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第五話 才能

才能って‥‥一体何なの?

服部はっとり美佳みかは、まだ興奮冷めやらぬ球場の中で独り考えを巡らせていた。

今の塚田のホームランは、野球を四年間しかやっていない美佳でもよく分かる。才能のある人のホームランだ。

内角低めギリギリストライクのストレート。普通の高校生なら、ほとんどどん詰まりのセカンドフライかライトフライ。ヒットになるとしても、どん詰まりのライト前ヒットか打球のコースが良くてツーベースになるのが精一杯だろう。

だが西多摩の四番塚田(つかだ)は違った。

きっと、それは何かひいでた才能が、あの芸当を可能にしているに違いない。美佳はそう考えた。

今、五番の横田よこたがフォアボールで出塁した。

多摩実の先発ピッチャー山本(やまもと)は先ほどのホームランで明らかに動揺していて、全く制球が安定していない。一回とは全くの別人である。

盛り上がる三塁側、沈む一塁側。

野球に限らずスポーツとはそういうものだ。優勢なチームが勢いがあり、劣勢のチームがその勢いに気圧けおされる。そして、その勢いで優勢のチームにはさらに勢いがつく‥‥優勢のチームにとっては最高のスパイラルだが、劣勢のチームにとっては最悪のスパイラルになることは言うまでもないだろう。

それが「流れ」だ。流れはそう簡単には変わらない。

だから、多摩実は何か流れが自分たちのチームに傾くような大きなプレイがひとつ必要なのだ。

西多摩の六番山里(やまざと)は、先ほどからバントの構えをしている。ここは確実に送ってくるだろう。

そう美佳も思った。

しかし、次の瞬間、快音が球場に響き渡った。バスターである。山里の引っ張った打球は、サードの淺沼が打球に飛びついて何とかグローブに収まった。ファーストランナーの横田は、慌ててファーストに戻り、ベースの上で安心したように息を一つ吐いた。

まだ、流れが完全に西多摩にはいっていないのだろう。

隣では、幼馴染の波多野はたの翔大しょうたと、先ほど意気投合した浪花なにわ史郎しろうが、真剣な眼差しでグラウンドを見つめている。史郎に至っては、スコアブックに記入しながらである。二人とも野球に真摯なんだなぁ‥‥そしてきっと、おごらず常にもうひとつ上を目指してるんだろうな。

私はどうだろう? 大した才能もないのに推薦をもらった。大事な試合でチームに迷惑かけたのに、推薦をもらえて安心している自分がどこかにいる。傲っている自分がいる。

そんな私が推薦を受けていいの? 辞退ってできるんだよね?

美佳はここ最近自問自答をし続けていた。そんな時に掛かってきたのが、もうひとりの幼馴染片山(かたやま)大河たいがからの電話だった。

「明日、高校野球の試合があるんだけど、翔大と見に行ってくれない? 俺、明日用事があるからさ」

別に用事はないし、久しぶりに野球を観るのもいいと思った。翔大にも、しばらく会っていなかったから、良い機会だと思って了承した。だが、ここに来ても才能を見せつけられている気分だ。

