婚約破棄はおいしくパンを焼けなかったせいです
今日もおいしいパンを焼く。
貴族の娘らしくない趣味だとわかっていても。
とても楽しいですからね。
それがわたしの幸せだと思っていたのです。
が……。
「はあ……」
婚約を破棄されてしまいました。
いえ、スコールズ伯爵家からなんて、いいお話過ぎて舞い上がっていたのだと思います。
しかも嫡男アーロン様はニヒルな貴公子として知られていますし。
やはりわたしでは力不足でした。
婚約のきっかけは、伯爵様にわたしのパンが評価されたことだったのです。
大変美味いと。
婚約を機にレシピを教えてくれ、商業展開しようじゃないかということになったのですね。
ところが大失敗でした。
レシピ通りに作っても、何故かおいしくならないということが判明したのです。
散々責められましたが、わたしにも何が何だか。
だってわたしが作ればおいしいのですもの。
伯爵様は大損害だとプリプリしておりましたし、アーロン様には所詮男爵家の娘か、使えんと言われました。
当然のように婚約は破棄され。
当家からの賠償金の支払いこそないものの、わたしは傷物と呼ばれるようになってしまいました。
淑女らしくもないため息も出ようというもの。
いけません。
パンのせいではありません。
楽しく作ってこそですからね。
おいしくなあれ、おいしくなあれ。
◇
――――――――――第三王子ジェームズ視点。
母上の体調が持ち直したことについては、侍医も驚いていたくらいだ。
一時期は食べ物も受けつけず、衰弱しきっていたから。
見舞いに来た母上の遠縁の男爵からもらったパンがいい匂いだと。
パン粥にして食べることができた時は、侍女一同が泣いて喜んでいた。
また食べたいと。
男爵は毎日パンを持参して。
母上の病状はあれよあれよという間に良くなって。
侍医の勧めで運動を始めて体力も戻って。
半年後の今ではすっかり健康体だ。
母上はまた食べたいと言っているが、王宮にももちろん一流のパン職人はいる。
一方で母上の求めるパンを作った者は職人ですらない。
遠慮しようということになった。
その奇跡のパンの作り手コニー・ルース男爵令嬢の名を次に母上から聞いたのは、ちょっと意外なきっかけからだった。
「婚約破棄?」
「ええ。スコールズ伯爵家の嫡男と婚約が成立したのですけれど、破棄されたのですって」
スコールズ伯爵家の嫡男と言えばアーロンか。
王立カレッジで同級だからよく知ってる。
「母上に食べたいと言わせるほどのパンの作り手でしょう? パンにのめり込み過ぎていて、伯爵家に相応しくないということですか?」
「違うと思うわ。おいしいパンを作れるから商売にしようということで、成立した婚約と聞いたもの」
なるほど、事業絡みか。
では?
「何が気に入らなかったのでしょうね?」
「詳しくは聞かなかったけど。コニーちゃんはマルコムが自慢の娘だと言っていたから、きっといい子よ。少し変よね」
ルース男爵家は母上の実家ウェルツライト侯爵家の分かれだ。
当代のマルコム殿は母上と年も近く、幼馴染として育ったという。
経緯にはちょっと興味が湧いた。
僕自身が奇跡のパンを食べてみたくもある。
大体どうしてただの男爵令嬢が王宮のパン職人以上のパンを作れるんだ?
調べてみるか。
◇
――――――――――王立カレッジにて。ジェームズ視点。
「やあ、アーロン。今時間いいかい?」
コニー・ルース男爵令嬢のことを調べさせていたら、思わぬことがわかってきた。
コニー嬢の元婚約者アーロン・スコールズ伯爵令息の話も聞きたい。
何か知っているだろうか?
「これはジェームズ殿下。私に何か御用でしょうか?」
あらかじめ考えていた理由を話す。
「うむ、僕も婚約ということを考えなくてはならない年齢でね」
事実ではあるが、僕の考えねばならないことではない。
僕の婚約事情なんて父陛下の胸一つだろうから。
「殿下の希望も反映されるのですか?」
「そこはちょっとわからない。色々なケースを考えておかねばならないってことさ」
「なるほど。しかし私に何の関係が?」
「アーロンは婚約を破棄した経験があると聞いた」
ズバリ突っ込んだ。
「いや、プライバシーに関わる部分を話せというのではないんだ」
ウソだ。
聞きたいのはプライバシーの部分だ。
「ただもし王子の僕が婚約破棄なんて事態になると、体裁が悪いだろう? 王家の求心力に影響しかねない」
「ああ、かもしれませんね」
「貴重な婚約破棄経験者として、意見を聞きたいんだ。頼む、アーロンの婚約破棄について、言えるところだけでいいから教えてくれないか?」
アーロンは調子に乗りやすいやつだ。
王子の僕が下手に出ているなら、ペラペラ喋るはず。
「特別秘密にしなければいけないようなことはないですよ。王家の忠実なる臣である私は何でも答えます」
かかった!
