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第3話 胸の煙

マーク・シュレディンガー

‥‥闘技大会の選手。大気を振動させる謎の超能力を手にする。

ビル・シュレディンガー

‥‥アニリン王立シーラン大学大学院社会学研究科博士課程後期二年。マークの弟。

セシリー・ハンセン

‥‥闘技大会の選手。チーム『カミシグレ』。

ルシア・グレイン

‥‥闘技大会の選手。チーム『カミシグレ』。

ローラ・フィールズ

‥‥闘技大会の選手。刃の超能力者。

マーフィ・ダニトリー

‥‥闘技大会の選手。怪力族。

オーウェン・グルーバー

‥‥闘技大会の選手。チーム『アリゲーター』。氷結の超能力者。

ジン・フクザワ

‥‥闘技大会の選手。チーム『アリゲーター』。溶岩の超能力者。

ダニエル・バール

‥‥闘技大会の選手。チーム『ネオキシス』。

 その日の夜は、今回新しく加入してきた四名の選手 —マーク、ビル、ローラ、マーフィ— を迎えるために寮内で歓迎パーティーが開かれた。闘技大会に参加するすべての選手が一堂に会し、テーブルには大量のオードブルと酒が並べられていた。マークたちが席に着くと、セシリーが待ちきれず乾杯の音頭を取った。

「それじゃあ四人の参加と勝利にかんぱ~い!!」


 マークとビルは、一日目に出会った選手たちと同じテーブルとなった。

「そういえばマークとビルはここに来る前はなにやってたの~?」

 もうすでに酒を飲んでできあがったセシリーが質問した。

「俺は工務店で力仕事してたよ。知恵もないもんでとにかく重いもん運んで働きまくってたな」

「だから筋肉もすごいついてるんだね~ 納得~」

 セシリーに褒められ、思わずマークは赤面してしまった。

「俺はシーラン大学の大学院に通ってるんだ。社会学を専攻しててね」

 ビルがそう答えると、横にいたダニエルが間髪入れず質問してきた。

「だ...大学院だと? お前、今何歳なんだ!?」

 一般に大学院に入学するのは学士号を取得してからであるため、普通に進学すると22歳で大学院に入学することになるはずだ。すると同じく大学院に籍を置くダニエルとビルは同い年か1、2歳差ということになるため、顔があまりに若々しく見えるビルの年齢が気になったというわけだ。

「今18歳だよ。大学は飛び級してて今博士課程の2年生なんだ」

 セシリーたちがざわついた。それもそのはずだった。18歳というのは彼女たちがちょうど大学に入学することの年齢だったからだ。その年齢で、ビルは自走して研究する立場である博士課程にいるというのであるから、ビルが異質な人間であるというのは火を見るより明らかだった。質問をしたダニエルは愕然としていた。

「しゃ、社会学ってなにするところなの? 」

 セシリーが素朴な疑問を言葉にすると、ビルは数秒沈黙したのち、自身が行っている研究について簡単に説明し始めた。

「...簡単に言えば、アニリン王国の社会構造の研究かな...。アニリン王国がどうやって今の社会システムを構築するに至ったのかを、歴史から辿って紐解いていくことを目的にしていてね...」

 ビルがざっくりと今やっている研究内容を説明したが、みんなどうも要領を得ない感じであった。大学院で研究をしている学生が、すでに働いている同期たちと久しぶりに会って「今なんの研究してるの?」と聞かれると、皆努めてわかりやすく説明しようとするが、逆にそれが漠然としすぎてて何の話をしているのかよく分からなくなってしまうあの感じに似ていた。

「すごいな...。なんか、スケールが違いすぎててイメージが全然つかないよ...」

 ルシアが率直な感想を述べた。

「まあ、これも今まで学費を稼いでくれたマークのおかげだよ」

「いや、け、結局仕事も今はクビになっちゃって一攫千金を狙いにここに来たんだけどね...」

 ビルはあくまで今の自分があるのはマークのお陰だと立てているが、自分の超能力のせいで学費を稼ぐ手段がなくなってしまったため、いたたまれない感情になっていた。

「そ...そうだったのか...お前ら...」

 ダニエルはマークたちの生い立ちを知り、以前勢いでマークをしばいてしまったことを悔いていた。ダニエル自身はこれまで生活していて切羽詰まったことがなかったため、それぞれが互いのためを思って動いているマークとビルを見て、心の中での評価が大きく動いた気がした。