「あれー、あなた服部美佳さん、だよね?」

突然、左上から女性の声が降ってきた。声の方を見ると、そこには美佳の見知った女性が立っていた。

元ソフトボール女性の日本代表選手で、来年から新設される西多摩高校女子ソフトボール部の監督に就く、新美にいみ友子ともこだった。

「お、お久しぶりです‥‥!」

美佳が、思わず声を上げたので、周りの人たちがこちらを見る。しかし、大半の人はすぐに試合に視線を戻す。しかし、翔大と史郎はこちらを不思議そうに見ている。

その視線を感じ取ったのか、新美が「あれ、知り合いの子?」と美佳に聞く。

「ええ、そうです‥‥」

美佳が言うと二人はペコリと頭を下げる。

「ちょっと、服部さん借りていい?」

新美が、ニコッとして二人に尋ねると、史郎は困ったような顔をして翔大を見た。すると、翔大はすぐに「ええ、どうぞ」と真顔で返事をした。

「ごめんね、すぐ終わるからさ」

新美は、翔大にそう言うと、内野スタンドの一番上の通路の一角に誘導した。ここからなら、グラウンドのみならず球場のほとんどを見渡せる。

新美は、柱に寄りかかりリラックスしてグラウンドを見ている。その瞳は、美佳の知っている現役の時のそれだった。

「あー、リラックスしていいよ」

新美は、こちらを見て微笑みながら言ってくれるが、正直、緊張するなというのが無理な話だ。

「いやぁ、今日はまさか会えるとは思ってなかったよ」今度は、グラウンドに視線を戻しながら言う。「野球部の監督とは、色々と交流があるから、今日は応援に来てたんだ」

「そうなんですか‥‥」

「‥‥変なこと聞いていい?」

新美がまたこちらを見て聞く。美佳は、唾を飲み込みながら「‥‥はい」と答えた。

西多摩うちからの推薦、断ったりしないよね?」

さっきの、にこやかな表情が嘘のように、真剣な眼差しで聞いてきた。先ほどまで掛けていた、スポーツメガネも外している。思っていたより、大きな眼がこちらを射ぬいていて、少し緊張が走る。

「‥‥‥‥」

美佳が、考え込んで黙っていると、新美は慌てて片手を動かす。

「あ、別に責めてるわけじゃないからね」また、グラウンドの方をちらりと見る。「ただ、あなただけなの、推薦の話をふって返事を貰ってないの」

「あ、そうなんですか‥‥すいません、なるべ‥‥」

「く急いで返事をします」と言おうとしたが、新美の言葉に遮られる。「急がないでいいから、自分の進路でしょ?」

「ええ‥‥ありがとうございます。ゆっくり考えさせて貰います」

美佳が、ペコリと頭を下げると、新美は「じゃあ」と一言発すると、柱から背中を離し、三塁側のスタンドへ足を向けた。

あ、待って、ひとつだけ聞きたいことが‥‥。

そう思う前にすでに口が動いていた。

「あ、あの‥‥!」

「ん?」と新美が言いながら美佳の方を振り返る。

「私って、才能ありますか?」

見つめた新美の顔には、いつの間にか大きな目にメガネがまた掛かっていた。そして、帽子からわずかにはみ出た髪が、秋風でふわりと揺れていた。


「とりあえず、座ろうか」

新美は、そう言うと近くの空いている席を指差した。席に腰を下ろすと、球場全体がよく見えた。いつの間にか、西多摩の攻撃は終わっており、多摩実の選手がバッターボックスに立っている。

「才能、ねぇ‥‥」

新美が何故か寂しそうに笑う。

「私には、才能なんて、ないよ」

「はい?」

美佳は、聞き間違えたかと思い、思わず聞き返してしまった。

「私には、ソフトボールの才能なんてないよ」

やっぱり聞き間違えではない。才能がない? 元日本代表選手なのに? じゃあ、どういう人ならソフトボールの才能があるの?

新美はまたメガネを外す。もしかしたら、そんなに掛け心地のいいメガネではないのかもしれない。それか癖なのかもしれない。

「いや、ちょっと待ってください」美佳は、思わず両手を開いて突き出す。「新美さんに才能がなかったら私はどうなるんですか?」

「服部さんは、きっと勘違いしてるよ」

「え?」

「最初から、スポーツが出来る人なんてほとんどいないよ」新美は、まだグラウンドを見つめたままである。「だから、代表選手になれるような人たちは、努力して、努力して、それでも努力して、技術を身につけたり、磨いたりするんだよ」

グラウンドでは、多摩実の五番淺沼(あさぬま)がショートゴロに倒れたところだった。

「だからさ‥‥私は、才能っていうのは、いかに真摯に取り組んで、努力できるかだと思うんだ」美佳が新美を見ると、新美も美佳の方を見て、笑顔で言った。「服部さんは、半端じゃないくらい努力してきたよね? じゃなきゃ、全国大会常連校のキャプテンで四番でキャッチャーにはなれないでしょ?」

