12.
紗季ちゃんに続いて順々に風呂へと入り、最後の俺が部屋へ戻ったのが九時半過ぎだった。
「凄く、凄く良い匂いだったよ!」
紗季ちゃんのすぐ後に入った清花姉は、帰ってきてから今に至るまで、ずっとそんな事を話し続けている。
「蜜柑みたいな柑橘系の香りでさぁ……。いやぁ、可愛いよねぇ」
「それ間違いなくうちのボディソープだからな」
「ああ、撫でたいなぁ……」
こうなると清花姉の耳は塞がってしまうらしく、俺がどれだけ諌めても、紗季ちゃんがどれほど止めても、清花姉のうっとりした表情がなくなる事はなかった。
そんな清花姉とは正反対に、清水は遊び疲れたのか、しきりにあくびを繰り返しては顔をふるふると振って意識を保っていた。上まぶたか段々と垂れてきて、下まぶたとくっつくかくっつかないかという所でまた開く動きを見ていると、こちらにまで睡魔がやってくるような気がしてくる。
「もう寝るか?」
「……はい。今日は何となく、早く眠らないといけない気がしています」
「何だそれ。……紗季ちゃんはどうする? 本当にこの部屋で良いのか?」
「はい。清水さんと一緒に、この部屋で眠らせて貰います~」
清花姉の重ね重ねのセクシャルハラスメントにも屈さず、紗季ちゃんはそう言って笑った。
「良いなぁ、清水ちゃん。私もこの部屋に泊まろうかなぁ」
「駄目だ。ほら、さっさと片付けるぞ」
散らかったままになっている牌を集めながら、俺が仰向けになってじたばたしている清花姉に言うと、清花姉は仰向けの体勢を崩さないまま、
「面倒ー」
と心のこもらない声で答えてきた。
「まぁ、良いけどさ……」
手慣れたもので、牌を片付けるのもかなり早い。幼い頃、田舎育ちの俺と清花姉は、よく両親と共に麻雀を打っていた。父は強く、清花姉でも一位の座を奪う事はできなかったが、反対に母は弱く、俺よりもいつでも下の順位に居た。
独り立ちしようと、少し都会へ出てきてかなりの時間が経つ。あれから、俺は自立できているのだろうか。母や父とは手紙をやり取りしているが、特に母は俺の事が心配でならないようだった。
<あんたはいつでも、要領が良くなかったからねぇ>
いつでも母はそうやって、清花姉の要領の良さを褒めては、俺を心配するのだった。要領の悪さなら、俺よりも母の方がよほど深刻なのに。
<何とかやってるよ>
俺はいつでも、そう返していた。
そんな事を考えている内に牌はすっかり元の箱の中へと戻り、箱も清水の部屋の一角へといつも通り納まった。
「よし、じゃあ、お休み」
清水のうとうとに耐えかねていた俺は、すぐに扉の前に立ってそう言った。お休みなさいです、という清水の返答と清水姉の不満の声とを聞いた俺はそのまま部屋を出ようとしたが、残る紗季ちゃんが、
「あの、目覚まし時計ってありませんか? 私、寝起きが悪くて、えへへ」
と声を上げた。
「ああ、いっぱいあるから、持ってくるよ」
部屋には三つぐらいある。全部清花姉の物だが、まあ構わないだろう。
「ありがとうございます~!」
背中にそんな紗季ちゃんの声を聞きながら、俺は部屋を出た。
まだ枕の上にあった目覚まし時計を紗季ちゃんに届け、今日は俺も早く寝ようか、と思い定めてベッドに腰掛けたところで、携帯電話がメールの着信を知らせて鳴った。
少し遠い所にあったが、明日の仕事の話だったら困るから、仕方なくわざわざ立ち上がって手に取り、開く。二十二時ちょうどに届いたらしいそのメールの発信元は見慣れないアドレスで、しかもメール自体が予約発信によるものだった。
要するに、変なメールだ。とりあえず、本文を開いてみる。
『初めまして。重要な内容です。誰にも見せないようにして、このメールには絶対に返信しないで下さい。』
一段落目には、そう書かれていた。あまり届いた事がないから分からないのだが、これもスパムメールなのだろうか。とりあえず読み進めてみる。
『お頼みしたい事があります。ですが、私はメールからでしか、あなたにお伝えできません。』
第二段落。何となく、不気味な文章だ。突然女性の金切り声が鳴り響いたあのブラウザクラッシャーの悪夢が蘇ってくる。
『今日は、以上です。明日もお送りします。どうか、どうかよろしくお願いします。』
三段落目で、唐突にメールは終わった。
一体何なのだろう。迷惑メールに振り分けようかとも思ったが、明日届いてからでも良いだろうと思い直して、俺は携帯電話を閉じた。
清水をずっと見ていたからか、妙に眠たかった。俺は携帯電話を元の場所に戻すと、電気を消してベッドへと潜り込んだ。