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犬猿の騒乱  作者: K_yamada
二.春
51/59

51.

 家の扉の前に立った俺は、さすがに、疲労していた。もちろん、倒れてしまった事による疲労もあったのだろうが、それよりも何よりも、自分の無力さというものに対して、呆れ返ってしまった事が大きく要因としてあるようだった。

 俺は、何もしていない。そして、何もなさずに居られる立場でもない。清水を助けようと勇んだ時も、紗季ちゃんの謎を明かそうと挑んだ今日も、俺は何一つさえ、自分では何もなしていなかった。ただ、見ていた……いや、それよりも悪い。ただ、眠っている間に、全ては俺の同行者によって解決され、または解き明かされていたのだった。

 俺は、何をしたいのだろう。という疑問が、少し前には渦巻いていた。あれこれと、解決しなければならない問題を挙げて、まずはこれを何とかしようと決心さえした。しかし、俺は今、何ならばできるのだろうか、と悩んでいた。工事現場での仕事でも、俺は際立って手際の良い工員、という訳ではない。むしろ、どちらかと言えば、多田野に助けられる事も多く、足を引っ張っている。かといって、頭脳労働は俺にとっての最悪を意味していて、弁当魔井上のような思いの強さも持ち得ない。今日のような特殊な場面においても、俺は何の働きさえ示せない。紗季ちゃんや、紗季ちゃんの両親のように、心が強い訳でもない。

 これで、どうして、何かをしたい、などと言えるだろうか。俺は溜め息をついて、家の扉を開いた。

「お帰りなさい、武司さん」

 台所から顔を出して、すぐに桜川がそう笑顔を見せてくれた。

「ああ、ただいま」

 あまりに純潔な、清い笑顔だったので、俺も小さな笑みを分けられて、少しだけ急いで靴を脱いだ。

「清水さんと清花さんが、またご来訪下さってます」

「みたいだな。晩ご飯は、もう食べたのか?」

 いつも通り、二人分ではないほどに並べられた靴を見て、俺はそう言った。少し、時間は夕飯時を回っている。

「いえ、まだです。お帰りになるのを、待とうと思いまして。準備、してきますね」

 桜川はそう言って、玄関口まで進んできていた足の向きを、台所の方へと向けた。

「ちょっと待ってくれ」

 俺はその背中に、そう手を伸ばした。訊きたい事があった。清水と清花姉が居ない時の方が良かったが、別に憚る必要もないように、今は思えた。

「はい、何でしょうか」

 桜川が振り返る。その淑やかな雰囲気が、尚のこと俺を疑問の解決へと駆り立てた。

「桜川は……どうしてここに居るんだ?」

「武司さんを、お慕いしているからです」

 桜川は、用意されていた原稿を読み上げるように、即答した。

「それが、俺には分からないんだよ。運動も強くなくて、学もない。ルックスだって、もちろん言い訳じゃない。要領も悪くて、気分の起伏も大きくて……どうしても、桜川が俺を好きになるっていう理由が、見つからない」

「……そうですね。武司さんには、とても魅力的な人が集まってきていると、思いませんか? 清花さんはとても温かい方ですし、清水さんはしっかりしているようで、どこか無邪気な所があります。多田野さんも、夢花さんも、井上さんだって、皆素敵な方です。その真ん中には、武司さんが居るんです」