「はい‥‥いえ、足りてません‥‥私はまだ‥‥」

美佳は、急に眼の奥が熱くなるのを感じた。

そう、私にはまだまだ努力が足りない。

今年の夏の全国大会も、私があそこでエラーさえしなければ、私があそこで打っていれば‥‥。あの大会でも、ベンチ入りを果たせなかったチームメイトの想いも背負って、戦ったつもりだった。でも、そこで私のせいで負けた。私は、ソフトボールの推薦なんかで、高校に進んでいいの? ソフトボールを続けていいの? そう思っていた。周りのそれを悟られたくなくて、いつも笑ってた。心から笑ったことなんて、ここ最近ほとんどない。

「もう、いいんだよ下ろして」新美は、美佳の方に上半身を向けると、自分の両手をそっと美佳の両肩に置いた。「いつまでも、背負ってる必要はないんだよ」

新美の、不意な言葉と行動で、もう我慢できなかった。そうか‥‥この人は知ってるんだ。私の背負ってるものを知ってるんだ。それでも、私みたいなやつに声を掛けてくれたんだ。

右目の端から一つの粒が頬を伝った。

美佳は静かに泣いた。声を上げずに泣いた。恥ずかしさからか、顔が熱くなるのが分かる。

「すいま‥‥せん」

静かに、新美がハンカチを差し出し、美佳の背中をさする。

大きな手だなぁ‥‥大きな‥‥手だ。

ああ、私もソフト続けていいんだ‥‥私が全部背負わなくてもいいんだ‥‥。

あー、もっと早くこの人と話がしたかった。

見上げた空は、涙で少し滲んでいても青と分かるほど、青かった。気持ちいいくらいの秋晴れだった。


美佳が落ち着いたところで、新美はまた静かに話を始める。

「新美さん、ソフトボールの才能があるかどうかなんて気にする必要はないんだよ」新美はまた笑顔で言った。「自信、持ってね」

「はい‥‥!」

「あなたには、努力っていう一番の才能があるんだから」そう言って笑顔で立ち上がると「来年、待ってるからね」と歯を見せて笑いながら言い、「じゃあね」というと三塁側のスタンドに向かって歩いていった。

そうか、もう下ろしていいんだ。いつまでも背負ってる必要はないんだ。

美佳も、グラウンドをしばらく見続けてみる。先ほど、ホームランを打った塚田は、グラウンドに向かい何か指示を飛ばしている。

きっと、あの人も努力をしてるんだ。天才だ、とか周りから言われてるけど、きっと努力してるんだ。

美佳は立ち上がると、先ほどの柱の近くへと歩き出す。スマホの電話帳を立ち上げると、見知った名前を探す。ソフトボール部の同級生たちの名前だ。

一番に、副キャプテンとしてチームを共に支えてくれた、岡部おかべ明美あけみの名前が目に入った。

通話ボタンを押す。相手はコール四回で出た。

「あっ、もしもし明美? ちょっと話があるんだ」

この一歩が一番怖かった。チームメイトと話すのが怖かった。

でも、新美のおかげで踏み出せた。

よし、決めた。

私は西多摩に行く。ソフトボールをしに、西多摩に行く。そこで、今まで以上に努力して高校で活躍する。

それが、チームメイトたちに私が出来る唯一無二の償いだ。

美佳は、明美と話しながらそう心で呟いた。

「いーよ、いーよ、美佳も早く次に進まないと!」「もういーよ、それより高校決めた?」「もう、気にしてないよ!」

誰も、美佳を責めるような言葉を言わなかった。むしろ、みんなもう前を見ていた。

また歓声が球場に響いた。

また、眼の奥が少し熱くなった。

「ありがとう‥‥みんな、ありがとう」

美佳は、全員に電話をした後に、独り微笑みながら、ポツリと呟いた。

胸に引っ掛かっていた何かが、どこかへ消えた気がした。

これで前に進める。心の底から笑える。

グラウンドを振り替えると、その上には抜けそうな青空が広がっていた。少し風が痛い十月上旬の神宮だった。

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