これでコニー嬢が婚約破棄された理由を聞きだせる。
「アーロンが婚約していた相手は男爵令嬢だったという。どうしてだろう? スコールズ伯爵家の嫡男たる君なら、もっと家格の高い令嬢でよかったと思うのだが」
「私の婚約者だったのはルース男爵家のコニーという令嬢でした。彼女の作るパンが異常に美味くてですね。事業化したらかなりの収益を目論めると、父が算段したのです。そのためコニーと婚約ということになりました」
母上の話していたことと符合するな。
「ふむ、共同事業としての目的があったのなら、なおさら婚約破棄はおかしいと思うのだが?」
「共同事業なんてものじゃありませんよ。ただコニーの持つパンのレシピが欲しかった、それだけです」
「ほう?」
「殿下の仰る通り、我がスコールズ伯爵家とルース男爵家では家格が合いませんのでね。用があったのは絶品のパンのレシピのみ。レシピさえ手に入れれば、あとはまあ」
「最初から婚約解消が前提だったということか?」
ちょっとひどいのではないか?
呆れた話なのだが。
「前提だったというわけではありませんよ。しかし所詮王立カレッジにも通えない程度の女ですからね。私にはやはり合いませんでした」
「スコールズ伯爵家とルース男爵家が納得しているなら、第三者の僕がどうこう言うべきものではないな。こういうケースもあるという、参考にはなった。礼を言う」
「いえいえ、どういたしまして」
「枝葉のことでどうでもいいが、パンのレシピは結局手に入れたんだな?」
本当に聞きたいのはこれだ。
どうだ?
「レシピはもちろん手に入りました。しかしコニーのパンは再現できなかったのですよ」
やはり。
「レシピ通りに作っても平凡なパンしかできなくてですね。コニーに作らせると美味いパンなのに、同じ材料同じ手順でやっても他の者ではうまくいかないのです。これでは事業化なんてできないと父が憤慨してしまいまして、婚約は解消でなく破棄という形になりました」
「ははあ?」
コニー嬢のパンが王宮パン職人の作ったもの以上に美味く、しかも母上の病気が治ったということを侍医から聞いた宮廷魔道士長が、一つの推論を出した。
『そのコニー嬢のパンを作る技術というのはギフトではありますまいか?』
『ギフト? 神からの授かりものだという?』
『さようです。ギフト持ちの作ったものは特殊な効果を持ちます。そして他の者にはマネができないという特徴があります』
侍医も見放したほどの母上の容態が現在の健康そのものの状態にまで戻ったのは、あのパンのおかげであろうと母上自身が言っている。
本当ならば特殊な効果だ。
そしてコニー嬢のパンは再現できないと、アーロンは言う。
いよいよコニー嬢はギフト持ちの可能性が高い。
『もしギフト持ちならば大事にすべきですぞ。さすれば神の恩恵が降り注ぎましょう』
『逆にギフト持ちを蔑ろにしたらどうなる?』
『ハハッ、考えたくもないことですな。神に逆らっていいことなどないと思います』
アーロンとスコールズ伯爵家に待ち受ける運命は、ろくなものではないらしい。
もっともコニー嬢とルース男爵家を格下だからと侮った結果だ。
同情はできんな。
アーロンに上辺だけ取り繕った声をかける。
「うむ、アーロンすまなかったな。君が次こそいい婚約に恵まれるよう祈っているよ」
◇
――――――――――王宮にて。コニー視点。
王妃様の快気祝いに招かれました。
わたしなんかがよろしいのでしょうか?
お父様は王妃様と幼馴染だそうなのでリラックスしていますけれど、わたしは緊張しますよ。
「あなたがコニーちゃんね。マルコムに聞いているわ」
「はい。本日はお招きありがとうございます」
噛まずに言えた!
やりました!
「今日は久しぶりにコニーちゃんのパンを食べられるかと思うと嬉しいわ」
「恐れ入ります」
「その前に……」
王妃様の笑みは魅力的ですねえ。
その前に何でしょう?
「コニーちゃん、うちのジェームズの婚約者になる気はないかしら?」
「えっ?」
ジェームズって、第三王子殿下?
婚約?
だからジェームズ殿下がこの場にいらっしゃるのですね?
お父様、そんな話があるなら先に言っといてくださいな!
いえ、お父様もポカンと口を開けていますね。
サプライズですか?
王妃様やジェームズ殿下の御様子から、どうやら冗談ではなさそうです。
しかしわたしは男爵家の娘に過ぎません。
身分差が許さないではありませんか。
またわたしに王子様の婚約者になれる素養なんてとてもとても……。
「男爵もコニー嬢も混乱しておられるようだ。僕の方から説明しよう」
「お、お願いいたします」
わあ、ジェームズ殿下はビシッとしていて、とっても頼り甲斐がありそうですね。
素敵です。
「先ほど王宮入り口で、検査のためと称してオーブ型の魔道具を触ってもらったのを覚えているだろうか?」
「はい、白く輝きました」
「白く輝いたというのは稀な聖の気を持っているということなのだ」
「聖の気、ですか?」
「神聖な、つまり神様の意向が入っているということよ」
「コニー嬢のパンを作る技能はギフトである可能性が非常に高い。あの場にいた宮廷魔道士長によると、九分九厘間違いないと」
「あの、ギフトと申しますと?」
「神に与えられた才能ということだ」
神様にもらった力?
