イレブロスという男
イレブロスは、オルゼビアの城の中、頬杖をつきながら文字を書き綴っていた。
己が知る限りの妖精の情報。
それを書き連ねていたが、サラマンダーについて書き始めた時、ふと手を止めた。
ヴィレムに初めて会った時のことを思い出したのだ。
このオルゼビアの城で、首に大怪我を負って泣き叫んでいた幼いヴィレムのことを。
焼けた金属を振りかざしていたヴィレムとよく似た男のことを。
……もう七年も前のことになるか。
そう思い起こしながらイレブロスは小さく笑った。
もう今や涙を見せることもなく、一人この国をまとめていく頼もしいヴィレムからは想像もできない姿だ。
そう、イレブロスは思う。
カトランガからヴィレムが帰ってきたら、そろそろ自分もオルゼビアに戻らなければならないだろう。
それまでに、ここで成すべきことをしておかなければ。
イレブロスは筆を置き、書いていた書をまとめると、部屋を後にした。
まずイレブロスが向かったのは、城門から最も遠い噴水がある広場。
そこには、恐らくシュティレとミランが居るだろう。
イレブロスが太い柱の後ろから広場を覗くと、水色髪の二人が並んで噴水のふちに座っているのが見えた。
なんだ、訓練をしているのなら覗き見しようと思ったのに…。
そんなふうにイレブロスが残念に思った時、ふっと風を感じ、振り返った。
するとイレブロスの眼前に短剣が迫っていたのだ。
「うわぁっ!」
驚いて体制を崩し、ぐらりと後ろに倒れそうになったイレブロスは、太い柱に思い切り頭をぶつけ、跳ね返るようにしてうつ伏せに倒れた。
「…あの…ごめんなさい、大丈夫……?」
倒れて頭を抑えているイレブロスの耳に、そんな控えめな声が届く。
それに反応して顔を上げると、おどおどとしながら視線を右往左往させているミランの姿があった。
「いやぁ、流石だね。接近するまで気配をまるで感じなかった!」
そうイレブロスが笑いかけてやれば、ミランは少しほっとしたように表情を緩めた。
「それにしても君だねシュティレ。ミランくんに私を襲えなどと言ったのは?」
「……イレブロス様…鈍くなりました…?」
「いきなり酷いね!?」
「……。」
「まぁ、私の鈍さも弱さも、シュティレならわかっている事だろう。今度から、こういう事で狙うのならラミアにしなさい!」
「……それは…私がラミアさんに殺されてしまいます。」
「うん、まぁそうだろうね。ところで、ミランくんは、ピクシーの力は使えるようになったのかい?」
イレブロスはシュティレから視線を外して、起き上がりながらミランのことを見た。
するとミランは、こくりと頷いた。
「そうか、ならば試してみよう!」
そう言いながら、イレブロスはつかつかと歩き出し、広場の中央まで行って足を止めた。
「私に、ピクシーの力を使ってみてくれ。なに、遠慮は要らない。私が死なない程度に、全力で来なさい」
そうイレブロスが言うと、ミランはイレブロスの前に立ち、こくりと頷いた。
ミランはイレブロスに向かって真っ直ぐに走り出す。
そして、助走で勢いのついた体の全体重を乗せ、祭器の短剣を振るった。
「……エルフ。」
そうイレブロスはつぶやき、ミランの短剣が喉元に迫る前に、手に黄色い光を纏い、ミランの手から短剣を弾き飛ばした。
しかし、妙に簡単に弾け飛んだものだ。
あんなに握る手に力を込めていなければ、もし私の喉元に届いても切れやしないのに。
イレブロスがそう思った瞬間、ミランは弾かれた短剣が宙を舞っているのをそのままに、イレブロスの後ろに回り込むと、人差し指をくいっとイレブロスの方へ向けた。
すると急に短剣の刃の部分がしなり、イレブロスの首に迫ったのだ。
それを見たイレブロスは、にっと口角を上げた。
そしてイレブロスが目を伏せると、迫ってきた刃とイレブロスとの間に黄色い壁が瞬時に出来上がり、短剣が弾け飛んで宙を舞い、イレブロスの手の中に落ちた。
だが次の瞬間、イレブロスは手を抑えてうずくまる。
「痛たたたた! ちょっとこの短剣切れ味が良すぎないかい!? 私の指がもげてしまうよ」
そう言ったイレブロスの手からは、血が滲んでいる。
どうやら、短剣を受け止めたとき、柄の部分ではなく刃の部分を掴んでしまったようだ。
そんなイレブロスに、ミランはどう反応したらいいかわからず、冷や汗を浮かべる。
イレブロスは、ミランに立ち上がって近づくと、整った顔でにこやかに笑って、短剣を手渡した。
「とても良い戦法だね。ピクシーのことも上手く扱えているようだ。シュティレの指導の賜物かな? その調子で頑張ってくれ」
そんなイレブロスからミランは短剣を受け取って、イレブロスの手を心配そうに見るが、イレブロスはそれを気にせずミランに背を向けた。
「それじゃあ、またね」
そう言って怪我をしていない方の手をひらひらと振って、その場をあとにしようとする。
だが、広場から少し離れた所で、まだ付いてきている気配に、後ろを振り返った。