「ダニエルも大学行ってんじゃん」

 ルシアがダニエルにパスを出した。だが正直ビルの話を聞いた後では自分の来歴がしょぼく感じるのであまり話したくはなさそうであった。


「お、俺はムーア大学に通ってるんだ...。そ、そこで超能力の研究をしててね...」


 マークはそこで初めて、この国で超能力の研究をしている場所があるんだと知った。今まで超能力とは未知の現象であり、メディアでも触れられることが少ないためアンタッチャブルなものなんじゃないかと思っていたが、実はそんなことはないんだな、と価値観が少しだけ変化した。

「それで俺は、たまたま超能力も手に入ってたし、大学で超能力が発現する原理とか、超能力の構造について研究しようと思ったんだよ。闘技大会はそのフィールドワーク的なもので、研究室から参加許可がおりたもんで2年前から参加してたんだ」

 ダニエルがこの闘技大会に来たのは、マークたちとは全く違う動機であった。超能力の謎を解明しようと実際に考えている人と会うことができるとは思っていなかったため、もしかしたら超能力とうまく付き合って社会復帰にこぎつけられるかもしれないと一縷の望みを抱いていた。しかしルシアからの問いに対するダニエルの返事から、その希望が簡単に潰えてしまった。


「それで、どんなことが分かったの?」

「...な...なんにも...」


 ダニエルが続いて釈明した。

「い、いやまあ確かに個々の超能力の性質は明らかになってきたんだ。例えば俺の超能力だったら、一度にどれだけのエネルギーを出力できるのか、とか...。でも、なぜ超能力を持つ人と持たない人が生まれるのかとか、そもそも超能力によって発生した現象や物質は一体どこから出現しているのかとか...。いわゆる超能力の根本的な部分は本当に何もわかってないんだ...」

 ダニエルの言葉を聞き、超能力についてメディアが触れることの少ない理由が少しわかった気がした。超能力は、触れちゃいけない地雷というわけではなく、そもそも未知の現象過ぎてメディアが言及できることが少ない話題だったのだ。自分よりはるかに賢いであろう研究者たちがこぞって超能力の研究をしていて何にもわかっていないのだから、彼らも現実世界で起きたことを淡々と報告するほかがないのだろう。

 ダニエルから超能力の話を聞いて少しわかったことがあった。一つは、超能力は目覚める人と全く目覚めることのない人に分かれるということ。二つは、まったく同じ超能力を持つ人間は世界に一人もいないということだ。故に超能力自体を持っている人間は少なく、アニリン王国中の超能力者を寄せ集めた結果、この闘技大会に集まった超能力者が恐らく最大値であろうというのがダニエルの見解であった。しかも、超能力は現代科学を超越した現象だというのがダニエルの意見らしい。ルシアも超能力を持っているが、ダニエル曰く現代科学では説明のできない現象が起きているとのことだった。


 ひとしきり話し終わると、ダニエルが一言漏らした。

「あ~、ミル帝国と関係が良好だったら超能力の勉強しに留学とか行ってたんだけどな~」

 ミル帝国とは、アニリン王国の南東に位置する国である。陸繋島によって地続きとなっているが、現在関係は冷え切っており、アニリン王国からは渡航禁止令が出されているため、交流が行われていることはほとんどない。しかし噂というのはどうしても流れてくるもので、ミル帝国では超能力に関する研究が世界から見ても100年近く進んでいるかもしれないといわれているのだ。軍国主義を重んじる国家であり、厳重な情報統制によって超能力における研究成果が他国に一切漏れないようにしているというのが有力らしい。

 そんな話をしていたら、一日目にあんなにバチバチだったダニエルとマーク・ビルはすっかり打ち解けて話に盛り上がっていた。


 その傍らで、ローラとマーフィは同じく古参のビアンカ、フローラと同じ卓で食事をしていた。彼女たちの話題は、ローラたちの凄まじい戦いぶりだった。

「二人もすごかったよ!あのオーウェンとジンさんに勝っちゃうんだもん! しかも二人とも超能力者だしね!!」

 ビアンカが彼女たちを称賛すると、マーフィの目が泳いでいるのが見えた。マーフィは超能力者でもなんでもなかったからだ。

「超能力者は一人だけだ」

 マーフィの隣に、今日対戦した相手が座ってきた。溶岩の超能力者であるジン・フクザワであった。マーフィはジンに目を合わせることができなかった。ただ、嵐が通り過ぎるのを待つかの如く、その場でじっとしていた。

