39.
昔のアニメにあった、ロボットが大掛かりにトランスフォームする時の音に、故障した洗濯機の断末魔とハンマーで壁を叩いた時の音を加えたような烈音が、俺の部屋から響いていた。
「あ、武司。お邪魔しています」
何が起きていても驚くまい、と心を決めて扉を開くと、すぐに中で清水がそう言葉を発した。
「お帰りなさい、武司さん。お部屋にあった『転落人生ゲーム』、お借りしています」
床には、ファミリーゲームとは思えないほどに暗い色で構成されたボードが置かれ、その周りには『一万ドル負債券』が散らばっている。これだけ見ただけでも、心がどよっとするゲームである。よくこんなものに手を出したものだ。
「これで、二ゲーム目なんです。さっきは、あと少しという所で、清水さんに抜かされてしまって……」
「ふふふ……債務整理の力は甚大でした」
「やなゲームだな。……で、ここは俺の部屋なんだが」
何となく、このゲームをやられると部屋の運気が下がるような気がする。
「はい。それで、今は第二ゲーム目なんです。今度こそ、清水さんには負けられません」
「私も、武司のフィアンセに簡単に負けてあげる訳にはいきません……!」
ああ、この二人は、俺の話をまるで聞いていない。
「そうですねりフィアンセとしても、負けられません」
「いやいや、そこは否定しろよ!」
気付かない間に恐ろしい約束が既成事実に変わってしまう所だった。桜川も、あの事件前と後で、大きく印象の変わった人物の一人である。何と言うか、より積極的になった。
「でも、真実ですから」
それから、謎の強固さを見せるようにもなった。
「真実じゃねぇよ!」
「ふふ、武司さんは照れ屋さんです。……さて、ゲームも良いのですが、私もそろそろ晩ご飯の支度のお手伝いに行かないといけません」
そう言うと、桜川は立ち上がって、出されていた自分のおもちゃのお金を、おもちゃの銀行へと戻した。
「次戦は、またの機会にしましょう」
「あきゅー。了解です!」
「では武司さん、失礼します。……あ、そうでした。お帰りなさい」
俺の一番照れる言葉を残して、桜川はいつもの丁寧で綺麗な身のこなしで、部屋を出て行った。
清水は、俺と二人きりになった瞬間、少し表情を引き締めて、
「武司。いくつか、伝えておかなければいけない事があります」
と言った。
「どうした。水が注げるようになったとかか?」
「違います。……エー地区主戦論派の最硬派だった男の証言では、あの施設ではバイオ兵器も開発していたそうなんです。でも、その兵器が、私達がいくら探しても見つからない。つまり、誰かに持ち去られた可能性が高いらしいのです」
俺は、昔見た古代のホラー映画を思い出した。流出したバイオウイルスが、人間を侵食してゾンビへと変えてしまう。あれは、改めて思い出しても素晴らしくホラーだった。
「男によると、人体に影響のある物ではないそうです。ただ、動物の体内に侵入して脳へ至り、理性機能を麻痺させる性質がある、と」
「何だか難しい話だな。結局、下手をするとどうなるんだ?」
「ファンタジーゲームのように、凶暴化した動物が街の外れを跋扈するようになります。経験値もお金もアイテムも落としてはくれませんが、人を襲って暴れ回ります」
怖い。世紀末という感じだ。
「それ、大丈夫なのか?」
「まだまだ未完成との事ですから、当分は大丈夫だと思います。ですが、早めに取り返しておかないと、大変な事になります。……いえ、だからといって、武司が何かするという話ではないのですが」
清水はそう言って、笑った。だがどうやら、思わず危なげな話である。俺はその話を、記憶に留めおく事にした。
「……んで、さっきから部屋中に流れてる轟音は何なんだ」
「これは、『転落人生ゲーム』に付属していたBGMです。何だかおちつきませんか」
「どこがだよ!」
音を発しているらしいラジカセを適当にいじって、音を止めた。やっと落ち着いて溜め息をつく俺に、清水は少し膨れた顔で、
「武司には、音楽センスがないのですね」
と言った。
「あれは音楽じゃなくて、ただの騒音だろ。よくあんなもん、ずっと流してたな」
「……そう言えば、武司」
「ん」
清水が急に改まった表情をしたので、俺も少し姿勢を直して、次の言葉を待った。
「ご結婚、おめでとうございます」
がくっ。
……今日も平和である。俺も俺の周りも、驚くほどに生き生きしているようだった。こんな日々が、今の所終わりそうにない。それは、ひどく幸せな事だと思った。