すると横合いから剣が振りかざされ、イレブロスは静かな笑みを浮かべながら黄色い光の壁を作り自身を守る。
そして手のひらを下から上に振ると、地面から鋭い光が槍のように飛び出して、イレブロスを襲った人物の手から剣を弾き飛ばした。
その剣の柄を掴み、素早くその人物の喉元に突きつけると、ようやくその人物は動きを止めた。
「やぁ、シュティレ。何か言い忘れたことでも?」
「……なぜ、ミランにあんなに手加減をするのです…? 手を怪我してまで…自身を弱いように見せかけて…。」
「さぁねぇ。実際に私は弱いさ。」
「……。私は、あなたに一度も太刀を浴びせられたことはありません。」
「そうだったかい? ならば、もっと強くなることだね。なに、私を超えることなど容易だろう。言いたいことは、それだけかい?」
「……今度、また、稽古をつけて…下さい」
そんなシュティレの言葉に、イレブロスは頷いた。
「いいよ。最も私はまだ死にたくないのでね、手加減はして欲しいところだ。」
そう言いながら、イレブロスはもう一度手を振った。
そして今度こそ、その場を後にした。
次にイレブロスが訪れたのは、城門に近い方の円形の広場。
そこでは、飽きもせずに鍛錬を続ける二人の青年の姿があった。
茶髪のガタイの良い青年、カークは強靭な蹴りをもう一方の赤髪の青年、クレアに放っている。
それをかわし、受け流しつつ、クレアも持っている槍と同じ長さの棒を振り、反撃をしている。
そして、それを広場の隅から見ているのが、白い髪に、左目の下にほくろがあるラミアだった。
「やぁ、ラミア」
そうイレブロスが少し離れた場所から声をかければ、ラミアはこちらへ駆け寄りながら、
「何か御用でも?」
と聞いた。
それにイレブロスはにこやかに答える。
「いやぁ、手を怪我してしまってね。ラミアなら包帯かなにか持っているかと思ってね」
「……何やってるんですか全く…」
「少ししくじってしまったのだよ」
「あなたは毎日柱にぶつかったり、何も無いところで転んだり…しくじりまくりじゃないですか」
「いや、今日はね、ミランくんの力を試そうとしたのだよ」
「……それでカッコつけて手加減したらこのザマですか?」
「いや、ついつい手加減を忘れて防御してしまったものだから、その謝罪に指でも一本落とそうかと思ったのだよ」
「意図的ならいちいち私の所に治療してもらいにこないでください」
そう言いつつも、ラミアは懐から包帯を取り出し、手当してくれる。
そんなラミアににっこり笑いかけながら、イレブロスは言う。
「いやぁ、ラミアちゃんに手当をして貰いたいから、私は怪我をするのだよ」
「そのまま出血多量で死ねばいい」
「いつも通り酷いね」
「ほら、出来ました。別に、私に手当をしてもらうためだけにここに来たわけじゃないのでしょう。あの二人は、元々人間の中では並外れた身体能力と戦闘能力を持っていますが、これ以上はそうそう伸びませんよ。」
「…祭器の力を手に入れたら、化けるかもしれないよね。彼」
ラミアは包帯を巻き終わり、イレブロスの手を捨てるように放って離した。
そんなラミアの態度に苦笑いしながら、イレブロスは手当してもらった側とは反対側の手の人差し指を、カークに向けた。
「…さぁ、どうでしょう。それはわかりませんが、彼をあれ以上伸ばすのは無理かと」
そう言いながら、ラミアの視線がクレアに動いた。
「……彼は、ニンフェケーニヒの扱いをわかっていないだけだろう。きっと、使い方を心得たその時は、私でも、ラミアでも、ヴィレムでも、ゾルでさえも敵わないと思うよ」
「…あのティアナという少女は?」
「彼女は別格だ。私たちとは次元が違う。例え妖精王を従えたクレアくんが全力で戦ったとしても、ティアナちゃんに勝つことは出来ないだろう。彼はティアナちゃんを守りたいようだけれど、ティアナちゃんはいずれ強大な力を擁すようになるよ」
「……エルフの予知ですか?」
「いいや、私の勘」
「それは当たるわけないですね」
「そうかい? 勘だけはよく当たるのだよ、私は」
そう言いながら、イレブロスは踵を返した。
「じゃあ、私はティアナちゃんのところへ行ってこの傷を治してみてもらおうかなぁ」
そんなふうにイレブロスが言うと、後ろから包帯の塊がイレブロスの後頭部に直撃する。
「計算済みですか!? だったら私に手当させんな!」
そんな怒ったような声を出すラミアに、後ろ手に受け止めた包帯の塊を投げ返す。
「怒った顔もさすがの可愛さだよ、ラミア」
「さっさとどっか行け!!」
およそ国王と側近の会話とは思えないが、イレブロスはとても満足していた。
満足そうな笑みを浮かべながら、イレブロスはティアナの居るであろう部屋へ向かう。
イレブロスとラミアとの関係は、少し他の国王と従者と異なり、イレブロスが絶対的な王者というわけではなかったが、二人ともお互いを信頼しあっていることは確かだった。




