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第一話 魔球

野球では、魔球と呼ばれている変化球がいくつかある。

やはり、「魔球」といわれて思い浮かぶのは「ナックルボール」だろう。球速は遅いが、ピッチャー自身もどんな方向に変化するかが分からないそうだ。

だから、それでストライクゾーンに決めるのはもちろんのこと、それを受けるキャッチャーにもかなりのスキルが必要になってくる。

ただ、最近一流選手がナックルを投げているのは珍しいくらいだ。

最近注目を集めているのが、「二十一世紀最後の魔球」といわれている「スプリットフィンガーファーストボール」略称「スプリット」や「SFF」などと呼ばれている球種だ。

ストレートとほぼ同じ軌道で打者に向かってくるが、打者の手元で急に落ちるのだ。それこそ「ストン」と音が聞こえそうなくらいに、だ。打席で見ると、まさに「消える魔球」だ。

それを中学生の時に初めて打席で見た

中学生のシニアリーグの全国大会の準々決勝で戦ったチームのエースがスプリットを決め球にしていたが、そのスプリットが今でも忘れられない。

もちろん、試合前に監督からは「低めは捨てろ」と指示が飛んでいたから、俺も「低め」は捨てた。それでもバットにかすりもしなかった。そのスプリットは、ど真ん中からでも低めギリギリまで落ちるのだ。だから打てない。というより、目で追いきれないから打てない。知らない間に相手のキャッチャーのミットにボールが収まっていた。圧倒的過ぎて呆気あっけにとられていた。

中学三年の夏だった。試合のあった球場では、蝉が相変わらず耳障りな鳴き声を懸命にあげていた。


「ヘェー、あの怪物とねぇ」中学校の校舎から、ぼんやり外を眺めていたが、話の相手ーー片山かたやま大河たいがはにんまりしてこちら振り返った。「で、勝敗は?」

「そこは聞くなよ」

俺ーー波多野はたの翔大しょうたは失笑しながら答えた。

放課後の教室には、他の同級生たちがまだ数十人残り、雑談をしている。

「まぁ、スプリットを投げるのは練習すればいつかは身に付く。だけど、そこまでの変化量を身に付けるのは至難の技だろうね。おいそれと出来ることじゃない」

校舎の窓から、グラウンドを見つめ「なぁ翔大、久々に投げてみるか?」と大河はいった。

「どうしようかなぁ‥‥」

正直、翔大は迷っていた。投げるかどうかではない。どの高校に進学するか、だ。

「なんだ? 投げないのか‥‥」

大河は、翔大の通う東京の市立中学校の野球部で四番でキャプテンを任せられるほど優秀なキャッチャーなのだ。小学校の時に軟式の野球チームでバッテリーを組んだ相手でもある。

