47.
病院の周りには、その大きさに見合わず全く人の影がなかった。一応、駐車場には何台か車が止まっているので、訪問客が一人も居ないという事はないだろうが、寂れていて頼りない。本当に、ここだっただろうか。
「事件の匂いがプンプンするわ……」
「病院だしな。治安も良くないし、事件に巻き込まれた人も居るだろ」
地図を確認しながら、俺は咲歩ちゃんにそう返事をした。結局、彼女を連れてこなければいけなくなったのは、大誤算だ。
「それもそうね。……ところで、あなたの両親の名前は?」
「ん、どうしてだ?」
「ふむふむ。その紗季って子とあなたの両親は、関係ない、と」
閉口する。病院まで歩く道中で分かったのは、咲歩ちゃんは探偵と言うより心理学者らしい問い掛け方をしてくるという事だ。何と言うか、誘導的に真実を語らせる技術に長けていると思う。
「……まあ、全く関係ないな」
ただ、紗季ちゃんの事にまで、学者ぶって首を突っ込んでくるのは止めて欲しかった。そこは今の俺にとって一番デリケートで、大切に扱わなければならない部分なのだ。
「その表情は不快感ね。ごめんなさい」
それから、咲歩ちゃんは表情を読む事もできるようだった。探偵より、精神科医の素質の方が彼女にはあるらしい。
「謝るんなら、ついてこなきゃ良いのに」
「それとこれとは別問題よ。あまり文句が多いようだと、減給するわよ?」
「ごめんなさい」
しかし、何と言っても権力には勝てない。
病院の手動ドアを押し開けて中に入ると、すぐに受付担当らしい女性が近寄ってきて、当病院に何かご用ですか、と言った。
「ああ。岡本紗季って子なんだけど」
「岡本……里田紗季様のご遺体でしたら、こちらにございますが」
受付の女性は愛想悪く、にこりともしない。それにしても、里田紗季とは……。
「それって、女の子か?」
「はい。銃弾を受けて、亡くなった方です」
紗季ちゃんの事で、間違いないようだ。岡本というのは、聞き間違いだったのだろうか。
<わぁ、岡が一緒です! 武司さんとは、おか友になれそうです~>
……いや、それは違う。鮮明に蘇ってきた紗季ちゃんの言葉を、脳内で反芻して、俺は首を左右に振った。
「その子の所に、案内してくれ」
「かしこまりました。……家族の方ですか?」
「いや。でも、関係者なんだ」
俺の言葉に、受付の女性は顎に手をあて、少し考えてから、
「それでは、ご遺体へのご面会いただくのは困ります」
と、言った。
「いや、ここに運ばれる前に、遺体を取りにくるようにって言われたんだ。ここの職員の奴にな」
「書類で証明ができますか?」
「それはできないけど……」
受付の女性の表情は、にべもしゃしゃりもない。まさか、こんな所でつまずくとは思わなかった。
どうしようかと迷う俺の後ろから、咲歩ちゃんが不気味な微笑を浮かべながら歩み出た。
「あなた、早く案内しておかないと、辺境に飛ばすわよ」
「お、おい、止めとけって!」
「ちょっと黙っていて。……いいこと? 私は、山口咲歩よ。聞き覚えはあるかしら」
受付の女性は、はっ、と何かに気付いたように身を震わせると、咲歩ちゃんに深々とお辞儀をした。
「よろしい。じゃ、案内なさい」
「かしこまりました。お嬢様」
知らない間に、話がまとまってしまった。案内の為に踵を返す、女性の白衣の背中には、小さく『山口病院』と書かれていた。
「山口建設恐るべし……」
思わず、俺は呟いた。
俺達を先導して廊下を歩いて行く、この受付の女性は、咲歩ちゃんが小学生だった頃の専属のメイドさんだったらしい。武田さん、という名前だそうだ。国内に敵なしと言わんばかりの山口建設の力が、怖くて仕方がない。
「まさか、私の事を忘れているとは思わなかったわ……」
咲歩ちゃんは、少し落ち込んだ様子だ。
「親しかったのか?」
「それなりには、ね。親代わりだったのよ」
廊下は長くて、次の曲がり角まで相当の距離がある。目的地に着くのはまだ先のようだ。
「母が早くに死んで、父は忙しかったから。ご飯も遊び相手も送迎も、全部彼女だったのよ。……私、六年生の時に風邪をひいたのよ。普段は気にしないような事だったのだけど、タイミングが悪くて、三泊四日の修学旅行に行き損ねてね。四日目に完治したのだけど、塞ぎ込んでいた私を、彼女は遊園地に連れて行ってくれたの。で、それが父に伝わって、勝手な行動をした彼女は左遷。今は新しい付き人が居るわ」
時々すれ違う職員は、俺達三人を器用に避けていく。俺はその度、いちいち会釈をした。
「そうか」
「今の付き人は良い人よ。規則を絶対に破らないし、ご飯もとても美味しい。あのトランプで、マジックもしてくれたわ」
「…………」
咲歩ちゃんの目は、真っ直ぐ、無言の武田さんの方に向けられていた。咲歩ちゃんは俺とではなく、武田さんと会話をしている。
「本当に優秀。非の打ち所がないわね」
「…………」
「だけど、マジックより七並べの方が楽しかった」
武田さんが、足を止めた。
「それに、規則は破らないと楽しくないわ」
「……お嬢様」
「と、いう訳だから、あなたは明日から咲歩探偵局の秘書よ。良いわね」
咲歩ちゃんが、振り返りつつある武田さんに歩み寄る。そしてある時、駆け出して、武田さんのお腹へと抱きついた。
「お嬢様……ありがとうございます」
「お嬢様じゃなくて、局長と呼びなさい」
「ありがとうございます、局長」
武田さんの声にも、感情の色が感じられた。こんな生活感のない、緑色をした病院の廊下に、二人は二人だけの空間を作り上げていた。
ひとしきり言葉を交わすと、咲歩ちゃんは武田さんから離れて、俺の方を振り返った。
「さあ、帰りましょうか」
「ど……どうしてだよっ! なんか突っ込みずれぇだろ!」
「では、引き続きご案内致します」
武田さんが歩き出す。俺達も、さっきと同じ隊列でそれに続いた。
「大体話は分かったけど……知っててきたのか?」
「ふふ、まさか。初めて知ったわよ、武田の居場所なんて」
いつもの不敵な微笑を浮かべる咲歩ちゃんの目は、だが、確かに笑んでいた。