わたしのパン作りが?
「コニーちゃんは神様に愛されてるってことなのよ。だから大事にしないと王国の平穏にも波風が立っちゃうかもしれないの」
「コニー嬢がアーロン・スコールズに婚約を破棄されたのは知っている。そのせいで王国が神の怒りを買ってはかなわん」
「なんてジェームズは格好つけているけど、コニーちゃん可愛いからジェームズも気に入っているんだと思うわ」
「母上!」
あっ、ジェームズ殿下の顔が赤くなりましたね。
本当に気に入っていただけているのでしょうか?
嬉しいですね。
お父様が発言します。
「当家としてはこれ以上ないお話です。しかしよろしいのですか? コニーは王立カレッジに通っておりません。王子妃が備えるべき人脈も教養も持ちませんが」
そうです。
わたしはパンを作るしか能がないです。
「全然構わないわ。むしろ第三王子の婚約者なんて、わたくしや王太子妃より目立っては困る立場ですよ」
「必要ならば母上のお茶会に参加すればいいし、教育係をつけてもいい。特に問題はないな」
ええっ?
本当に認められそうなことになってきましたよ。
いいのかしら?
「ではルース家に異存はありません。娘をどうぞよろしくお願いいたします」
「そんなことよりパンをいただきましょうよ。わたくしもう、待ちきれなくて!」
わたしの婚約がそんなこと呼ばわりなのですが。
◇
――――――――――その後。ジェームズ視点。
コニーを調べさせていた時、悪い話は本当にアーロンとの婚約関係しか出てこなかった。
淑女学校の同級生からの情報が多かったが、善良でパン作りの得意な令嬢としか。
だろうな。
神が気に入らぬ令嬢にギフトなんか授けるわけがない。
王宮でコニーと初めて会った時も、ガツガツしたところのない落ち着いた可愛らしい令嬢だなと思った。
カレッジで会う令嬢は僕狙いの者も多いから。
ちょっと辟易していたので、コニーは新鮮で好ましかった。
『なんてジェームズは格好つけているけど、コニーちゃん可愛いからジェームズも気に入っているんだと思うわ』
合ってるけどズバリ言うな!
まったく母上は。
僕との婚約後、コニーはお茶請けの菓子も作るようになった。
わたくしのお茶会のグレードが上がったわと、母上大喜び。
コニーも母上のお茶会にちょくちょく参加して、可愛がってもらっている。
そのお茶会などでコニーがギフト持ちだということをさりげなく話しているため、高位貴族の間ではコニーがどういう子かということが少しずつ広まっているようだ。
まあ男爵令嬢が僕の婚約者というのは、ちょっと唐突で違和感があるから。
段々馴染んでくるのではないかな。
コニーのギフトを知った者からは、パンを作ってくれ、お菓子を作ってくれと言われることは当然多い。
ただ父陛下の名で制限をしている。
何故ならギフト持ちをこき使って神の不興を買ったらえらいことになりそうだから。
コニーが楽しんで作れる分だけでいいのだ。
バカなこともあった。
コニーがスコールズ伯爵家に訴えられたのだ。
パンの事業化に失敗し大損害を被った。
賠償金を払えと。
しかしコニーはレシピを渡しただけで、レシピ代も事業化した際の歩合も払われない契約であったことが判明。
おまけにレシピを手に入れさえすれば婚約者だったコニーはどうでもいいと、アーロンが僕以外にもあちこちで言っていたことがわかり、陪審員達に白い目で見られていた。
もちろんコニーとルース男爵家の完全勝利だ。
逆に訴えてやれば名誉毀損の慰謝料を取れる案件だったが、コニーは辞退していた。
……スコールズ伯爵家が金銭的に苦しいことは確からしい。
間抜けな裁判で評判まで落としてどうするつもりなのだろうか?
ギフト持ちコニーを邪険にしたこともあり、今後浮上の目はないだろうな。
「ジェームズ様、お仕事御苦労様です」
僕はまだ学生だが、少しずつ政務も任されるようになってきている。
期待されている証拠だ。
頑張らねば。
「ああ、コニーか」
「休憩されてはいかがですか? お茶とお菓子をお持ちしました」
侍女みたいなことをしているが、それもまたコニーの気遣いなのだろう。
わたしにはパンを作るしか取り柄がありませんからと、コニーは笑う。
そんなことはない。
クッキーも作れるじゃないか。
そういうことを言ってるんじゃないって?
わかってるよ。
控えめで気立てがよくてよく気が利いて可愛らしい令嬢だってことは。
「うん、美味い」
「よかったです」
そのヒナゲシみたいな可憐な笑顔が好きだ。
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