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犬猿の騒乱  作者: K_yamada
一.夢
35/59

35.

 ひとしきり気持ちの整理をつけた俺と清花姉は、なおも急ごうとする清水を落ち着かせて、夕飯の席につかせた。明日、清水の目的を達する為に行動を開始する。だから今日だけはゆっくりして欲しい、という俺達の意図を清水は汲んで、素直に従ってくれた。

 ただ、ずっと、無言だった。温かいご飯も、愛しい人も、会話がなければどこか空しい。これまで会話の起点となっていた清水が静かで普通だった為に、俺達は会話を始めるタイミングを完全に失っていた。

 そうして、三人で居るのに寂しく夕飯を終えた俺達は、食事の片付けをしたり風呂の準備をしたりと、それぞれの仕事を始めるのだった。




 一通りの風呂の準備を終えた俺は、自分の部屋に戻って棚や机の上を整理していた。身辺をきちんと整えておかないと、どうにも落ち着かない。そこへ、トントントントン、と、扉をノックする音が響いた。

「どうぞ。清水か?」

 まだ、台所から皿洗いをする音が聞こえていたので、俺はそう推測して言った。扉が、遠慮がちにゆっくりと開き、その隙間から中へと入ってきたのは案の定、清水だった。

「ごめんなさい。少しだけ、お話ししても良いですか?」

「ああ。いや、少しだけだと、寂しいけどさ」

 俺の冗談は意に介さないらしく、特に何か反応を示すでもなく清水は机の前に置いた椅子へと腰を下ろした。その動きはいかにも冷静でゆっくりとしていて、普段の落ち着きない清水とはやはり一線を画している。

「今日は、突然変な事を言い出したりして、ごめんなさい。武司も清花姉さんも、混乱していたのに。でも、これも、使命の為なんです」

「ああ。分かってるよ。……使命かぁ。清水、お前がいくつなのか知らねぇけど、それは凄く立派な事だと思う」

 いくつであろうと、清水は自分の最も楽しみ、はしゃげる時期を、この重い任務に吸い取られているのだ。俺が辛い中にわずかの安らぎがある生活を捨てきれなかった事に比べれば、驚くべき事である。それも、こんなにもか弱い女の子が。

「昔、あるお話を読みました」

 清水は椅子に軽くもたれ、とても緊張した面持ちでそう言った。

「お話と言っても、短くて、荒くて拙い物でした。ですが、そのお話に登場する女の子の叫びには、力があったんです」

「どんな話なんだ?」

「未来の地球の人類が、発生したゾンビのような生き物によって滅亡の危機に瀕していて、その中で主人公とその女の子が後世に歴史を書き残そうと奮闘するお話です」

 はっきり、鮮明に覚えているらしく、清水の声には張りがあった。

「それだけ聞くと、面白くなさそうだな」

「あきゅー、さほど面白くはありません。内容も、あやふやにしか覚えていませんし。ですが、その女の子の言葉だけは、今でもよく覚えています。『そんな事やりたくないのに、やりたくなかったのに、私は義務感を、義務を果たさなければならなくなった』と」

 義務、義務感。それは一体

、清水にとってどれほどの意味を持つ物なのだろう。

「私は、そんな風に感じた事はありませんでした。いつでも、自分の思うままに生きてきたんです」

 清水はそう、頭を振った。

「……難しく考えるなよ」

 その頭を、これまでに何度もしてやったように撫でてやりながら、俺はゆっくりと言葉を発した。清水が何を言わんとしているのか、全く見当もつかない。だが、こんな風に緊張した辛そうな顔をするぐらいなら、言わない方が良いように思えた。

「どうであれ、お前は立派だよ。だから、細かく考えなくって良いんだ。……多分」

「あきゅー。……ありがとうございます。でも、多分では不安ですよ」

 清水は笑った。もしこれが愉快な冒険活劇だったなら、俺は清水の話を聞いて、励ますのだろう。だが、現実の、実際の俺には、恐ろしく深いかも知れない穴へ自ら降りた清水を、すくい上げる事はできなさそうだった。

