20.
今日は覚えていた風呂の管理をしに清花姉が階段を下りていくと、何となく解散のような雰囲気になって、俺も二人にじゃあ、と告げ自分の部屋へと戻った。
ポケットの携帯電話を確認してみる。もう九時前だから、昨日と同じ時間に来るのなら、もう来ていておかしくはない。
「……うわ」
出会い系サイトからの勧誘メールが一つあるだけで、例の謎メールは届いていなかった。俺は携帯電話を閉じて、それから部屋の照明を初めて灯した。
今日が木曜日だから、大雨で作業が流れない限りは、あと二日で今週が終わる。今週はひどく、事の多い週だった。弁当魔井上との遭遇、紗季ちゃんへの宿貸し、あるいは桜川が差し入れを持ってきた事など、どれも何だかんだと楽しい、良い事づくめである。
「……はぁ」
だからこそ何となく、来週は良くない事が続くような予感がして、その予感とそんな想像をしてしまう自分に嫌気が差して、俺は溜め息をついた。
自分の風呂の順番まで少し体を休めておこうとして、数分間ベッドに寝転がっていたところへ、どたどたどーん、という派手な音と共に、階段の方から女の子の叫び声が聞こえてきた。起き上がって助けにいこうかとも思ったが、どうせ人も多いのだし、と思い直して、ベッドの上で誰がどうして落ちたのかを考えるちょっとしたゲームを始めた。
まずは、最もスタンダードなパターン。清水が、水を注ぎにいこうとして、いつものように転び、よく見る光景と一致するように階段を落ちた。物音に駆け付けた清花姉は、その惨状を目にしてその原因を俺の教育力のなさに求めて、俺を殴りにこの部屋へやってくる。つまりバッドエンドである。
(こ、怖ぇ……)
部屋の鍵を掛けておいた。これで、清花姉の突然の襲撃からも逃れる事ができる。
次に、紗季ちゃんが落ちたパターン。あのしっかり者の紗季ちゃんに限って落ちないと思ってしまう所に、この推理パズルの大いなる罠がある。この場合、さすがの清花姉も青ざめて、紗季ちゃんに怪我がないかを確かめるに違いない。したたかに腰を打ちつけた紗季ちゃんは、清花姉にお姫様抱っこされて、ああこの人が運命の人だったのね、と感じるのである。
(しょうもねぇ……)
下手なロマンスは広げてもろくな事にならない。そもそも、清水転落説が有力過ぎて他の選択肢は望みが薄い。このゲームは、レート的な問題で成り立っていなかった。
いずれにせよ、我が家の階段は低く、たとえ一番上から落ちてもまず大事には至らない。頭を軽く打って泣きかけている清水を想像しながら、俺はやっと部屋を出て、階段の方へと向かった。
「うん、ごめんね。清水ちゃんと紗季ちゃんにまで、心配かけちゃった」
だが、そこにあった光景は、俺の想像とは一味も二味も違った。
「……どうして清花姉が落ちてるんだよ」
「あ、武司。いやぁ、河童の滑落死ってやつ?」
そんな物はない。そもそも河童は山道が苦手そうである。
「とりあえず、私は無事だよ」
「びっくりしました。清花姉さんも、私と仲間です」
「お前は週一で落ちてるだろうが」
「この家の階段は落ちやすいんですね……ミステリーです!」
紗季ちゃんの言葉に四人で笑う。そのまま、上で遊んでいたらしい清水と紗季ちゃんはまた階段を上って戻っていった。
階段には、俺と清花姉が残された。
「はぁ……。私も、成長しないなぁ」
「清花姉って、そんなにドジやるタイプだったっけ?」
「こう見えても、昔からずっとプチドジっ子なんだよね。ほら、覚えてるでしょ。私が昔、公園の滑り台から落ちて骨折した時のこと。あの頃と、私って何にも成長してないなぁ、って」
確かに、俺がまだ幼稚園に通っていた時分には、そんな事もあった。あの時の俺は、落ちて倒れたっきり動かない清花姉を前に、どうすれば良いのか全く分からず、ただただ慌てふためいていた。しかし、むしろ清花姉はその時以後大きなミスや事故も起こさなかったし、両親、特に母はその要領の良さを大いに認めているはずである。
「ま、成長力がないのが私の性質の一つなんだろうけどねぇ」
「ふうん……」
何となく納得はいかなかったが、俺は曖昧にそう頷いた。
お風呂を終え、俺達は互いに就寝の挨拶を済ませて、それぞれの部屋へと戻った。俺も、とりあえず平日最後になる明日の仕事に備えて眠る事にしてベッドに入ったのだが、すぐに例のメールについて思い出して、起き上がって携帯電話を開いた。
『今日は本題に入ります』
そんな件名の新着メールが、一件あった。少し考えて、開く。
『連日のメール申し訳ありません。繰り返しますが、このメールについては他言せず、返信も絶対にしないで下さい。』
三日目にして既に定番化してきている一段落目のこの文言は、やはりどこか不気味である。
『今日は、本題をお伝えします。私は、政府の高度軍部の技術士です。この日本の内戦を止める為に、どうしても誰かの協力が必要なのです。』
……。急激に、メールの内容が具体的になった。
『より深い方法などは、後にお伝えします。ですが、命の危険が伴ってくる事だけは、知っておいて下さい。そして、成功すれば、日本の内戦を止められる、という事も。』
ぞくり、と背中に冷たいものが走った。一体このメールは、何を伝えようとしているのだろうか。
『今日は、ここまでに。また明日もお送りします。』
メールはまた唐突に幕切れした。
俺は携帯電話をかばんの上へと放り投げて、ベッドへともぐりこんだ。メールの内容があまりにも衝撃的だったから、考え過ぎないようにとの自己防衛策である。出どころも分からないメールについて考えて、体調を崩していては馬鹿らしい。
(ふわぁ……)
そのまま、深い闇に誘われて、俺は夢の方へと引き込まれていった。




