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犬猿の騒乱  作者: K_yamada
一.夢
1/59

1.

 俺は、突然階段の上から落ちてきた、果てしなく不運なその人……あるいは幸運なのかも知れない彼女の下敷きになって、一言げふ、と息を吐いた。

「うわぁ……痛そうだねぇ」

「そこまで分かったんなら早く助けろっ」

 目の前に、うつ伏せの今の俺からでは非常に危ない青のミニスカートで見下ろしてくる姉の姿。俺は、自分の上にどう乗っているか分からない彼女を下ろすのに安全な方法を見つけられず、その姉の姿に助けを求めた。

「あきゅー。……すぐにどきますから、安心して下さい」

「だ、そうだけど?」

「そりゃあ安心だ……ふぐ」

 俺の上の声は、親切にも俺の背中の上で立ち上がり、丁寧に俺の頭を踏ん付けて姉の方へと脱出していった。

「ミッション達成です。わあいです」

「ほほう。武司はこんな事まで仕込んでるのかー。もしかしてドエム? お姉ちゃん悲しいなぁ」

「仕込んでねぇよ!」

 頭を押さえながら立ち上がって、俺の上から無事逃れて嬉しそうな女の子を見る。服は姉からのお下がりでこれといって派手でもない白服だが、その代わりにしては十分過ぎるほどに輝く薄水色のポニーテイルが、複雑に跳ねまわっていた。屈託のない笑みを浮かべて、彼女は小刻みに跳んでいるのだった。

「ふぅーん。……それは置いておくとして、清水ちゃん、怪我はない?」

「はい。武司さんを犠牲にして自己の安全を優先したので、私は大丈夫です」

「そう、良かった」

 未だにピョンピョンと髪を揺らしている彼女の名前は、清水(しみず)である。俺の姉の名前は清花(さやか)で漢字が共通しているが、姓は違う。要するに親族ではないという事だ。清水はそして、我が家の『専業主婦二号』だった。

「階段から落ちたのは、お馴染みのうっかり?」

 ちなみに、そう口唇に手をやって首を傾げる清花姉(さやかねえ)が『専業主婦一号』である。

「はい。うっかり、二階だという事を忘れて、そのままゴロゴローと。あきゅー」

 指でその激しさを伝えようとする専業主婦二号の清水の動作は、いかにも可愛らしい。可愛らしいのだが、俺を心配しない辺りが可愛くない。

「なるほどねぇ。それなら仕方ないか」

「仕方あるだろ! ったく、俺が怪我したらどうなると思ってんだよ?」

「んー。治療費が高くつく」

「違ぇよ! 家計崩壊だろうがよ!」

 可愛らしくて可愛くない専業主婦二号と、弟の健康状態に一切の興味も示さない専業主婦一号の生活を支えるのが、『稼ぎ頭』ことこの俺である。日曜の休み以外は、道路工事のアルバイトを二つ掛け持ちして、朝早くから夜深くまで働き詰めている、我ながら甲斐性のある男である。あるのだが、そんな程度では専業主婦一号二号は認めてくれない。

「武司が怪我したって、収入が変わるとは思わないけどねぇ。働けば良いんだしさ」

「怪我しても働かせる気か!」

「もちろん! 武司だって、そのつもりでしょう? 私の弟は家族思いだからねぇ」

 にこにこと笑う清花姉は、日頃からタチの悪い姉で、無茶苦茶を言いまくるのに、その人懐こい声と巧みな言葉回し、そしてとても整ったスタイルの良い外見をフルに駆使してくるので、気が付くと何となく押し切られてしまう。

 だが、実は更に厄介な奴がこの家には居る。

「はい。武司は家族思いですから」

 それが、専業主婦二号の清水である。俺に、俺たちにとって、清水はそもそも赤の他人だった。だったというのは、今はそうでないという意味である。今は、よく言えば住み込みの家政婦、悪く言えば居候だ。つい一ヶ月ほど前のこと、土砂降りの雨の中を、彼女は我が家へと訪ねてきたのだった。そこで、やれ記憶がないだの帰る所がないだのという事をたどたどしく、実に非ネイティヴな遅さで伝えてきたものだから、たちまち可愛い物好きの清花姉は落ち、こうして今の居候状態に至るのである。どうも世間に疎いらしく、それでいてお嬢様の様な気品がある訳でもない彼女は、たった一ヶ月で我が家を出ていける様になる筈もなく、唯一彼女の事で俺たちが分かったのは『清水』という名前だけだった。それも、一番最初に清花姉が名前を訊いた時に、そう答えたような気がするというだけの淡い根拠で、実際それ以降に名前を尋ねても、彼女は首を傾げるばかりで何も言わなかった。

「そうそう。でも清水ちゃん、さっき助けて貰ったお礼はちゃんと言わないとね?」

「はい。武司、犠牲になってくれてありがとうございました。これからも犠牲になって下さい」

「……はぁ」

 こんな環境で俺のストレスはマッハ、かと思いきや、これがそんな事もない。というのも、タチの悪い美少女二人と暮らすには確かに様々な困難が付きまとうが、その分役得も大きいのである。それは、お風呂上がりの女の子に普通に話し掛けられたりとか、あるいは寝顔をじっくり見る事が出来たりとかという事に留まらず、背中を流しにきてくれるような昔の恋愛ゲームみたいな事にまで及ぶ。もちろん、一応一端の男だと自負する俺は、一番最後の物は断るのだが、ドキドキする事に違いはない。要するに、遠慮のない美少女のメリットとデメリットは、完全に釣り合っていた。

「はいはい。じゃあ、私は買い物に行くから、清水ちゃん見ておいてね」

「はいよ。今日の晩飯は?」

「カニ玉。武司、大好きだったでしょう?」

「ああ。楽しみだな」

 俺はそう笑って、バタバタと駆け寄ってきた可愛くない清水を、手でやれる限り愛でてやった。髪を撫でられた清水は、とても気持ち良さそうな表情へと変わる。とても分かりやすく単純で、それ故にこちらも幸せになれる。

「ま、私が作るんだから、何でも美味しいんだけど。じゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、清花姉さん」

 清花姉の言葉に気付いて、清水は恍惚を浮かべていた顔を、一時清花姉の方へと向けてそう言った。

「うん、行ってくるよ、清水ちゃん。……襲っちゃダメだよ、一応」

「一応って何だよ」

「言わなくても分かってると思うけど、って意味」

「分かってるよ、んな事。早く行ってこい」

 俺は、下手をするとあと十五分ほどはここでおしゃべりをしかねない清花姉の背中を、そう言って押しやった。

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