「お前、怪力族だろ?」

 聞きなれない言葉にビアンカとフローラは戸惑っていたが、ローラただ一人はその言葉を聞いて顔が曇るのが見えた。怪力族とは、いわゆる普通の人間 —人族— の亜種に当たる生物種である。見た目や基本的な人体構造は人族と全く同じであるが、筋肉密度が数倍程度大きいことから、並外れた身体能力を持つことが多い。何より特筆すべきは、『結晶体』を表出する力に秀でているところであった。

「俺は昔、祖国で軍に所属していたが、お前が見せたあの結晶体を表出する訓練を何度もやらされた。あの結晶体は人間であればだれでも作り出すことができるし、斬撃とか銃撃には特段効果を発揮するからな。だが...、あの量と純度は普通の人間にはどうあがいても出せない。軍で見てきた中でも同じ芸当ができていたのは怪力族だけだ」

 フローラはその場から発せられる空気を鋭敏に感じ、ばつの悪そうな顔をしていた。フローラ自身が怪力族という存在を今初めて知ったということは、超能力者と同じくその珍しさから一般社会であまりいい思いはしてこなかったんじゃないかと考えていたからだ。ジンがあえて怪力族という話題に触れた意図が分からなかったため、ローラは強気にジンを牽制した。

「ええそうよ。マーフィは怪力族なの! でもそれがどうしたの?何がいけないというの?」

 しかしジンにとっては怪力族の存在は身近であったため、他意など含んでいなかった。

「どうもこうもないさ。ただ素晴らしいと思っただけだ。このままいけば、お前は闘技大会でも指折りの選手になるはずだ。あの結晶体は超能力に対しても高い防御力を発揮するからな」

 ビアンカは未知の現象に触れて高揚していたものの、肝心のマーフィはずっと顔を曇らせていた。

「なら超能力者だらけの闘技大会でも全然優勝狙えそうじゃん! すごいねマーフィ!」

 ビアンカは素直に感想を伝えたが、マーフィは正直に喜ぶことができず、愛想笑いをするほかなかった。目線を合わせることができず、ローラが助けてくれるのをひたすら待つことしかできない。

 そんな中、背後のテーブルから大きな笑い声が聞こえ、マーフィは思わず後ろを振り返ってしまった。まるで自分のことを馬鹿にされているんじゃないかと不安になるが、肝心の会話の内容が聞こえてこず、

不安は頭の中で増幅されるばかりであった。


 マーフィの背後に座っていたマークたちはというと、ルシアの誇張しすぎたオーウェンのモノマネを見て大笑いしていただけだった。特に要求しているわけでもないのに、ルシアが自動再生機能付きでモノマネのレパートリーを披露するため、セシリーが笑いのツボに入り、海賊のごとき笑い声で苦しんでいた。

 マーフィがふと後ろを振り向くと、マークがそれに釣られて笑っているのが見え、自分が馬鹿にされているのではないかと被害妄想をしていた。マーフィの異変に気付いたローラは、自分たちが酒に酔ってきたと嘘をついて、その場を後にした。


「ロ...ローラ...、ご、ごめん...」

「ううん。気にしないで」

 マーフィは歓迎会を途中退席させてしまったことをローラに謝罪した。本当は自分としても、こんなことになるのは不本意であったが、体の中に刻まれた傷を癒すには、あまりに早すぎたのだった。


 マーフィは高校生になると、ローラとは違う学校に通うことになってしまった。本当はローラと同じ学校に通いたかったが、マーフィはあまり勉強が得意ではなかったため、受験に失敗してしまい滑り止めの高校に通わざるを得なくなってしまった。ローラにも同じ学校に来てほしかったが、さすがに本命の学校を捨てて一緒に通ってほしいとは言えず、一人で何とかできるからと虚勢を張ってしまい、友人が一人もいない状態で高校生活を迎えることになってしまった。

 高校生活はとても順風満帆とは言えなかった。マーフィが怪力族であると判明したのは、入学早々行われた身体測定であった。マーフィの体重はその見た目に反して 180 kg 近くあった。これは一般的な女子高生の 3~4 倍程度の重さであったため、彼女が怪力族であることは一瞬にしてバレてしまった。その質量の大部分は筋肉であるが、そんな不都合な事実は同級生の女子から受け入れてもらえず、『ブタ』だの『ゴリラ』だのと罵られ、クラス中の格好の標的とされてしまった。中学校でも似たような理由で女子からは嫌がらせを受けていたが、ローラがそれを必死に防いでいてくれたため、表面上では比較的平穏な毎日を過ごすことができていた。しかし今は、その頼りの綱を失ってしまったため、自分で対処するほかなかったのだ。

