49.
ザザ、ザザザ、というノイズ音が、遠くから近付いてくる。半ば強いられて、俺は目を開いた。
「あら。……武田、起きたわよ」
俺は、ベッドに横たわっているようだった。すぐ真上から、俺の顔を咲歩ちゃんが見下ろしている。髪が、滝のように俺の近くまで降りてきていて、そこから蜜柑の心地よい香りがして、照れ臭くなった俺は顔を横へ背けた。
「極度な緊張の高まり。……探偵山口咲歩は、あなたが武田に対して恋心を抱いていると判断したわ」
「……違ぇよ!」
ハイスピードに起き上がりながら、俺はそう言った。ありがたい事に、頭痛は綺麗に取れていて、気分が悪いという事もない。
「あら、元気ね。じゃあ、誰に対する恋心?」
「そもそも恋じゃねぇよ! ただの、考えすぎだ」
俺の言葉が終わると同時に、とことことこ、と足音を響かせて、武田さんが物陰からベッドのそばへとやってきた。
「お元気そうで、何よりです」
「いや、ありがとう。ベッドまで運んで貰って、助かった」
ベッドを椅子のようにして座って、俺は武田さんに小さく頭を下げた。
「さて……考えたくないのだろうけれど、あなたは間違いなく、あの紗季という子に関して何かを隠している」
咲歩ちゃんの目の色が、明らかに変わった。急に目付きが鋭くなって、突き刺すようにして俺を見つめている。
「あなたは、三時間眠っていた。その間に、色々と調べてみたわ」
「……何だよ、勝手に」
「探偵ってそんなものよ。……二人の両親にも連絡が取れた。ちょうど、いつまで待っても帰らない娘を探しに、この町に来ているそうよ。事情は説明した。あと、小一時間でここに着くんじゃないかしら」
俺は、目を見開いた。紗季ちゃんの両親がここに来る。それは、待っていた好機でもあり、また別なものでもあるようだった。
「でも、その前に、真実を解き明かさなければいけない。……ねぇ、岡村武司。あなたは、真実を知りたくないのでしょう?」
真実を知りたく、ない。いや、そうではなかった。むしろ、既に見え隠れしている真実から、俺は逃れ惑っていた。
「二人の死には関係がある、とあなたは言った。だけど、普通の目線からすれば、被害者の二人が兄妹だったというだけの関係にしか見えないのよ」
そう。あれは、事故だった。目の前で、凶弾に倒れる紗季ちゃん。警察官は、逃げる凶悪犯に向かって、銃弾を放った。その銃弾が、紗季ちゃんを貫いたのだった。警察官と凶悪犯は、二人組の演技で、その目的は紗季ちゃんの抹殺にあった……なんて、とんだ妄想だ。
「あなたは……責任を感じている。今も、顔には悲しみが満ちているもの。あなたは、その子を居候させた事で、彼女がたまたまあの現場を訪れる機会を作ってしまった、と後悔している。そして、それが偶然でなかったのだと叫ぶ事で、現実逃避しているのよ」
「……違う」
「違わない」
咲歩ちゃんが、的確に、俺の急所を狙い澄まして矢を放ってくる。俺の息遣いは、多少荒くなった。
「でも、それだけじゃない。あなたは、まだ何かを隠しているはず。だから、彼女の兄の家へ、行きたがらない」
脳裏に、笑顔の紗季ちゃんの姿が浮かんだ。あの、マシュマロのような柔らかい体を抱き締めてしまった時。ゲームをして、遊んだ時。疲れて帰ってきた俺を、出迎えてくれたあの表情。全ては、もう失われてしまったものだった。
「……私には、一つの結論が出ているわ。あなたが真実を知りたくないと言うのなら、私はそれを両親にだけ告げて、あなたには言わない。だけど、知りたいと言うのなら」
「知りたい」
俺は、思わず咲歩ちゃんの言葉を遮って、そう答えた。咲歩ちゃんは、少し表情を和らげて、小さく頷き、次の俺の言葉を待った。
「……うちに居候し始めた、一日目の夜。紗季ちゃんは、俺に目覚まし時計を借りたんだ。次の朝、俺が起きた時には、紗季ちゃんはシャワーを浴びてた。紗季ちゃんが朝からシャワーを浴びたのは、それが最初で最後だった」
紗季ちゃんの叫び声が、思い出される。熱湯に襲われた紗季ちゃんの裸を見てしまった俺は、大慌てで謝ったのだったか。
「紗季ちゃんは、家族の楽しみに飢えているみたいだった。俺達四人でやる、安っぽいボードゲームでも本気で笑って……楽しそうだったんだ。清花姉は、家族との時間があんまりないんだろう、って言ってた」
麻雀もやった。ゲームに熱中しすぎて、風呂の事故を起こしかけた事もあった。あの時も、紗季ちゃんが思い出してくれたお陰で、助かったのだ。
「……本当に、良い子だった。健気で、気さくで、器用で……。……でも、撃たれた時、紗季ちゃんはこう言った。『これは天罰だ』って。『いつか下ると思っていた』って!」
「それで、あなたはどんな仮説を立てているの?」
ずくん、と、胸の奥を強く突かれたような感触を、俺の心は感じた。胸の音が、高まる。溜まった唾を飲み込んで、一つ深呼吸をして、俺は口を開いた。
「紗季ちゃんは、お兄さんを殺してしまったのかも知れない」




