52.
三,四度ほど、いつもより言葉少なにババ抜きを繰り返したところで、異変は起こった。
まず、照明が、不規則に点滅を繰り返した。次に、窓がカタカタと音を立てて揺れた。この辺りで、俺は薄ら寒く感じて、扉を開けにいったが、案の定、向こう側からの強い力に押さえられて、扉はびくともしなかった。
「ふむ。いかにも、危機であるな」
そして、ベッドには、例の守護霊爺さんが座っていた。
「あきゅー。……透けています」
「ねぇ、武司。あれも、ご先祖様?」
「いや、関わらないでおいた方が良い悪霊だ」
あんまり見ない方が良いぞ、と二人に目配せしたが、爺さんは全くの無反応だった。よく見ると、普段より表情も優れないように見える。
「どうしたんだ、爺さん。今にも死にそうな顔して」
「……我の事は良い。して、ついにトミ子が倒れた。トミ子は女系女子を守る役目を果たしておったが、今はもはや、誰も守ってはおらぬ。これは危なしと思うて駆けつけてみれば……この部屋は無数の怨念に囲まれておるぞ」
爺さんはいつになく真剣で、いつものような気味の悪い笑いを挟む事もなかった。恐らくこんな体験など初めてであろう清水を、清花姉が近寄って寄り添って落ち着かせる。おかげで、清水はパニックに陥るほどに動転はしなかった。
「怨念って……誰のどんな怨念だよ」
「我は以前、外来の者と言ったな。あれは誤りであった。あれらは、お前の遠い先祖の者どもよ」
先祖の者、という言葉に、清花姉は少し身じろいだ。
「ふむ。その様子を見ると、お前の姉は、少しは事情を知っているようであるな」
「そうなのか?」
「……お母さんが、話してくれた事があったんだ。お前は先祖に守られているが、武司は違う。あの子は、先祖に呪われているんだ、って」
清花姉は、そう言いながら、見る見る顔面蒼白と変じていった。先祖に、呪われている?
「うむ。その通りである。……トミ子が申した事を伝えよう。代々、この家系は女系女子、加えて女腹であった。一種の信仰のようなものも生まれていたようであるな。しかし、わずかとて、男が生まれぬでもなかった。信仰はそれらの男児を、残さず殺させた。唯一、お前を除いて」
爺さんはそう言って、目を閉じた。
「お前は運が良かったのだ。お前が生まれるまで、五代続いて男は出なかった。それが、逆に信仰の暴力性を弱めたのだ。しかるに、そなたは信仰によって殺される、という局面からは逃れた訳であるな」
「何だよそれ……初耳だぞ」
「我とて、聞いたは最近よ。お前が知らずともおかしくはない。……しかし、お前の先祖の霊達は、お前を殺さんと狙っておる。それが、怨念となって現れたのだ」
爺さんの言葉は、いつもと違って説得力があった。だから、清水も清花姉もすっかり黙り込んで、うつむいてしまって、部屋の中は沈黙と、かたかたと揺れる窓の音だけになってしまった。
「……爺さんは、何者なんだ?」
堪らず、俺は爺さんに訊いた。
「我は、トミ子の父よ。……皮肉な事よの。トミ子が、この呪われた女系家系の始まりであった。我とて、現世にあらば気付かぬでもなかったろうが、黄泉に召されておっては気付けぬ。信仰によって殺められた者には、謝らねばなるまい。我の力が及ばず、我の目が届かなかった事を」
爺さんの言葉は、重く、ゆっくりだった。まるで、自分の罪を、胸に溶かし込んでいくように。爺さんは手を、ぐっ、と、胸の前で組んだ。
「我は、我の子孫に対して責任がある。その信仰に対する責任、それによって殺められんとする者に対する責任である。我、不能なりて、これまでそれを果たさずに来た。が、今は違う。我が身をもってすれば、現世の事は丸く解決しよう」
「どういう意味だよ……」
不吉な予感が頭をよぎって、俺はそううつむいた。
「くくく、お前の想像通りであるぞ。何、全てが一度ゼロヘと帰するだけのことよ」
ダメだ、と言う事もできず、俺は口をつぐんで、ただ爺さんを見つめた。止めた方が、良いのだろうか。だが、止める理由が見つからない。対して、爺さんが行かねばならない理由は、多々ある。
要するに、俺は、爺さんを止める言葉を、持ち合わせていなかった。
「それに、死んだ者は、去るべきものよ。短い間だったが、楽しかったぞよ」
爺さんは、俺に手を伸ばした。握手なんてできる訳がないのに、俺も手を伸ばして、手と手を重ねあった。
「今日からは、お前の母がこの家系の初代よ。お前は二代目だ。……ではな」
俺と触れ合った手が離れて、天上へと向く。爺さんが、目を閉じる。窓の揺らぎが、扉を叩く音が、更に強くなる。
そしてある時、それらは全て、止まった。爺さんの方を見ると、そこには、照明からぶら下がる紐だけがゆらゆらと揺れていた。




