表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犬猿の騒乱  作者: K_yamada
二.春
43/59

43.

■ ■


 次の日、飛鳥橋の工事現場へ着くと、多田野の肩ほどしかない小さな女の子が、多田野と何やら言い争いをしていた。

「どうしたんだ?」

 歩み寄って声を掛けると、二人は一斉に俺の方を向いた。女の子の方は、幼いながらにも凛々しい自立した顔付きをしている。長い髪と合わさって、何とも言えない魅力的な外見だ。

「あなたもこの現場の人?」

 不機嫌な多田野ではなく、女の子の方が俺を見上げてそう言った。

「あ、ああ。そうだけど」

「そう。……さっき、この人にも頼んだ事だけど、繰り返すわ。工事の音がうるさすぎるの。もっと静かに、慎ましくやって欲しいわ」

 多田野が、ぎろ、と顔を女の子に向けた。

「でも、この人はずっとこんな様子なのよ。あなた、同僚としてどうなの?」

「人が黙ってたら良い気に……くそ、武司、何とか言ってやってくれ」

「こいつは確かに、同僚としては不便だな」

 多田野がよろめいた。彼の動作は、今日も面白い。多田野はそのまま、どうせ僕なんて、とうつむいてしまった。

「同情するわ。……それで、静かにはして貰えるのかしら?」

 女の子は、少し口元に笑みを浮かばせて、そう言った。

「それとこれとは別問題だ。そういう嘆願は、現場長に言ってくれ」

「あら、嘆願じゃないわ。これは命令よ。オーダーよ。あなた達はイエスサーとだけ言えば良いの」

 腕を組んだ女の子の表情は、自信に満ち満ちている。何だろう、この状況。

「……私は山口咲歩やまぐちさほ。聞き覚えはないかしら」

「いや、ない」

「そう、それは残念だわ。これからは覚えておきなさい。あなた達の雇い主の、娘よ」

 山口……そう言えば、山口土工という会社名だった気がする。その会社社長の娘、娘。社長令嬢なのだと理解するのに、少しかかった。

「あなたも役に立たないクチね……。折角だから、私の事も覚えなさいな。私は、探偵の真似っこをしている山口咲歩よ。山口探偵社の咲歩。……覚えた?」

 そう雄弁を振るう女の子は、しかし俺達の肩ほどの身長しかない。

「社長令嬢か。……真似っこって何ですか?」

「さっきまでと同じように接して欲しいわ。あなたが私に敬語を使うの、かなり滑稽よ」

「待て、僕が言う。こほん……真似っこって何なんだよ」

 多田野が、受けた心の傷を癒し終えて帰ってきた。

「あなたは敬語を使いなさい」

「ひ、酷い!」

 が、またすぐに帰っていった。

「私は探偵志望なの。ただ、父親が過保護だから……私としては、まともな探偵らしい事は、まだできていないのよ。実績だけは積み上がっていくのだけど」

「山口土工って、そんな大会社だったっけ……?」

「あら、業界最大手よ? ……あ、私の昨日の晩ご飯は、キャビアふりかけ」

 ブルジョワジーっぽいメニューだ。それを食べる自分の姿が、ちっとも頭に浮かばない。

「繰り返すわ。もうちょっと静かに工事を進めること。これは、山口土工としての命令よ」

「ああ、現場長に伝えとく。……で、どうしてまた、社長令嬢直々のおいでなんだ?」

 そう言ってから、未だに復活しない多田野に、現場長への言伝を頼んだ。多田野はぐったりした様子ながら、小さく頷いて奥へと歩いていった。

「よくぞ訊いたわね。褒めてつかわすわ。……良い? 山口探偵社は仕事を探しているの。どんな事でも良い、調べたい事はないかしら」

 社長令嬢……咲歩ちゃんは、そう言って俺の目を真っ直ぐに見た。

「咲歩ちゃん。今、何歳だ?」