「もう寝よう。明日は、早いんだろう?」

「そうですね。一刻も、無駄にはできませんから」

 穏やかな、安らぎの表情。それを浮かべる清水を、失ってはいけないと思った。




 目覚ましの音で、俺はゆっくりと体を起こした。

 夢なんて見なかった。紗季ちゃんが突然に死んで、清水に記憶が戻り、慌ただしい心中だったのもその原因の一つかも知れない。だが、それだけが理由という訳でもない。自分の手で、この国を救う。俺の夢は現実の、目の前にあった。どうして無意識の夢など、見ていられるだろうか。

 俺が台所に入った頃には、既に清水も起きて椅子に座り、清花姉と朝食を口にしていた。ちゃんと俺の分も用意されていて、俺は二人に声を掛けて椅子に座り、ある程度に会話を交わしながら、そのトーストを食べ始めた。

 紗季ちゃんの事もあったのに不謹慎かも知れないが、俺達の会話はいつものように弾んでいた。何も、特別な話をする訳ではない。今日のトーストはBランクだとか、玉子がなくなったから買いにいかないといけないとか、そんな話だ。清水も、どんな心境なのかは分からないが、積極的に会話へと参加してくれた。ずっとここにあった日常が、そのまま今に映されていた。こうして皆で食卓を持つ事に、こんなにも大きな意味がある。最近になって気付いたその事実は、とても尊かった。

 そして、ついに、今。俺と清水はそれぞれ小さなかばんを肩に掛けて、玄関口へと立っていた。

「じゃあ……武司」

 清花姉はさすがに心配げに、華やかでない質素な自分の服をぎゅっと掴んで、俺の顔をじっと見つめた。

「大丈夫だよ、清花姉。絶対帰ってくるから」

「……生命保険、かけ損ねたなぁ……」

「って、酷ぇ!」

 明らかな照れ隠しだった。清花姉は優しい。俺達を心配するその胸中は、察するに痛々しかった。

「まぁ、かけ損ねた生命保険の分、武司と清水ちゃんが帰ってくるなら良いかな」

「稼ぎ頭とマスコットだからな」

「そうそう。それに、寂しくなっちゃうしねぇ」

 昨日の紗季ちゃんに続いて、俺達が今日を最後に帰ってこなかったら。そんな不安が、清花姉の胸にはあるのだろう。だが、そんな清花姉の心を分かっても、俺はもう俺の夢を手放せなくなっていた。

「武司、そろそろ」

 清水がそう、俺の服の袖を引く。

「ん、そっか。じゃ、行ってくるよ」

「うん。頑張ってきて」

 靴をもう一度履き直して、俺はノブを掴んで扉を押し開いた。ぎぎぎ、なんて不粋な音もなく、扉はすんなりと開いた。

「あきゅー。行ってきます」

「いってらっしゃい、清水ちゃん。応援してるからね」

 扉から、道路へ出るまでの狭い廊下を、後ろから清花姉に見送られながら歩く。これを今世の別れとするつもりはないのに、何となく寂しい。振り返りたくなる気持ちを抑えて隣を見ると、清水もちょうど俺の方を見た所だった。

「……何だか、変な感じです。記憶をなくしていた一ヶ月の時間が、こんなにも惜しく、愛おしくなるなんて」

「良いだろ、それでも。どうせ帰るんだしな」

 故郷に錦を飾るように、夢を達成して帰ってくる。帰るまでが夢だった。

「私が、ここに帰るかどうかなんて、分からないじゃないですか?」

「え、違う所に帰るのか?」

 そう言えば、その可能性に関しては何も考えていなかった。どこかに身寄りがあるのだろうか。

「……いえ、許されるならここに帰ってきます。お二人はとても、温かかったですから」

「そっか。それなら、二人で帰らないとな」

 廊下を出て、敷地外への小路へと出る。改めて見上げると、愛おしい建物はどこかくたびれて見えた。必ず帰ってこようと思うには、少し頼りない。だがそのぐらいの方が、俺らしくて良いように感じられた。