 胸に手をあてて、桜川はそう答えた。俺は、一瞬、心浮き上がるような心地を覚えた。

「だとしたら……どうして俺が真ん中に居られるのか、分からなくなる」

「ふふっ。武司さんは、心配性ですね。大丈夫です、その理由も、私にはちゃんと分かっています。お伝えするのは、恥ずかしいですけれど……」

 桜川は、そこで口をつぐんだ。そして、再び、準備をしてきますね、と言って、台所の方へと戻っていった。

 何となしに、納得はした。だが、結局、俺に何ができるのかは、分からずじまいだ。

 ……考えていてもしかたがない。俺は、自分の部屋へ戻ってから、とりあえず清水や清花姉に会っておこう、と心の中で取り決めた。




 清水と清花姉は、今では桜川の部屋になっている二階の元・清水の部屋で、例の悪趣味な人生ゲームではなく、トランプを広げて遊んでいた。

「私には分かるわよ……清水ちゃんがジョーカー持ちっ!」

 二人で、ババ抜きをしているようだった。俺は、早速耐えきれなくなって、

「そりゃ、二人なら分かるに決まってんだろっ」

 と、突っ込んだ。

「残念、実は私がジョーカー持ちなのよねぇ。って事で、武司も参加ね」

 清花姉は、ちらちらと、手元の三枚のカードを俺に見せた。そして俺が、確かにそこにジョーカーがある事を確認すると、すぐにそれを真ん中の捨て山に投げやった。

「あきゅー、酷いです。私が相当勝っていましたのに……」

 と、清水も、手元の二枚のカードを真ん中へと置く。更に、慣れた手つきで、それをシャッフルし始めた。

「二人のババ抜きだと、そんなに差はつかないだろ」

「いいえ、そうでもありません。言うなれば……ムードが、私の勝利を保証していました」

 鼻を鳴らして清水は言ったが、忙しなく動く手が、その言葉の嘘を一番に告白している。俺は溜め息をついて、部屋の空いたスペースへと腰を下ろした。

「今日、病院行ってきたんだよね」

 十分に混ぜ終え、清水がカードを配り始める。その一枚一枚を、いちいち手に取りながら、清花姉は何か特別な感じでもなく言った。

「ああ。行ってきたけど……って、そう言えば、咲歩ちゃんと会ってたんだっけ」

「うん。武司を守って下さいって、お願いしたんだよねぇ。咲歩ちゃん可愛かったし、きっと武司を救ってくれるだろうって」

「可愛さは関係ないだろ」

 俺も、清花姉の真似をして、カードを一枚ずつ確認して手に収めていく。不穏なる無言が、一瞬場を覆った。

「気持ちは分かるんだけど……でも、武司。私と清水ちゃんを置いていったのは、やっぱりどうかと思うなぁ」

 清花姉の言葉には、何となく色がないように感じられた。こういう時の清花姉は、怒っている。普段の清花姉の声は、色豊かだった。

「ごめん」

 だから俺は、先にそう一言謝ってから、

「でも、全部解決した」

 と、言った。

「……んー。先に謝られると、私も弱いなぁ。清水ちゃんはどう?」

「あきゅー。清花姉さんに、同感です」

 カードを全て配り終えて、清水がそう頷く。俺は、最後のカードをめくって、手札に加えた。

「でもね、武司。今の武司の顔、また不安そうだよ。せっかく、詩帆ちゃんと同棲し始めて、最近は明るい武司が戻ってきてたんだけど。何か、あったんでしょう?」

「何もなかったって」

 紗季ちゃんの事を伝えるような空気でもないので、俺は手元で揃ったカードを捨て山へ捨てながら、そう応じた。

「……それは嘘です。私にも分かります」

 清水が、口を挟む。一体二人は、俺の何を分かって、こうも追及してくるのだろうか。俺は続けて、揃ったカードを放り投げた。

「武司は昔から、意地っ張りだよね。ちょっとぐらい、頼ってくれても良いのにな」

 清花姉は、そう言いつつ、自分の手元の札をじっと見つめた。

「そうじゃないと、寂しいよ」

 ああ、清花姉が、悲しい顔をしている。俺は、胸の奥をちくちくと突き刺されるような感覚を得て、

「ごめん」

 と、また謝った。

「……あ、清水ちゃん、ジョーカー持ってるでしょ」

 急に、清花姉は話題を、目の前のババ抜きへと戻した。俺は、具合良く減っていく手札から、また新しいペアを捨て山へと放った。

「あきゅー。持ってません」

 清水が鳴く。と、俺は、自分の手札の異変に気付いた。

「となると……武司が持ってるのね」

「いや、俺は……」

 残り四枚になった手札には、ポーカーで言うところのツーペアが出来上がっていた。俺は、それらを、一気に捨て山に投げた。

「あ……」

 清水と清花姉の、どちらともが、息を呑んだ。俺も、言葉を発する事はできなかった。それだけ、ゲームの始まる前から手札のなくなった俺の状況は、不吉さをまとっていた。

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