36.
やがて、目標とする建物へと辿り着く。巡回警備員達は、まだ異常に気付いていないらしく、当座の課題はどうやって建物内へと侵入するかだった。
まず、清水は各窓を回って、鍵の掛かっていないものがないかを見た。そして、どれもが厳重に施錠されている事を確認すると、銃を一番大きくて強そうな窓へと向けた。
発砲音と、ガラスが弾を受け止める音。その二つの轟音が、ほぼ同時に起こった。と同時に、清水は、建物に沿って走り始めた。全く意図が掴めないまま、俺も走る。警備員達も、さすがにあの音には気付いただろう。音のした窓の方へと集まるに違いない。そう考えた所で、ようやく清水のアイデアが理解できた。清水は俺の予想通り、さっき銃撃した窓のちょうど反対側にある窓の前で、立ち止まった。
清水の銃撃で、窓が割れる。俺達はそこから、建物の中へと侵入した。
「多分、維持戦線派に取り込まれたのだと思います。そうでなければ、まず私を保護して、武司を警戒するべきです。それでも、先にパスワードを訊いてきたのは、知らなかったら助けてやろうという気持ちだったのでしょう」
「優しいな、敵も」
「私と恋仲だった人ですから。……さあ、行きましょう」
凄い事実をするっと言われてしまった。何と言うか、俺の知っている世界とはそういう部分について全く違うらしい。ついていけなくなりそうな気持ちを引き締め、歩き出す清水の背中を追った。
建物の中は、割って入った部屋こそ書斎のような作りだったものの、扉から廊下の方へ出ると、いわゆるリノリウム仕立ての床に鉄製の扉と、施設らしい内装に変わった。
狭い廊下には、隠れる物陰がない。角を利用して、さっきの轟音によってかなり数の減った警備員をやり過ごして進んでいくと、つに、大袈裟な銀と金の装飾をなされた大きな扉へと辿り着いた。
「中には、二人警備員が居ます。騒ぎを起こしましたから、かなり警戒しているでしょう」
「手刀でずばっとやるんだな」
「違います。……拳銃を使うか、この小型煙幕玉を使うか、です。残った方を、脱出に使います」
あの男が右手に握っていたのは、煙玉だったのか。
「銃の方は……あと、四発あります」
少し考える。拳銃を逃走に使うとなると、追っ手を撃つという事だろう。残り四発しかないあの銃で、保つのだろうか。
「突入に拳銃、脱出に煙幕弾かな」
「あきゅー。正解です。では、行きましょう」
試されていたのか。清水は、非常に高度な技術によるものと思われるパスワード入力装置に、「√scer」と打ち込んだ。わずか一瞬中で動作音がして、扉は自動でスライドして開いた。
同時に、清水が四発、向こうに見えた影へと弾を放つ。俺が指をくわえる隙もなく、清水は拳銃を投げ捨てた。
「く、くそ……!」
中には、清水の予想通り、二人の警備員が詰めていたようだった。更にその内一人は、両足を撃ち抜かれて倒れこんでいた。
「……武司」
清水が、扉とは反対の方を指差す。もう一人の男は、全く被弾せずに俺達に銃を向けていた。
「煙幕玉を使っても、同時に発砲されれば当たります。でも今なら、一人は逃げられますから……」
瞬時に、俺は首を振った。逃げるなんて、そんな格好の悪い事はできない。そもそも、ここまで何もしていないのだ。そろそろ男を見せる頃だった。
「じゃないと、俺が居る意味がないからな」
走る。走ったままポケットから、いつどこで入れたのかも分からないレジ袋を取り出して、良い感じに囮として体を左右させながら男へと突き進む。
「猪めぇ!」
だん、と音がして、鈍い痛みが左太ももを襲った。
「武司っ!」
思いの外、事は甘くなかった。敵はプロである。だが、左足が駄目になったぐらいなら……。
「……え……お」
ぐらり、と世界が回った。意識が遠くなる。ああ、左足から、全てが抜けていく。たったこれだけで、終わるなんて。なんてふがいないんだ。
ぽすり、と俺の顔にレジ袋が落ちてくる。それをどける力さえなく、俺は目を、閉じた。
<あなたは体が弱いし、要領も悪いし。だから、しっかりと生きなさい>
<何事も、思い通りには行きません。だけれども、だからこそ、何かを思い続ける事に意味はあるのです>
<相応の代償を。そうすれば、手に入らないものなんて、ありません>
声が、俺を支配していた。今までに聞いてきた、沢山の声が、俺を囲んでいた。
ああ。どれだけの日々が、俺を支えているのだろう。あるいは、俺は独り立ちして生きてきたのか。分からない。ただ、今俺を包んでいる全ては、言葉だった。
「考える……。思い続ける……」
何を。
「…………」
夢。答えは、すぐそばに、あった。
たっ、たっ、たっ、たっ。規則的な音と振動に、俺は目を覚ました。誰かにおぶわれている。空が暗くて、月が大きい。涼しい夜だった。
「……武司、起きましたか」
すぐ隣を、清水が走っていた。俺は、何をしているのだろう。
「漢ですなぁ、兄ちゃん。お陰で、すんでの所で間に合った。ありがとうよ。うちのお姫様を助けて貰って」
「武司が倒れてからすぐに、私の仲間が駆けつけてくれたんです。兵器は、無力化に成功しました」
「そっか。そりゃあ良かった」
俺は救われたらしい。足は白い布でぐるぐるに巻かれていた。気付いてしまったせいか、急に左足に痛みが走った。
「カリナ姫の帰還、か。これは、感動的な結末だな。ねぇ、カリナ姫よ」
「姫なんて、呼ばないで下さい」
「本名は、カリナっていうのか?」
ひどく頼もしい、広い背中から、そう清水に訊ねた。
「いえ。カリナは、コードネームです」
「カリナ姫、まででコードネームじゃなかったか?」
「あきゅー。違いますよ」
親しげに、二人が笑う。何となく悔しい。妬ましい。
「あ、そうです。まだ、私達は逃げている所なので、安全ではありません」
嫉妬している場合ではなかった。
「さっきの煙幕玉を、遠くに投げてみたらどうだ?」
「あきゅー。ごめんなさい、さっき使ってしまいました」
「兄ちゃんが目を覚まさないんで、ちと煙玉でつんつんしてみたら、暴発してな。がはは」
がははとか笑ってる場合ではない。何してくれてるんだ。
「……まぁ、良いや。で、戦争は終わるのか?」
「終わるでしょう。エー地区には、玉砕戦か和平しか残っていませんから」
「そりゃあ、良かった」
呆気なかったが、その分鋭い痛みが、俺の夢の達成を祝っているようだった。
次は、どんな夢を見よう。そう思った所で、俺は睡魔に吸い込まれた。
当初の予定を大きく逸脱して話が進んでいくと、どうにも怖いものです。あまりまとまり良くはありませんが、ここまでで一章としております。
二章からはより明るく、突拍子もない、そんなお話を考えております。もちろんここまでの一章との関わりも大いにあります。これまで読んで下さった皆様方、ありがとうございました。ぜひ、続けて読んで頂ければ、幸いです。




