29.姉愛
シチューに海老フライという、貧しい我が家においては絶品の食卓を、俺達は囲って談笑に没し始めた。取り留めのない、さほど意味のないような会話ばかりだったのだが、俺達にとってそれ以上の話題など必要はなかった。
「清水ちゃん、凄いんだよ。お水も一人で注げるようになったし」
「えっへん。当然です」
「本当にな」
紗季ちゃんも、いつもより幾分か寡黙ではあるものの、終始笑顔で俺達の会話を聞いている。まるで、四人合わせて全員が兄妹姉妹のようだ。やんちゃな姉、優しい上の妹、ちょっと夢見がちな下の妹。何となく、どこかで聞いたような家族編成ではあるが。
「……まあ、清水の場合、夢見がちってレベルじゃねぇよな」
「ん、何の話?」
「いや、こっちの話」
言いながら、スプーンですくったシチューをすする。厳密な管理の上でよく煮込まれたシチューには、玉ねぎやじゃがいもがよく溶けていて、濃厚な味わいがある。決して良い肉ではないのだが、その為に中の鶏肉はよくよく柔らかくなって、またスープと絡んで絶妙な味わいを呈していた。
「ん……そういや、どうして海老フライなんだ?」
ホワイトソース香るシチューと海老フライは、ミスマッチとは言わないまでもベストマッチとは言えないように思えた。
「ええと、私が頼んだんです。海老フライとシチュー、どちらも大好物なんです~」
「そそ。きっと二,三年後には、海老フライ定食にシチューが付くようになってると思うよ」
それだけはないと思う。
「あきゅー。ソースも美味しいですが、シチューを掛けて食べるのも、中々の味です」
「わぁ、さすが清水さんです。私も、最後の一尾はそうやって食べるんです。美味しいですよね~」
「へぇ。俺もやってみよっと」
残り一尾と半分になった海老フライの内、恐る恐る半分の方をシチューに浸けて、口に運んでみる。
「ん……む……」
とても、微妙な味わいだった。不味くはないが、決して美味しくもないような。きっと、女の子には合う味なのだろう。
「う、うん。美味しいよね、ねぇ、武司?」
「ああ、まあ、そうだな」
食べてみて、俺と同じ感想を抱いたらしい歪んだ笑顔の清花姉に、一応頷いておく。清花姉は、どうやら女の子ではなかったようだ。
残り一尾の海老フライを、大切にレモンで食べ、シチューを喉を鳴らして飲み干すと、俺は満腹の満足感に満たされた。
「ごちそうさまでした」
丁寧に、全員で箸を置く。平和な一家族の理想が、ここにはあるようだった。
土曜日には、紗季ちゃんは自分の家へと帰ってしまう。だからせめてそれまでは、この平穏を壊したくない。俺は心から、そう思った。
食後の少しの会話を終えて部屋に戻った俺は、かばんの中でわずかに灯る携帯電話の光を見つけて、一瞬たじろいだ。今日は、かの不思議なメールの最終日だ。今届いているメールには、送り主の伝えたかった全てが書かれているのに違いない。送り主が本当の事を言っているのだとすれば、恐らく、戦争を止める為の精密な手順が。
俺に、そんなメールを読む権利があるのだろうか。それを果たす気のない俺に、好奇心だけでそれを開く権利が。
(……いや)
そんなもの、あるはずもなかった。今を不満とし、戦争を止めたいと切に願う誰かに、きっとその権利はあったのだろう。俺は、そうではなかった。
「武司、ちょっと良い?」
閉め切っていた扉の向こうから、清花姉がそう声を掛けてきた。
「ああ、入って良いよ」
ほとんど、そのメールを見る心算を失くしていた俺は、そう言ってベッドに腰掛けた。清花姉はコンコンコン、とノックをしてから、扉を開けた。
「ありがと。……これ、勝手に読んじゃった」
そのまま中に入ってきて俺の隣に座った清花姉は、二冊のファイルを自分の膝の上に置いて示した。見覚えがあるファイル。それは、両親の送ってきた手紙をまとめたファイルだった。
「ああ、それで俺の部屋に居たのか。ベッドの下にはなかっただろ?」
「うん。変な本しかなかったねぇ」
「それもねぇよ!」
あまり言われると、もしかしたら置いていたかも知れないという気にさえなってしまう。清花姉の、やんわりとした押しの強さは恐ろしい。
「……うん。武司、何か思い詰めてないかなぁ、って思ったんだよ」
あはは、と笑い飛ばした後、清花姉は真剣な面持ちになって、そう言った。
「何となくだけどね。もしかしたら、お母さんの手紙に何かあったのかな、って思ったんだけど、あれは古い手紙しか入ってなかったみたいだし」
清花姉の目は、じっとファイルの表面を見つめていた。真剣な清花姉の横顔は、とても凛々しい。
「……そうだな。何もないって言ったら嘘になるけど、そんなに大層な事じゃないよ。父さん母さんからの手紙は関係ないしな」
だから、俺も真剣に、その中身を隠しながらも素直にそう言った。
「そっか」
清花姉は、小さく頷いた。
「……あのね、武司。もし、武司に何かやりたい事があって、私がその邪魔になっているのなら、私はなんて気にしないで、やりたい事をして欲しいの。武司は、お母さんの自慢の息子なんだから。武司は、私と違うんだから。お母さんもお父さんも、妥協なんてしない、要領なんて気にしないまっすぐな武司を、誇りにしてるんだから。ねぇ、武司。私が武司を食い潰して、それで武司がやりたい事をやれないなんて、嫌だよ。武司は優しい良い弟だって分かってる。だけどそれ以上に、やりたい事をできる武司を、私は好きだよ」
清花姉はそこで、ふぅ、と息を吐いた。そして、見慣れない柔らかな笑顔を見せると、
「……私が言いたかったのは、それだけだよ。何があるのかは分からないけど、応援してるからね」
と言って立ち上がり、そのまま扉の方へと歩み始めた。俺は、その背中に何か一言を掛けようとしたが、何一つ言葉が思い付かず、結局清花姉が去っているのを黙って見守るだけだった。




