10.
清花姉がタオルを紗季ちゃんに手渡して、清水の謝罪がきちんと完了した後、俺達四人はいつもご飯を食べている台所の机を囲って、緊急会議を開いた。議題は、もちろん紗季ちゃんについてである。
紗季ちゃんによれば、紗季ちゃんはこの町ではなく、遠い田舎の方で両親と暮らしているのだが、その両親が紗季ちゃんを置いて旅行に行く事になって、紗季ちゃんにはこの町に住んでいる紗季ちゃんの兄を頼るように言い残したらしい。その言葉に従ってこの町に来たのだが、その兄が引っ越してしまっていて、どうしようもなく道を歩いている所で、俺に出会ったのだ。
「まぁ、言ってる事は分かるんだけどねぇ。これ以上人が増えると家計が成り立たないでしょう?」
「清花姉さん。この人、良い人です」
「うんうん。清水ちゃんがそう言うんだから、受け入れ確定ね」
清花姉はいとも簡単に籠絡された。この家の最大権力者は、もしかすると清水かも知れない。
「……んー。空き部屋、もうないよねぇ。どうするの?」
「安心して下さい。私の部屋の半分を提供します」
「そもそもお前の部屋じゃないけどな」
「武司うるさいです」
清水が偉そうに腕を組む。本来はデコピンしてやるところなのだが、残念な事に俺と清水は机の対角線上に座っていたので、届かなかった。
俺の左に座っている紗季ちゃんは、そんなあまりに斜め上を行く会議に目を丸くしていたが、その内急に笑顔を見せて、
「ありがとうございます! 楽しいご家族ですね~」
と感想を述べた。
「いつまでになるか分かりませんが、よろしくお願い致します~」
「じゃあ、ご飯にしよっか。ちょうど、四人で食べても足りなくならない料理だし」
清花姉が立ち上がる。実は俺も、さっきから香ってくるスパイシーな香りに、お腹が小さく唸っていた。
「お手伝いします~」
すぐに紗季ちゃんも立ち上がって、鍋の方へと駆け出していった。それに対して、ふにゃりと机に突っ伏す俺と清水。カレーの魔力に、お腹の虫が恐ろしく鳴きだしたのだった。
「ごちそうさまでした~」
一番最後に食べ終えた紗季ちゃんが、両手を胸の前で合わせて挨拶をし、今日の晩ご飯の時間は終わった。
「とっても美味しかったです!」
「でしょう? 私、料理の腕も良いからねぇ」
紗季ちゃんの称賛の言葉に、清花姉は座りながら器用に豊かな胸を張って見せた。
「さて、と。お皿洗うから、武司、お風呂沸かしといてくれる?」
「あ、いえ、私がやりますよ~」
「良いの良いの。うちのお風呂古いから、点火には技術が要るのよねぇ。紗季ちゃんは、休んでて」
「あきゅー。私と遊びましょう」
我が家の風呂は至って正常である。清花姉は、こうやって自然な気遣いのできる人だった。
「ええと、では、はい。お任せします~。清水さん、遊びましょう!」
清水と紗季ちゃんは立ち上がって、二人でどたどたと台所を出ていった。清水が言う遊びというのは、ポーカーか麻雀のどちらかである。紗季ちゃんにルールが分かるだろうかと心配になりつつ、俺も椅子から降りた。
「紗季ちゃん、幸せそうだったなぁ」
「どうしたんだ?」
「ううん。私達にはいつも通りの晩ご飯だったけど、あの子にはそうでもなかったのかなぁ、って思っただけ。ほら、さっさと水入れ替えて、沸かしてきて」
清花姉はそう意味深長に言って、すぐにお皿を重ね始めた。それを見て、俺も俺の仕事を果たそうと、台所を後にした。
水を抜き、中を洗い、また水を入れる。一旦蛇口を捻れば、水が溜まるまでには十五分ぐらいの暇がある。その間に清水達の様子を見にいく事にした。
清水は、紗季ちゃんと上手くやっているだろうか。何か迷惑を掛けていなければ良いが、と思いながら、俺は階段を上って清水の部屋の扉をノックした。
「入ってはいけません。ここはパンドラの部屋です」
すぐに中から、神秘の女神の声色を真似した清水の声が、ノックに応答した。
「一度立ち入ったら、たくさんの最悪が飛び出すこと請け合いです」
「災厄な。んな事請け合うな」
無視して、扉を開ける。人の家の部屋を、勝手にパンドラ化されては困る。中に清水と紗季ちゃんがちゃんと居る事を確認してから、俺は一歩目を踏み出した。
「って、またかよっ!」
俺の足の下で、一昨日も踏ん付けたばかりのミニカーが、俺の懸命の制止を無視するようにして前方へと駆けた。
ごず。そんな鈍い音と共に、俺の頭は地面へと叩きつけられた。
「武司用の罠です。二度も続けて引っ掛かるなんて、全く成長していません」
「お前なぁ……。またデコピンされてぇのか?」
打った頭を軽く手でさすりながら、俺はそう言って迫ったが、清水はささっと紗季ちゃんの後ろへと隠れると、
「私は武司とは違います」
と舌を出してきた。
「誰がドエムだ。……ああもう、何もしねぇから出てこいって。紗季ちゃん困ってるだろ?」
俺が立ち上がって両手を上げると、清水はまだ警戒を解いていない様子で、紗季ちゃんの後ろから出てきた。そこまでするなら、罠なんて仕掛けなければ良いのにと思う。
「お二人は、とても仲が良いんですね。羨ましいです~」
心底楽しそうに笑いながら、紗季ちゃんはそう言って手を叩いた。
「私、武司より紗季さんの方が好きです」
「お前なぁ……」
ついデコピンの為の指が伸びたが、清水に睨まれてすぐに引っ込める。さっき要らない一言を言ったせいで、俺の唯一の仕返しまでもが封じられてしまったらしい。
「で、何して遊んでたんだ?」
「麻雀です」
せめてポーカーを選んで欲しかった。
「紗季ちゃん、ルール分かるのか?」
「はい! 点数計算は少し自信がありませんけど、役はひととおり覚えています」
「一通り、か」
最近の女の子というのはこんなものなのか。と、自分もあまり歳が変わらないのに思ってみて、清花姉と自分がよく似ているのに気付いた。気配りができる分、まだあちらの方が立派な人間なのかも知れない。
「二人じゃまともにできねぇだろ。俺も入るから、三人で打とうぜ」
そう言って奥へと入った俺は、すっかり風呂の湯の事を失念していた。