「十六よ。でも、舐めないで欲しいわ。実績は神がかり的だから。……あと、ちゃん付けはやめなさい。子供扱いされているみたいだわ」

 子供じゃないか、という言葉が出かかったが、俺は何とかそれを留め、代わりに皮肉らしく、

「お父さんの力でだろ?」

 と、言った。

「な……。何故、それを?」

「さっき自分で言ってたからな」

「……中々やるわね。気に入った。あなた、山口探偵社に転職しない?」

 依然、咲歩ちゃんは俺をじっと、口元に余裕の笑みさえ浮かべながら見上げている。俺は一瞬、答えに詰まった。

「サラリーは弾むわよ。今の三倍でどうかしら」

「さんばっ……」

 突然に、給料三倍の衝撃を与えられた俺は、大いに咳き込んで取り乱した。

「平民ってあれね、お金に飢えすぎ」

「誰が平民だっ! ……ってか、遊びに大人を巻き込むなって」

「遊びじゃないわ。お金持ちの道楽じゃ……ないのよ」

 最後は少し詰まりながらも、咲歩ちゃんはにやりと笑みを浮かべた。

「それで、答えはどうなの? イエス? アイアグリー? それともラジャー?」

「全部一緒じゃねぇかっ。……断る。探偵業に興味はないし、この仕事も気に入り始めてるからな」

「ふうん……。気に入り始めてる、ねぇ……」

 咲歩ちゃんの笑みが、いかにも悪戯っぽく、濃く変わる。まるで子供ではないようだ、と俺は感じた。十六歳と言えば、まだ高校生の若い方の筈なのだが。

「それは嘘ね。顔に出ているわ。……私を信用できないと言うのなら、今の仕事からも解雇するけれど」

「そういうの、権力の濫用って言うんだぞ」

 俺はそう言って、咲歩ちゃんの不敵な笑みをかわした。本当になられると困る。

「……じゃあ、何か私に依頼してみなさい。ずばり、解決してみせるわ」

 咲歩ちゃんは、俺の頑ななのに気付いたらしく、少したたずまいを正してそう言った。

「そうしたら、あなたも私の下で働きたいと思うようになるはずよ。ええ、間違いないわね」

「あのなぁ……じゃ、多田野のガールフレンドの真意を調べてくれ」

「そういう色もののネタは専門外よ」

 わがままな奴である。しかし、多田野の事以外に、自分で解決したいと思わない謎は抱えていない。俺は少し、頭をひねった。

「ただいま。ちゃんと伝えてきたよ」

「お疲れ。あ、俺明日休みたいんだが、現場長に伝えてきてくれるか?」

「こき使いまくりかよっ!」

 多田野は大いに憤慨しながらも、来た道を戻っていった。とても良い奴である。

「あなたが山口探偵社に入ったら、あんな感じで私にこき使われるわ」

「今、入る気が完全に失せたんだけど」

「な……。あなた、マゾヒストでしょう? あなた、岡村武司よね?」

 咲歩ちゃんは、隠さなくても良いのに、という感情が薄っすらと混じった、驚きの表情を見せた。と言うか、誰から名前を聞いたのだろう。

「違ぇよ! 俺は真っ当な性癖持ちだっ!」

「あら。じゃあ、どんな子が好みなの?」

「そりゃあ、非力でも健気な女の子とか……」

 と言った俺の眼前、咲歩ちゃんのすぐ後ろに、夢花ちゃんの姿が見えた。

「えと、ううと、ごめんなさい。私、武司さんを尊敬しています。でも、それは恋心じゃないんです……」

 夢花ちゃんはそう言って、俺をきっと見つめた。そこへ、多田野が帰ってきて、

「ロリコンめ。けど、僕は味方だからね」

 と、言った。夢花ちゃんの真っ直ぐな目に、多田野の温かい眼差し、そして咲歩ちゃんのじとっと湿った視線。

 俺は、挫けた。

「……うわああ!」

 俺はそう叫びながら、自分の持ち場へと駆け出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