54.
先祖の霊は消え、信仰の強迫はなくなった。そうすれば、きっと母も、俺と清花姉を同等に、愛してくれるだろうと思われた。全て解決、と言えはしないかも知れないが、自分の家へと帰っていく清花姉は笑顔だった。
できるできないよりも、まずはやってみる事だ、と、俺も考えを前向きに改める事にした。正確に言えば、前向きに戻ったのかも知れない。ちょっとした鬱じみた状態だったのかも知れないと、俺はつい数時間前の自分を振り返って思った。
風呂も済ませると、少しの時間の余りができて、俺と桜川は台所の椅子へとそれぞれ腰掛けて、少し話す事にした。
「清水さんは、黒澤さんの事を、ちゃんと気にしていらっしゃいました」
少しの雑談の後、桜川は真剣な表情になって、そう話を切り出した。黒澤とは、清水の元ボーイフレンドの事である。
「そうか。まぁ、そうだろうな」
「はい。……ただ、私には二つの罪があるから彼には会えない、との一点張りで……。私なりに、説得をしてみたんですが、ダメでした」
清水らしい応答だった。清水は、黒澤を疑ってしまった事に対して、深く負い目を感じているのだろう。記憶を失っていた頃の清水ならともかく、今の清水は潔白過ぎるから、その負い目を抱えてまた二人仲良く、と上手く立ち回れないのだ。
「黒澤さんは?」
「今日はいらっしゃらなかったです。多分、お忙しいのだと思います」
当然、黒澤の肩にも、現体制を整えるという、今この世界で最もと言って良いほどに大切な仕事がのしかかっている。それは清水にも言えるはずだ。
「考えれば考えるほど、お似合いなんだけどなぁ」
「はい、そうですね。お互いに愛し合っていらっしゃるなら、幸せになって欲しいです」
まさに、その通りだ。俺はうんうん、と頷いて、そこでふと、桜川への大いなる疑問を思い出した。
「そう言えば……何か、悩んでるのか?」
どうして俺を好きだ、なんて偽っているんだ、とはさすがに言いにくて、俺はそう遠回りに訊いた。
「私、ですか?」
桜川は、まるで何も心当たりがないとでも言いたげに、そう首を傾げる。俺は、更に追求する為に、身を乗り出した。
「ああ、そうだ。俺は子供の頃から鈍いけど、でも、何かおかしい事ぐらいは分かる」
「何も、ないです。……なんて言ったら、怒られてしまいそうですね」
桜川は、俺が想像していたよりもずっとすんなりと、悩みがある事を告白した。
それに、隠していても仕方のない事ですよね、と、桜川は続ける。
「もうお気付きかも知れませんが、私は……家出しているんです」
俺は無言で、頷いた。全く勘付いてすらいなかったが、状況は全て桜川の言葉を証明していた。
「……理由も、言わないといけませんか?」
「いや、良いよ。言わなくて」
俺は首を左右に振った。俺も、どちらかと言えば、両親の反対を押し切って家を出てきた方だ。そのわだかまりを解く言葉を、俺は知らない。だが、時間が経てば、徐々に疑念と不満が晴れて、感謝と愛情が広がるものだとは知っていた。桜川だって、きっと、同じだろう。
「ここも、半ば居候受け入れ所みたいなものだしな。気が済むまで居たら良い」
「ありがとうございます……」
桜川に対して何もしないのではない。何もしない、という事をするのだ、と、思った。
桜川は、先に眠ります、と言って、ふらふらと台所を出ていった。何かする事がある訳でもない。俺も、戸締まりと消灯を確認してから、自分の部屋へと戻った。