「ちょっと、な」

悩み事を抱えたまま、大河に受けてもらうのは気が引けた。

「何だよ、まだ高校のことで悩んでんのか?」

「まぁ、な」

図星だ。さすがは小学校の五年間バッテリーを組んだだけのことはある。

苦笑しながら答え、推薦の話が来ている高校を思い出してみる。合わせて四校から来ていた。

東東京の東修とうしゅう東京一とうきょういち、西東京の町大三まちだいさん西多摩にしたまの四校である。

東修は、東東京で毎年上位にくる強豪だし、東京一はほぼ毎年甲子園に出場している名門だ。

町大三も、打力に定評がある西東京の強豪で、西多摩は‥‥聞いたことがない‥‥。

「西多摩って聞いたことあるか?」

大して期待もせずに聞いてみる。返ってきた答えは意外なーー驚くべき答えだった。

「ああ、そりゃあるよ。だって俺が受ける高校だから」

「受ける? 一般入試ってことか?」

「そうだよ」

大河はあっさりと言い放った。

「何でだよ? お前だって他の高校から推薦来てるだろ?」

「ああ、来てるよ」

「どこから?」

多摩実業たまじつぎょう

多摩実業高校は、言わずと知れた西東京の名門だ。毎年、総合力の高いチームに仕上げ、西東京のベスト8には食い込んでくる。

「だったら、普通は多摩実たまじつ行くだろ」

すると、大河は無言で鞄を探り、何やら紙を取り出して差し出してきた。

今年の秋季東京都大会のトーナメント表だった。

「明日暇だろ? 神宮第二で、十時からだから観てこいよ。試合観れば分かるから」

今日は土曜日である。だから明日は休みである。

トーナメント表を見ると丁寧に赤ペンでなぞってある。

日時と球場を確かめ、二本の赤線を目で辿っていく。そこには、二つの高校名がしるしてあった。

なるほどな。これで西多摩が勝ったら俺も視野に入れるだろう。というか迷わず西多摩に推薦を使って行く。

翔大が、納得したのと同時に、大河は鞄のファスナーを閉め、帰りの準備をしていた。

「これは?」

紙を右手で顔の辺りまで上げながら聞く。

「翔大にやるよ。そんなのスマホで調べればすぐに出てくるし」

大河は、鞄の中を確かめながら答える。

「じゃあな。明日試合ちゃんと行けよ」

そういうと、左肩に鞄を担いで教室を出ていった。

高い位置にある、昼の太陽から強い日差しが照りつけ、教室の窓から差し込んでいた。秋本番を間近に控えた時期らしい日差しである。

そこまで大河が言うなら見てみるか。大河のいう通り、試合を生で観ないと見えないこともあるだろうし。

翔大も、急いで帰りの準備を済ませ教室を後にした。

あの怪物の魔球を見てから約二ヶ月が経っていた。


その日の夜、風呂を済ませたあと自分の部屋に戻ると、スマホに着信があった。スマホを開いて相手を確認する。

幼馴染おさななじみ服部はっとり美佳みかからだった。何事かと電話をかけてみる。

美佳はコール三回で出た。

「あっ、翔大? 明日野球の試合観に行くんでしょ?」

「えっ? 何でお前がそんなこと知ってんだよ」

「大河に聞いたんだよ。なんかよく分からないけど、暇なら一緒に行ってやってくれって」

「あいつも訳が分からないよな」

「そうだね」電話の向こうから美佳の笑い声が聞こえてくる。「いいじゃん、大河らしくて」

美佳は大河とも幼馴染なのだ。家も近くで同じ小学校だった。三人は、小学校二年生から三人とも同じ野球チームに所属していた。

「そういえば、お前はソフト続けてるのか?」

美佳は、高校野球に女子が出場できないことを知ってから、中学生になるタイミングでソフトボールに転向した。ソフトボールをやるために、私立中学に進学したほど熱を入れている。

「続けてるよ。だから、私はーー私も高校は西多摩に行くよ」

「ソフトボール部があんの?」

「ううん、私たちが入学するタイミングで新しくできるの」

「お前、推薦とか来てないの?」

「来てるよ」

「それでも、西多摩行くの?」

「行くよ。だって監督が元日本代表選手だった人だから」

「そうなの?」初めて聞いた話である。

「うんーーそういえば、野球部の監督も凄い人みたいだけど‥‥」美佳が、そこまで言いかけたところで「ごめん、続きはまた明日話すよ」といった。

「なんで?」

「ちょっと、好きな刑事ドラマが始まったからさ」真面目な声で言われた。「集中して観たいの」

「ああ、分かった分かった」

そういえば、美佳は昔から刑事ドラマが好きだったな、と思い出した。どういう経緯かは全く知らなかったが。

「じゃあ明日は、信濃町に九時半ね」

それだけいうと、美佳は一方的に電話を切った。

「お前も充分訳が分からないよ」

独りで微笑しながら呟くと、アラームをセットしてスマホをいつもの場所に置く。この位置なら、ベッドから離れないとスマホには届かない。

だから、いつもアラームをセットした日は必ずここに置く。

部屋の窓を開けると、秋らしい心地よい風が頬をでる。もう、それだけで眠気を誘われた。気がついたら、もう既にそこは夢の中だった。


何だ、まだ五時か‥‥。

翌日は午前五時に眼が覚めた。

もちろん、まだアラームは鳴っていない。

二度寝することもできただろうが、なぜかその気になれなかった。

ベッドから起き上がると、電気を点けスマホを手に取る。

インターネットを開き、「スプリット」と検索をかける。

色々なサイトがあったが、ある投稿型動画サイトにあの試合の動画があった。

球場の、バックスクリーン方面から撮られていた映像だったが、やはり変化量がえげつない。

キャッチャーが、高めのストライクゾーンに構えていたが、ボールが高めに外れたので失投に見えた。

しかし、打者の少し手前でボールは急激にーーそれこそ、何かに当たったように落ちた。

そんな決め球を持っているのに、最速140キロの直球ストレートに、球速差のあるカーブがあったら普通の中学生はバットにかすりもしたないだろう。

相手は大阪のチームだったのか‥‥あのときは、そんなことは一切気にならなかった。というか、気にする余裕が全くなかった。

凄い奴を同級生に持っちまったな。

苦笑しながらも、意識はしっかり動画に向いていた。

ちょうど、その「怪物」が打席に立ったところだった。

ーー七番、ピッチャー、御条ごじょう君、ピッチャー御条くん

おそらく、学生ーー少なくともプロではないウグイス嬢がそうげていた。

そうか、怪物あいつの名前は御条だったのか。

おそらく、いや絶対に、この先野球を続けている限りは忘れることのない名前だろう。

思い切り伸びをしてみた。朝によくある特有の肩の重さが少し解れた。

おそらく、御条はどこかの強豪私立に進むはずだ。

だから、甲子園を目指せる高校に俺も進まないと。

それが、東京一か町大三か東修か、はたまたーー。それは、今日の試合を観ないことには何とも言えない。

よし、そろそろ顔でも洗うか。

ベッドから腰を上げると、朝の日差しが差し込んでいるのに気づいた。何気なく窓を開けてみる。

少し肌寒い風が頬を撫でた。身震いするよりも、目が覚めた。

さて、大河を納得させた高校の実力を、じっくりと観させてもらうか。

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