19.
粕汁は、我が家史上最高の出来だった。
「うん。最後の味調整は紗季ちゃんに任せたんだけど、バッチリね」
我が家の味将軍、清花姉も太鼓判を押すほどの美味である。まろやかさや甘さ、塩気、全てが気持ちよく噛み合っていて、俺もついご飯より先に粕汁をおかわりしてしまった。
「いえ、清花さんの味付けがとても凄かったので……私はほとんど何もしていないですよ~」
「そうです。そもそも、私が紗季さんを育てました」
「嘘つけ」
二杯目の粕汁は、二杯目のご飯に掛けて粕汁掛けご飯にするのが我が家の伝統らしかった。古は昭和の頃にまで遡るらしく、世間に知られるずっと前から我が家ではこうしていて食べていたのだというのが両親の昔からの説だったが、いまいち信憑性はないと思う。ただ、粕汁掛けご飯は、味噌汁を掛けたご飯よりもずっと美味しいのだ。
「ご飯、おかわり頼む」
「おっ。今日はご飯の進みが早いね、武司。トラップで体力使った?」
「いや、トラップはむしろ精神力を奪ってきたかな」
トラップの内容について知らないらしい清花姉にお碗を渡す。清花姉は少し不思議がった顔で、ご飯をよそいで俺に返した。
粕汁を、ご飯へと掛けていく。白に白は、色的には何の調和もしてはいない。だが、俺にとっての至福の時は、ここから始まるのだった。
最高の晩ご飯を済ました俺達は、それぞれ洗い物や風呂の用意に向かった後、何故か目的もなく清水の部屋に集まった。
「次の日曜日、紗季ちゃんと一緒にどこかに出掛けたらどうかなって思ってたんだよね」
いくらか、ご飯の感想や注ぎ足ししている風呂の水の事を忘れないように、という話題があった後、清花姉がそう切り出した。
「でも、天気予報は雨なんだよねぇ……」
「まぁ、最近は晴れてばっかりだったしな」
「紗季ちゃんも、来週の土曜日には帰っちゃうって言うし……。こうなったら、武司抜きで行くしかないよねっ」
「なんでだよっ」
本当は、俺を気にせず行けば良いと思ったが、そんな事を言うと話が進まないので合わせて突っ込んでおく。
「うーん……屋内でってなると、また麻雀になっちゃいそうだよねぇ……」
折角の品の良い可愛いお客様をそんなギャンブルゲームでもてなすのは納得いかない、と清花姉の目は雄弁にも語っていた。あの目は本気の目である。つまり、俺に何か良案を出すよう求めているのだ。いや、命じているのだ。
「いや、麻雀じゃなくても、他にもあるだろ? 家でできるゲームってさ」
「清水ちゃんが他にできるゲームって、ポーカーでしょう? 結局ギャンブルゲームだよねぇ」
「新しいゲームを覚えさせたら良いんじゃねぇかな」
清花姉の顔がまず驚きに変わって、それから感動へと動いた。とても分かりやすい。
「……ま、まあ、私もそれには気付いていたんだけどね。武司を試してみた訳よ」
「私、バカラというゲームをしてみたいです」
バカラとは、ギャンブルゲームの王道である。ポーカーや麻雀が多少のゲーム性を持っているのに対して、バカラはまさにギャンブル性のみを備えている。ある意味、清水が好きそうなゲームだとは思うが。
「んー。清水ちゃん、それもギャンブルゲームかな。もっとこう、健全で楽しいのが良いかも」
「あきゅー。難しいです……」
いくら紗季ちゃんが可愛いからと言って楽しいバカラをやめておくなんて納得できない、と清水の顔はおしゃべりにもそう言っていた。あの顔は冗談ではない顔である。要するに、俺に清花姉を説得するようねだっているのだ。いや、命じているのだ。
「ええと、紗季ちゃんは何がしたいんだ?」
進退窮まった俺は、もてなされる張本人であるところの紗季ちゃんに半ば救いを求めてそう訊いた。
「人生ゲームをやってみたいです~。これまで一度もやった事がないんです」
至極まともな回答を得られた。これならギャンブルではないし、だがギャンブル性はそれなりにあるし、清水が難解なルールを覚えるのに四苦八苦する必要もない。さすがは紗季ちゃんである。一家に一人は必要だ。少なくとも、我が家には間違いなく。
「ふむふむ、確かうちにもあったよね。『激甘! 薔薇色人生ゲーム』っていうのと、『転落人生ゲーム』っていうやつ」
実家から我が家へ送られた二回の仕送りの内、前者が一回目、後者が二回目の中身だった。二回目はともかく、一回目には清花姉共々驚かされたものである。
「ってか、そんなヤバげなタイトルだったっけ」
「うん。……まあ、開けてないから、どんな内容なのかは想像しかできないけどねぇ。名前で大体分かるでしょう?」
名前で大体分かるが、どちらも選びたくはない。
「紗季ちゃんは、どっちが良い?」
清花姉はそんな俺の思いを感じ取ったらしく、一家に一人紗季ちゃんに尋ねた。
「ええと、それでは……」
紗季ちゃんは数秒考えて、意外にも、
「『転落人生ゲーム』が良いです!」
と答えた。
「私も、紗季さんに賛成です。何とも言えない面白そうなものを感じます」
「絶対気のせいだと思うけど……」
お客様たる紗季ちゃんと、我が家の一番の権力者たる清花姉の加護を受けた清水、両者の噛み合った意見が、最下層の俺の言葉で覆るはずもなく、話し合いは結局、『転落人生ゲーム』を日曜日にやる、という所へ落ち着いた。
「えへへ。日曜日が、とっても楽しみです!」
不安だらけではあるが、紗季ちゃんの満面の笑顔を見ていると、何となく楽しめるような気がしてきた。