☆ 第30話 ピアノ
鍵盤の上を滑るように指が動く。
指の一本一本が意志を持った生物のように複雑に交錯し、上品な旋律を奏でた。
ここまで来るのに二十年かかった。
他の子たちはスラスラと楽譜を覚え、ピアノが弾けるようになっていく。そんな中、私は誰よりも覚えが悪く、手の動きも悪かった。
人よりも小さな手は次に目指すべき鍵盤までの僅かな距離でさえ届かず、何度才能が無いと言われたことだろう。
――負けたくない、見返したい。
その一心で私はピアノを続けた。
他人が十回で覚える曲を百回聴き、百回練習する曲を千回弾いた。
完璧に曲を捉えたと実感できるまで練習を繰り返してから人前で発表するようにもしたし、妥協は許さなかった。
だから、高い評価を得られて当然だと思っていた。それなのに。
「あいつの演奏には個性がない」
「機械でも弾ける、感情のないつまらない演奏だな」
聞こえてくるのは酷評ばかり。
いつまでたっても基本に忠実。それが私の売りなのに。
ある日のディナーショウで、耐え切れなくなった私はこれまでの怒りの全てをピアノにぶつけてしまった。
音は外れ、不協和音が鳴り響く。
――ああ、なんて酷い演奏。
私はそう思ったのに。
会場は、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「鬼気迫る演奏が素晴らしかった」
皆が口を揃えてそう言っている。
――ああ、今までの努力はなんだったの?
虚しさのまま演奏すれば悲しげな感情が素晴らしいと評価され、浮かれていれば楽しげだと評価される。
技術より、感情なのね。
指を切り落としながら、私は泣いた。