 その日はいつも通り一人で学校から帰っていた。高校に通い始めてから三か月近くがたつが、女子からの嫌がらせが断つことはなく、ほとんど惰性で学校を行き来する毎日を過ごしていた。ローラには現状を話すことができず、中学校を卒業してからほとんど連絡することができなかった。そのとき、後ろから駆け足で近づいてくる音が聞こえた。それは、同じく帰宅途中だったローラであった。

「久しぶり!マーフィ。 学校はどう?」

「あ...ひ、久しぶり...。ま、まあ...学校はふつう...かな...」

 マーフィは自分が学校でいじめられているとは打ち明けることができなかった。ローラに心配をかけたくないという面もあったが、それ以上に自分がいじめられているという事実を認めることができなかったのだ。

「そっか。あんまり無理はしちゃだめだよ。あたしはマーフィが好きなように楽しく過ごしていてほしいからさ」

 マーフィは自分から白状することはなかったが、なんとなくその話し方や、目線の泳ぎ具合から、あまり思った通りの学校生活が遅れていないんじゃないかと考えていた。しかし言及しすぎるわけにもいかなかったため、マーフィ自身が SOS を出すまでは、ただひたすら見守るほかなかった。しかし、マーフィの心の中にため込まれた負の感情は、夏休み明けの秋の授業で決壊してしまった。


 その日は物理基礎の授業であった。教員がわけのわからない偏微分方程式をつらつらと黒板に書く傍らで、マーフィの周囲の女子はクスクスと笑っているのが見えた。

 マーフィは両手を膝に押さえつけて、体をすくめていた。授業などそっちのけで、体を左右にひねって脂汗を垂らしていた。時計の針を見ると、まだ授業が始まって15分であり、授業が終了するまであと40分近くが残っていた。

「ねぇねぇ、なんだか臭くない? だれか屁こいたんじゃないの~?」

 小声で女子たちが笑うのが聞こえた。女子たちはマーフィの様子がおかしいことに気づいていた。昼休みに彼女の水筒に下剤を入れたのは、まぎれもなく奴らだったからだ。マーフィが授業中に腹痛になったら、一体どうするんだろうかと気になったことが端を発したらしい。女子たちに良心の呵責など存在しなかった。なぜなら奴らにとって、マーフィは人間ではなく豚やゴリラなどの動物に近い生物だと見下していたからだ。マーフィはその身体的特性から、暴力に遭うことは非常に少なかった。だがその代わりに、無視や嘲笑などの精神的な嫌がらせが比重を増していた。夏休みが明けてからはそれが更にエスカレートし、トイレを封鎖したりなどの性的な嫌がらせをするようになっていた。

 マーフィは黒板に書かれている数式などそっちのけで、ただひたすらに時計の針を見つめていた。だがいつにもまして時計の針のスピードは遅々としていて、いつもはあっという間に感じる5分が永遠かのように思えていた。そのとき、いじめの主犯格がマーフィを追い詰めてきた。


「せんせ~。 その問題、マーフィが解けるみたいで~す」


 そのときはっと前方を見渡すと、クラスの人間全員がマーフィの方を見つめていた。その静かな圧力に、マーフィはトイレに行きたいと言い出すことができず、ゆっくりと黒板の前へと歩き始めた。

 問題はマクスウェル方程式の一つ、アンペア-マクスウェルの法則の証明であった。電荷量保存則とガウスの発散定理から天下り的に簡単に証明することができるが、マーフィにとってはその数式が何を意味するのか全く分からなかった。それ以上に、黒板に書かれているのは果たして文字なのか、腹痛でそれどころではないマーフィは、チョークを右手に握ったまま動くことができなかった。


「あっ、あっ、ああっ、あっ...」


 教員に気づいてもらいたくて自分なりに SOS を出したものの、早く授業を進めたい教員はマーフィの奇行を注意し、さっさと解答を書けとだけ言って片付けてしまった。堤防はもはや決壊寸前であった。全身から汗があふれ出し、心臓の鼓動の音が響き渡っていた。

 極限まで追い詰められたマーフィは、数式の証明を放棄し、教室の外に向かって全速力で走りだした。もはや先生に申し出てトイレに行く許可をもらっている暇など彼女にはなかった。しかし、最前列にいたいじめのメンバーの一人が机の下から足を延ばしたことで、マーフィは思い切り転倒してしまった。起き上がって再度走り出そうとしたところで、マーフィは限界に達してしまった。


