34.
「それは、一ヶ月ほど前の事でした」
清水は目を細めて、まずはそう一言言った。いつもと違う表情。それが、俺達の荒れに荒れた心を、更に強く揺さぶっていた。
「私は、エー地区に所属しているスパイ候補生でした。女性スパイというのは、様々な手段で敵の情報を獲得し得るので、エー地区では重視されていたのです。同様に母親は、情報室の警備員を務めていました」
父親は、と言い掛けた清水の足が、机の脚を蹴った。鈍い音が辺りに響いて、すぐに止む。
「父親は……早くに死んでいました。二年前の事です。その頃から既にエー地区の劣勢は明らかだったのですが、軍部中枢にあった父は強い主戦論者でした。そのせいで、エー地区軍部内にもあった反戦勢力によって、殺されてしまったのです。よりにもよって、私の目の前で」
清水はそこで、言うに難い事を言い切ったという様子で、一息ふぅ、と吐いた。
「それがさっき、フラッシュバックして、私は思い出したのです。……話を戻します。私はスパイ候補生でしたが、同時に反戦グループの一員でもありました。父を殺したそのグループで活動する事を母は嫌い憎み、私を遠ざけましたが、私の脳は戦争を止める、という一つの事にだけ熱心になっていました」
饒舌な清水は、もはや清水ではなく、初めて見る女性と言って間違いなかった。彼女が辿ってきた道は、険しい。
「そして一ヶ月前。私達はついに、戦争が今にも持続している原因となっている、兵器の存在に辿り着きました。その兵器を無力化する方法も、同時に気付きました。情報室にあるパスワードを手に入れれば、戦争を止める事ができる。私達は綿密な計画を立て、私がパスワードを獲得しに情報室へと忍び込みました。首尾良くパスワードを得た私でしたが、その帰路、たまたま自主巡回をしていた母に遭遇してしまったのです」
清水がそこで、一息入れる。俺達はすっかり、失われた紗季ちゃんという存在を一時忘れるほどに、清水の話へと引き込まれていた。
「母はきっと取り乱したのでしょう、そばにあった非常警報スイッチを押して、すぐにしまったという顔をしました。でも、サイレンの音で落ち着きを取り戻した母は、近くの窓を開け、私に携帯電話を手渡し、この先の抜け道から外に出なさい、と私に耳打ちしたのです。私はそれに従って、窓を乗り越え、施設の敷地外へと脱出しました」
施設の外に出た清水は続いて、母から与えられた携帯電話を開いた。そこにあったのは、詳細な施設の地図と、母が清水に宛てた短い文章データだった。
「『門違いにも、あなたを恨んでごめんなさい。』そう書き出した手紙は、私と父親への想いで詰まっていました。きっと、いつか、私に送るつもりだったのでしょう。母の愛に打たれた私が次に思い当たったのは、これからどうしようという考えでした。パスワードは手元にありましたが、それを仲間に伝える方法がありません。母がどのようにして私をかばってくれているか分からない以上、何食わぬ顔をして施設の中へ戻る事もできなくなった私は、自分の命を懸けてでも中へ潜入して、兵器を止めようと決めました。そして失敗してしまった時にも、もう一度チャンスを残せるよう……誰かに届けと、メールを打ったのです。そのメールはそして、あなたへと届きました」
清水の声があまりに透き通って、また淀みなかったので、俺は息をつく間もなく耳を働かさせられた。
「再び施設に戻った私は、母が吊るされて、銃で撃たれて殺される場面を目撃しました。きっと、私に害の及ばないよう、全てを被ってくれたのでしょう。その現場を見てしまった私は、ショックと悲しみとで、心を喪失しました。そうして、よろよろと施設を出て、さまよい、たまたま奇跡的に、武司、あなたの家に辿り着いたのです」
かたん、と音を立て、清花姉が立ち上がる。清花姉はそのまま清水の後ろへと回り込むと、その体に腕を回してそっと抱き締めた。
「辛かったね、清水ちゃん。頑張ったんだね、清水ちゃん」
「……あきゅー。温かいです」
そう言って、清花姉のされるがままになる清水は、俺の知っている清水の姿と同じだった。
「うん。清水ちゃんも、温かいよ」
そうか。この清水も、強くてしっかりしている清水も、やはり清水なのだ。
「……ごめんなさい。一ヶ月もの間、ありがとうございました」
「何言ってんだよ、二人でさくっと片付けて、帰ってくるに決まってるだろう?」
「二人で?」
久しぶりに口を開いた俺の言葉に、清水はそう訊き返した。
「ああ、もちろんだ。清水一人で行かせたら、清花姉に俺が蹴り殺されるからな」
「いや、絞め殺すけどね。それもじわりじわりと」
「怖ぇよ!」
俺と清花姉の小さな漫才に、清水はくすくすと笑った。その笑顔はまさに、俺達の知っている清水だった。
「うん。二人でいってらっしゃい。……紗季ちゃんの事は、私が全部受け持つから」
清花姉はそう言って、目を閉じた。清水もそれに倣って目を閉じる。
「ああ、そうだな……」
俺も二人に従って、紗季ちゃんを想って、じっとまぶたの裏を見つめて、祈った。




