下品なほどに真っ赤な唇
「うわ、なに、お前、やばい」
思わず口をついて出た言葉がそれだった。
夏祭りへ行くため、幼なじみの家まで迎えに来た俺。
浴衣姿の女の子を見た第一声としては最悪だ。
言われた朝美本人は、げんなりしたように口を開け、大きな目で俺を睨みつけてくる。
しまった、と思ったが言ってしまったものはもう遅い。とっさのフォローも浮かばず、俺は笑って誤魔化したが、当然そんなもので誤魔化せるわけもなく、逆に火に油を注ぐ形になってしまった。
「……ほな着替えてくるわ」
ショックを受けたような、はたまた呆れたような表情を浮かべた朝美はそう言って家に戻ろうとした。
その手を反射的に掴んで慌てて引き止める。これ以上待たされたら堪らない。
「待て待て待て。着替えんでええから」
「何やねん。あんたが嫌そうな顔するからやん」
「いや……」
別に朝美の浴衣姿が変なわけじゃない。淡いブルーの浴衣も、うなじを見せた髪型もよく似合ってる。
問題は、形の良い彼女の唇を真っ赤に染めている、口紅。
全然、全く、似合ってない。
「じゃあ、何よ」
「いや……なんもない。さっさ行こか」
機嫌の悪い朝美の手を引きさっさと歩き出す。強引だが、こうでもしないといつまでもグチグチ問い詰められそうだ。口紅が似合ってない、その一言を言えばいいだけなんだけど。そんなことを言ったら余計に膨れそうだから言葉を飲み込んだ。
「うわー、人いっぱいやん」
「暑いなぁ、ほんで」
うちわでパタパタと扇ぎながら、人混みの中を二人で歩いていた。何度か他の通行人と肩がぶつかったが、俺も相手もこの人混みじゃ仕方がないと気にせず歩き続ける。
俺はこの人混みで朝美と離れないよう注意するので精一杯だった。
彼女はと言うと、慣れない浴衣で歩くのに随分手こずっている。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
遠くの屋台の間からオレンジ色の帯が上がる。その後、パンと音を立てて花火が咲いた。
次々に咲いていく花火を見て朝美が小さく歓声を上げる。やっぱり、連れてきて良かった。真っ赤な口紅は似合ってないけど、夜空に照らされた朝美の横顔を見ると口元が緩んだ。
「綺麗やなぁ」
彼女は、俺に向かってにこりと笑った。
そして俺の後方を指差して突然声をあげる。
「なぁリンゴ飴食べようやぁ」
「ええよ」
リンゴ飴は好きじゃないけど、ここで首を振ると一気に機嫌が悪くなると分かっていたから快く頷いた。
人ごみをかき分けながらやたいにたどり着く。たかだか飴のお菓子2つに1000円も払うなんて馬鹿馬鹿しいが、祭りだからなのか許してしまう。
大きい方を朝美に手渡すと、ありがとうと彼女は微笑んだ。
そして不自然な程自然に俺たちは手を繋ぎ、再び屋台から離れて人ごみの中へ入る。
しばらく歩いた頃、朝美が急に立ち止まった。
「……痛い。何か足痛くなってきたんやけど」
慣れない下駄のせいだろう。朝美の足先が真っ赤になっている。
「俺のビーサン履くか?」
「嫌。浴衣にビーサンなんか履けへんわ。ちょっと休憩しようや」
「ほな、あの草の方行く?人おらんし、座れるで」
うん、と俺の手を握ったまま朝美は頷いた。だだをこねる子供のようだ。
足の痛い朝美を気遣いながら草の上に並んで腰を下ろす。
俺も人ごみにうんざりしていた頃だったし、花火も見えるし丁度良い。
「朝美、足大丈夫なん?」
「無理。帰りおんぶして」
「はぁ?俺が潰れるわ!」
「潰れへんわ!ほんまあんた失礼やな!」
「あーもう、ごめんて」
そう言ってなだめようとした時、あっと朝美が声を上げた。反射的に彼女の視線を辿り、夜空を見上げる。
特大の花火が頭上で咲いたあと、雨のように降りかかってきた。自分の瞳いっぱいに光が広がるのが分かって、俺は言葉を失った。あぁ、綺麗だな。
軽く放心状態になっていると、肩に微かな重みを感じて視線を隣りに戻した。
目の前には朝美の顔。肩に置かれた細い指。
彼女の真っ赤な唇が、俺に触れた瞬間、魔法にかけられたように世界が真っ白に明るくなった。その中で浮かび上がる朝美の顔。してやったり、という風にニヤリと笑って俺を見るその目に射抜かれ、益々言葉を失う。
朝美も何も言わない。
「ふ、」
「ふ?」
「ふ…不意打ちすぎるわ」
「うん。あかん?」
可愛らしく首を傾げて、彼女はそう言った。
「あかん、こと、ない……全然」
そう答えたあと、嬉しそうに笑った朝美の後ろで、また一つ大きな花火が上がった。
下品なほどに真っ赤な唇
(今日一番の夏の花)