 クラス中がその異常な光景にざわついていた。もちろんクラスの大半はその事情など知らなかったため、高校生にもなってトイレに行きたいとも言えないのか、と半ば呆れた様子であった。しかし逆にそれがマーフィを苦しめていたのは確かであった。誰もマーフィを助けようとはしなかった。それは教員も然りであった。いじめの主犯格であった女子たちがその光景に笑い始め、マーフィは涙で顔をゆがめながら汚した床を惨めにも掃除するほかなかった。


 その日から、マーフィは学校に行かなくなった。毎日、自室のベッドで天井を見つめる毎日を過ごしていた。いつから自分の人生は誤った方向に向かってしまったのか、自問自答を繰り返しては自分の人生を呪う日々であった。

 ある日、自室をノックする音が聞こえた。学校に行かなくなったことをみかねた両親が、相談相手になってほしくてローラを呼んでいたのだ。ローラがマーフィの自室に入ると、マーフィの目から光が消え失せているのを見て、これまで受けた壮絶な仕打ちを悟った。ローラが声をかけたところで、マーフィの感情が溢れ出てしまった。


「もう嫌だよ...。死にたい...」


 ローラはマーフィがここまで追いつめられてしまったことを自責し涙した。マーフィが再び学校に行ってほしいなどと口が裂けても言うことはできなかった。だからひたすら、ここまで耐えてきたことを称え、現実から逃げることを肯定するほかなかった。


 その日もマーフィは自室に引きこもっていた。ちょうどお昼時であり、学校に通っていたらちょうど昼休みの時間帯であった。1階のほうから、何やらドタドタと大きな足音を立てて階段を上ってくる音が聞こえた。一体何事かと一瞬焦ったが、足音の正体はローラであった。

「え...!? ロ、ローラ...、学校は...?」

 ローラからの返答はあまりにも予想外だった。


「やめてきた」


 当の本人は、いたずらをした少年のように純粋無垢な笑顔を浮かべていた。一体なんでそんなことをしたのか、分かりかねるマーフィが質問をしたところで、ローラが右腕の袖をまくって素肌を見せた。


「見てて、マーフィ」


 ローラの右腕が、巨大な肉切包丁へと変化するのが見えた。どうやら、学校で突然この超能力に目覚めたとのことだった。

「クラスの奴らに見られてさ、みんなバケモノを見るような目で私のことを睨んできたわ。そんな奴らとこれからもずっと過ごさなきゃいけないなんて、やってらんないっての!」

 ローラの言い分は理解したが、やはり学校をやめるというのはあまりに突飛すぎて受け入れられないという感じであった。すると、ローラが背中に背負ったリュックから一つのチラシを取り出した。マーフィにチラシを渡し、その内容を読ませているとき、ローラの目は不安に満たされていた。

「と...闘技...大会...」

 ローラにとって、これは博打であった。マーフィが再び一般社会に復帰するには、もはやこの方法しかないのではないかと考えていた。ローラは自分が異端となったことに少し安堵していた。自分がただの人間の状態で闘技大会に参加すれば、マーフィの身体的特性を利用しているのではないかと彼女に勘違いさせてしまうと思っていたからだ。並外れた筋力を持つ怪力族と、全身を刃物に変化させることのできる超能力者。両者が異端であれば、闘技大会に参加する理由ができるはずだった。

 しかしやはり、マーフィにとってこれはあまりに重い決断であった。マーフィは、これ以上傷つくよりは、このまま自室でこと切れるまで一生を過ごしたほうがマシだと考えていた。

「あ...あのね...? マーフィにもきっと...笑顔で過ごせる場所があると思うんだ...。学校はそれが違ってたんだと思う...。前、私は逃げても良いって言ったんだけど...、これは、逃げてるのを否定したいんじゃないの...。ただ、これが...、私たちにとって逃げた先の居場所になるんじゃないかと思って...」

 マーフィはあまり乗り気ではなかったが、学校を辞めてまで切り出してきたローラの提案を断ることもできず、一回だけなら参加してみてもいい、と言って渋々同意した。ローラは、きっと私たちにとって良い居場所を見つけることができると、そう言い聞かせていた。


 だがマーフィに刻み込まれた人間に対する恐怖は、減衰することなく頭の中に残り続けていた。

「ロ、ローラ...やっぱ私には無理だよ...。あそこにいる人全員が、怖いんだ...」

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