 道路をいくらか歩く内に、清水の表情は少しずつ厳しい引き締まったものへと変わっていった。それに応じて、俺の心も昂ぶってくる。

「抜け穴から中に入っても、警備の内情は変わっているかも知れません。成功確率は、あまり高くないです」

「まあ、ある程度はリスクがないとな」

「あきゅー。何だか、楽しそうですね」

 やれやれ、といった風で、清水は目を閉じた。新鮮な清水の姿は、やはり可愛らしい。俺はその顔を見て、笑った。

 天候は、俺達を祝してか非常に良く、青空の下には温かい風がそよいでいる。こんな日に、もし何もする事がなければ、三人でピクニックに出かけたいほどだ。

 どうして、上手くいかないなんて事があるだろうか。俺は、そう思った。




 一辺百メートルの正方形に、その施設の全ては詰まっていた。あのメールにあったような、重要な施設群としては、ひどく手狭に思える。

「豪華だと、ビー地区の人々に場所が洩れてしまいますから。近代……資源の限界を見た近代では、情報が何よりの武器であり、そして弱点でもあるのです」

「なんか、軍事の専門家みたいだな。清水には似合わないけど」

「そうでしょうか。……ここからは、無駄話は厳禁です。静かに、私の後をついてきて下さい」

 かばんから水を一口含んで、飲み干す。清水はそうしてから、指でくいくい、と進行方向に合図をした。無闇に音を立てられない施設内部での意思疎通に、清水から簡単な合図を三つ教わっていた。一つは大きな動きで一方向を示すもので、先行して次の地点まで移動せよ、または逃走せよ、の合図。これは使うのは非常時のみだが、何よりも重要な合図らしく、清水は一番に教えてくれた。次に教わったのが、手のひらを下にして二度上下させる動作。これは、ここで待機せよ、の合図で、主に清水が先行して辺りを観察する時に使う。そして、最後の一つが、人差し指で出口の方を指差す、離脱せよ、の合図だ。俺が足手まといになりそうな局面で、清水はこれを出すかも知れないと言っていた。

「分かった。……頑張るぞ、清水」

「……はい」

 だが、女の子に後事を任せて逃げ帰るようでは、俺の夢は切ないばかりである。俺は、たとえその合図が出たとしても、首を振って嫌がろうと考えていた。

 外周を少し歩くと、やがて、施設敷地内に通じそうな塀の穴があった。清水が、迷いなくその穴をくぐる。続いて、俺もその穴に身をねじ込ませ、反対側へと抜け出した。

(うわ……)

 俺が抜け出た塀の内側には、まさに軍事施設の集合といった景色が広がっていた。外からは高い塀に巧妙に隠されていて見えないのだろうが、中に入るとその建物達が重要施設群である事は明らかである。

 見物をしている時間はない、とでも言うように、例の引き締まった表情で清水が歩き始める。俺もそれに続いて、できる限り距離を開けないようにして歩いた。

 大きな建物の陰で、一度立ち止まる。清水は無言で、そこから三つほど小さな小屋ほどの建物を越えた先にある、大きな建物を指差した。多分、あれが目指す場所なのだろう。俺はそう理解して、頷いた。

 無気力そうな巡回警備員を一人やり過ごして、次の建物の裏へ回り込み、また止まる。清水は一歩踏み出て先を見渡して、すぐに手のひらを下にして上下させ、待機の命令を出した。

「カリナ、カリナじゃないか! 君は死んだものだと、思っていたんだが……」

 だが、歩き出そうとした清水の前に、男が一人現れた。男は身構える俺に、

「そちらは協力者かな。安心してくれ、私は彼女の仲間だ」

 と言った。

「……そうなのか?」

「はい。……そうです」

 清水の返答には、どこか間があった。

「パスワードは、首尾良く手に入れたのかな。もしそうなら、教えてくれ」

 清水は答えない。忘れてしまったのだろうか。確か、パスワードは、√sce……。

「…………」

 無言で、清水は俺を振り返った。何の合図も動作も行われなかったが、その静かな表情から、俺は口を固く閉じた。

「こんな所で、大声に言う訳にはいきません。耳打ちしますから、ちょっと来て下さい」

「なるほどな。カリナは昔から、用心深かった」

 男が、清水に歩み寄る。そのま、男がその口元に耳を近づけた時、清水は右手を手刀として、彼の首の後ろを強打した。

 全く無抵抗に、男は清水に支えられながら、地に倒れた。

「な、仲間だったんじゃないのか?」

 清水は答えない。ただ、倒れた男の右手に握り締められていた小さなボールと、腰に装備していた銃とを自分の手にとって、また次の建物へと歩き出すだけだった。

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