15.
昼休みが終わる少し前に井上が帰っていくと、続いて桜川も深々とお辞儀をして去っていき、残された俺と多田野も早めに仕事へと戻る事にして、腰を上げた。
楽しい昼休みだったとは言え、午後の仕事に何か面白い事があるでもなく、普段通り脳の諸機能をできる限り休ませながら体を動かす。工事はわずかずつながらも進んでいるらしく、現場長の声ははつらつとして、工期に少しの余裕ができた事を伝えていた。同僚達はその声に励まされていくらか笑顔になっていたが、俺はその中に加わる事はできなかった。工事が終われば、仕事はなくなる。むしろ危機的な事態だと言うのに、彼らは何を喜んでいるのだろうか。
午後一時半。そんな疑問が解決される筈もなく、俺は飛鳥橋高架下での仕事を終え、弥生道へと向かった。
<どうせやるなら、自分の知っている所をやりたいじゃねぇかよ>
現場長の言葉が蘇ってくる。そう思えるようになったら、工事の進行を喜べるように多分なるのだろう。だから、こうして弥生道での工事を掛け持っている俺には、いつまでも理解できないのだ。
理解なんてする必要はない。俺は心中そう呟きながら、単調な仕事へと体を預けた。
■ ■
短く、分かり易く今の状態を表現するとすれば、へとへとである。月曜日から土曜日までの六日間の内、水曜日と木曜日というのはちょうど中間で、疲れも溜まる上に休みも遠く、精神的にも肉体的にも大変な曜日なのだ。俺は、少しのめまいすら感じながら、ふらふらと家へ帰り着いた。
「ただいま」
扉を開いて、声を掛ける。照明の光の漏れる台所からは、水道の流れる音がしていて、清花姉が晩ご飯の準備をしているのが分かった。
「武司さん、お帰りなさいです~」
その台所から一番に姿を現して俺を出迎えたのは、エプロン姿の紗季ちゃんだった。
「うん、ただいま。……晩ご飯、手伝ってるのか?」
「いえ。私、料理が苦手なので、清花さんに習っているんです。清花さん、とってもお上手です!」
「まぁ、私が下とまでは言わないけど、紗季ちゃんも私と同じくらい上手いよ」
更にその後ろから、こちらはいつもの普段着である清花姉が台所から姿を現すと、少し背の低い紗季ちゃんを後ろから、肩の上に腕を通して抱きしめた。
「あと、可愛いしね」
「そんな事ないですよ~。清花さんの方がずっとお上手で、しかもお綺麗です!」
ああ、見ていられない。二人が体と体を合わせながらお互いに褒め合う横を、俺はできるだけ早足に通り抜けた。
そのまま、自分の部屋へと入る。荷物を置いて、部屋着に着替えると、何となく人心地ついたような気分を得て、俺はベッドに座り込んだ。そして、もしかしたらと思って、かばんに入れっぱなしだった携帯電話を取り出して、開いてみた。携帯電話のディスプレイには、案の定『新着メール一件』の文字が浮かんでいて、俺は受信トレイを開いてみた。一件、新着メールである事を示す赤い吹き出しが灯っているメールがあり、俺はそのメールの発信者アドレスに見覚えがある事に気付いた。
『二日目。昨日お伝えした通り、今日もお送りします。』
昨日の、不審なメールだった。
『あなたが何をされ、どこに暮らしている方なのか、私には分かりません。どこかの誰かに届けば良いと思って、色んなアドレスを試してみた結果、やっと存在したのがあなたのアドレスだっただけで、このメールもあなた個人を目指して送ったものではありません。』
確かに、俺の携帯メールアドレスはccc@という単純なものだった。aaaやbbbにしたかったのだが、それら二つは既に使われていて、止むを得ず空いていたcccにしたのだった。
『このメールは、もしかしたらあなたにとって、不幸を呼び寄せるものかも知れません。でも、代わりに人々が幸せになれる事も、保証します。』
昨日から合わせて、読んだ文章はそこそこの量になるが、未だに送り手の目的が見えてこない。手の込んだチェーンメールなのか、それとも新興宗教への勧誘なのか。どちらにせよ言えるのは、他のメールと同じフォントで書かれているにも関わらず、何となくこのメールには機械的でない、ごくごく人間味のある何かを感じてしまうという事である。俺は、巧妙にしつらえられたマインド・コントロールの罠にはまりつつあるのだろうか。
『また、明日も、お送りします。』
メールは昨日に続いて、やはり唐突に終わった。俺は何となく、靄掛かった何かを胸に感じつつも、携帯電話をベッドの枕元へと投げやった。