ハズレなの?
「ひああああああああー!?」
朝起きたボクは、その現実に悲鳴を上げた。
起きて直ぐは気付かず、そしてひょっとしてと思い、鏡の前で現実を見て、そしてその姿を見て何があったのかを悟った。
鏡の中に居たのは、艶やかな黒髪を腰までに伸ばし、前髪切りそろえた所謂ぱっつんな感じで、良く言えば如何にも真面目そう、悪く言えば酷く地味な女の子が、泣きそうな顔で立っていた。
女だ。女になっている。ボクが。この、ボクが。
『ボク』の願いが、叶ってしまったんだ!
一言で言えば、そうなる。
あんまりだ。ひどすぎる。
どうして!!!
ばたん!
「オイ!」
卒倒寸前。
鏡の前で崩れ落ちるように、へたり込んだボクの耳に、その声は聞こえた。
力なく首を向ける。
ボクには、その声が一体誰なのか、既に確信があった。
ボクの部屋のドアを、ノックも無しに開けて入ってきたのは―――『僕』だった。
血相変えて、ボクを見ている。
やたら筋肉質で、一見してもワイルドだって印象の、男っぽい男。凄く、存在感がある。
そんな、あえて言えば野獣のような鋭い目は、でも、信じられないという表情をしていてボクを見つめていた。
そう、彼は、『僕』だ。願いが叶った方の僕。
そして、ボクは、ハズレの方の、ボクだった。
僕の名前は、甲坂旭。
多分には、どこにでも居る、平凡な高校生一年生だ。
特に、勉強が出来るわけでもなく、かといって悪いわけでもない。
運動神経も、人並みだと思う。特には、悪くない。
中肉中背。容姿だって、イケメンっていうワケじゃ無いけど、そう悪くもないハズだ。
平々凡々。
別に狙ってそうなわけじゃ無いけれど、とにかく普通。
きっと漫画とかだと、その辺の通行人Aとかの役割なんだろう。
卑下するつもりはないんだけど、素直にそう思ってみると、すごくしっくりきてしまう。
だからといって、別段そんな境遇に自分がある事に、不満があるわけじゃ無い。
普通。結構な事だった。
確かに、こんな僕でも、例えば漫画みたいな主人公に憧れる事もある。
でも、明らかに僕は主人公向きじゃ無い。
子供の頃、戦隊ごっことかすると、普通に4番手あたりの役だった。
レッド、ブルー、イエロー、グリーン、ピンク。
もしこうした構成だったら、僕は普通にグリーンだ。
地味だ。ひたすらに、地味だった。
それは子供らしく、勝手に決まる役柄だったが、勝手に決まるその役割に、僕は僕なりに、僕らしいな、などと思ってしまう。
そこから続くここまでの人生も、おおよそ普通だった。
小学校、中学校。そして受験を経て、高校生。
特に大きな躓きもないけど、決して派手では無い。
そんな人生は、別に嫌でもないし、こんなもんだろうと、僕は思っていた。
そう、あの日までは、だ。
「甲坂君ってさ、なんていうか、地味すぎるよねー。目立たないって言うか」
そんな会話が聞こえたのは、僕が所属する演劇部の部室前。扉を開ける直前の事だった。
中には、同じ園芸部の、女の子達が居るようだ。
僕はそんな女の子の話の中に、僕の名前が出てきた事にドキッとして、今まさに開けようとした扉の取っ手前で、手を泳がせる。
普通だと自他共に認める僕が、なぜ演劇部などという、最も向かなそうな部活を選択したのには、ワケがある。
「美沙もそー思わない?」
その名前が出てきた事に、更に僕はドキッとする。
中には、彼女も居るのか。
相沢美沙。
僕の―――好きな人。
端的に言ってしまうと、僕はこの相沢美沙―――相沢さんに、恋をしてしまっていた。
相沢さんは先輩だ。一つ上の、二年生。
僕がその相沢さんを初めて見たのは、新入生歓迎の、部活紹介で行われた演劇部の短い劇での事だった。
その劇はオリジナルらしく、僕の知らない演目だった。
確か、王様の耳はロバの耳みたいな話を、現代風にしたような、割と大胆な話だったと思う。
そんな世界には全く今まで縁が無かった僕は、初めは「ふうん」みたいな反応で観ていたけれど、彼女が舞台に上がったとき、僕の目は次第にそれに釘付けになった。
それは華麗。その一言に尽きた。
僕のひいき目なのかもしれない。でも、僕には彼女のその堂々とした立ち姿、その動き、そして朗々と響く声、それら全てに魅了された。
その演技は圧倒的。
正直言って、他の団員などに比べて、全然存在感が違った。
でも、その時はまだ、僕は彼女の事を「凄い人が居るな」程度にしか思わなかったんだ。
だけど、その演技は、僕の目に焼き付いてしまっていた。
圧倒的な、存在感。衆目を浴びるに相応しい、演技力。
あの舞台で―――注目を浴びるということ。
普通過ぎる僕には、それがもの凄く眩しく思えた。
きっと僕には、無理なのだろう。だからこそ、それができる彼女に、僕は強く憧れてしまった。
結局五月に入る前、僕は気付いたら演劇部に入部していた。
劇に出たい、というわけじゃない。それは僕には、大それている。
ただ、何となく彼女をもっと知りたくて。
近くでもっと、観てみたくて。
だから僕は、自分にはきっと向かないだろうこの部に、入っていた。
そんな相沢さんと、誰かが僕について話している。
しかも、内容は不穏なそれだった。
盗み聞きだってことはわかっても、でもそこを僕は離れる事が出来なかった。
演劇部での僕の評価は、理解している。
だけど、それを彼女がどう思っているのか、知りたい。
「……そうね。甲坂君は、主役にはなれないかな?なろうとしていないんだもの」
主役には、なれない。
それは、僕が一番よくわかっている。
今までもそうだし、今もそうだ。脇役にしか、なれない。
でも、彼女は主役だ。
だから、僕は、彼女に並び立つ事が、出来ない。
結局僕の想いは淡くて、そして現実味が無いものだった。
そんな現実を理解させてくれたのは、他ならない彼女だった。
演劇という世界に身を置いて、でも主役になろうとしない僕は、所詮、彼女に釣り合わない。
演劇風に思えば、僕はお姫様に憧れる、平民だった。
所詮、平民は、平民でしか無い。
その他大勢なんだ。
その日、僕は部活を無断で休んだ。
とてもじゃないけど、消沈しきった気持ちのまま、部活をしても仕方なかったから。
実を言えば、最近僕は、少しだけ演劇というものの楽しさがわかってきた感じだった。
入った理由はヨコシマだったけども、でも飛び込んだ世界は何も知らないだけに、一つ一つ積み重ね、そして理解して行くにつれて、ちょっと楽しくなってきたんだ。
でも、結局はそれは僕向きじゃない。
その他大勢。脇役しか出来ない僕は、演劇向きじゃない。
それが本当に悲しくて。
そしてなによりそんな自分自身が、初めて嫌になった。
落ち込みながら帰る道すがら、僕は何となく、神社に立ち寄った。
そこは、子供の時から良く知る神社で、今は神主さんも居なくて管理もされていないので、ぼろぼろになり果てた神社だった。
僕は、そこで何の気なしに、神様に祈った。
『僕は主人公に、なりたい』
そして、その夜だった。
神様が、僕の夢に立ったのは。