☆ 第2話 どうも
大学受験を控えていた年の、風が強い夜だった。
勉強をしている私を、風に吹かれて舞い踊るカーテンが襲った。何とかしてカーテンを留めようという努力は徒労に終わり、勉強に集中できずにいた。
諦めて窓を閉めようと窓へ近付くと、部屋を覗きこむ男と目があった。
「どうも」
男は軽く会釈する。
スーツに整髪料を使ってきっちりと固められた髪型。通りかかった部屋の住人に挨拶するくらい真面目で、礼儀正しい人なんだと思った。
「……どうも」
私も彼に合わせる。一瞬の沈黙が流れ、男は何事もなかったかのように歩き去った。
「……、あ」
そこでようやく私は気付く。
――ここ、マンションの五階だよ?
男はたびたび私の部屋に訪れるようになった。
幽霊のストーカーなんて、洒落にもならない。カーテンを閉めて拒絶しても、視線が窓にぶつかる所で彼の影がお辞儀をした。
「どうも」
今日も会釈をして、彼はどこかへ向かう。
あれから十年経つが、彼とは「どうも」以外の言葉を交わしたことがない。
けれど、どうやら彼は悪い幽霊ではないらしい。
「どうも」
生まれたばかりの子供をあやしながら頭を下げ、窓を閉めた。