギィヤッハハァー!!」
「な、なんだ!?」
「これは……!」
聞こえる、確かに。
それは、ぐんぐんと近づいてくる。
それも、自分たちに、だ。
金森は周囲に知らせる為にとっさに、叫び声を上げた。
「みんな避けろっ、上だー!!」
「潰れろ、ゴミどもォー!!」
そして天から、落ちてくる。
圧倒的な、力が。
「オラァァ!!」
その何かは金森達を通り過ぎて、目の前の鬼に落下した。
下敷きになり、潰れる鬼。
その死体を見て、鬼は呟いた。
「お前らが当たってくれねェから、オレの仲間が一人減ったじゃねえかヨォ」
「こ、コイツは……!?」
「金森殿、先に言っておきますぞ、守りきれないかもしれませんぞ、コレは……!」
そんな事は、金森にも理解できた。
目の前にいるのは、圧倒的な力。
それは、前に立っているだけで伝わって来た。
だが何故かそれは、待てどいまだに襲ってこない。
「おかしいですぞ、金森殿」
「ええ、そう……ですね」
目の前の狼男は、我々を襲ってこない。
その気になれば、もう数人は死んでいるだろうに。
そんな行動が、かえって期待を彼らに持たせていた。
「これじゃあ、ツマンネェよなァ?」
「……は?」
つまらない、そう目の前の鬼は言っているのか。
そう思っていると、彼らに向かって鬼は呟く。
「おい、タイマンだコラ。 このガル様とタイマンで勝ったら、見逃してやるよ」
「な、なんだと……?」
なんと、目の前の鬼は一騎打ちで勝負しろと言っている。
戦意喪失していた、我々に向かって。
だが、そこに光明が見えて来た。
「金森殿、私が行きますぞ」
「鳩山殿、しかし鳩山殿も!」
実は、鳩山もここにくるまでに大分傷を負っている。
それも、自分たちを庇いながらだ。
「そこに勝機があるなら、手繰り寄せるまでよ、ですぞ」
「ほう、ソイツはいい言葉だな!」
金森を下ろし、刀を両手で構える鳩山。
それに対し、ガルは手を広げて、挑発する。
「油断は禁物、ですぞ!!」
鋭い踏み込み、その一刀は、いわゆる一撃必殺の一太刀。
おそらくは、並の鬼なら真っ二つになっていたであろう。
「油断、違うな……これは、余裕ってナァ!!」
その一撃を、ガルは片手で防ぎきっていた。
そして、鳩山の無防備な腹に、蹴りを入れる。
「ごぼッ!!?」
鳩山は、宙を吹っ飛んでいく。
その姿を見て、ゲラゲラと笑うガル。
「ギャハハッ!! あー、おっもしれーの」
そう言って、後ろを向いて歩き出す。
「ま、待て!!」
「あー? 何だよ、テメェ?」
「まだ、私が残っているぞ……」
「……ハァ、その体でかよ?」
金森の体は、ボロボロだった。
傷ついた足からは、応急処置をしたにも関わらず、出血が止まっていない。
さらに、ムリな戦闘を行なった為か、あらぬ方向に曲がっていた。
「だからといって、このまま死ねば、鴉の面汚しだ!!」
「ふーん、あーそうかい」
「武人として、いざ尋常に勝負!」
「あー」
そう言われたガルは、半歩後ろに下がる。
「何を、している……?」
そして、岩の上に座った。
「あー、お前がここまで来れたら闘ってやるよ」
「貴様……」
「ほら早くしねーと、お仲間が死ぬぞ?」
いつの間にか、鬼が金森たちの周囲を囲んでいる。
傷ついた仲間が、今にもその手にかけられようとしている。
「き、キサマァ……!!!」
「ギャハハハ、いいか!! よえェー奴は死に場所も選べねえのよ、よーく分かったかァ!!」
ゲラゲラと、ガルは嘲るように笑い続ける。
その姿を見て、金森は心から叫んだ。
「誰か、助けてくれ……鳩山殿を、私の仲間を……」
「あー、面白かったぜ。 まあ、その……なんだ?」
立ち上がって、ガルはこぶし大の大きさの石を掴む。
そして、振りかぶる。
「まあ、来世でオレの言葉、活かせや?」
金森の頭に、石が直撃―
「ああ……?」
否、しなかった。
「そうだよな、弱い奴は死に場所も選べないよな……」
「テメェ、何モンだァ?」
「それを、一番知ってる者さ」
「だから、何モンなンだよテメェはァ!!」
目の前の狼男に向かって、少年はハッキリと告げる。
この世界への、宣戦布告も兼ねて。
「天城 嵐……貴様を殺す者だ!!」
風だけが、彼の周りを包んでいた。




