底音さわぎ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
音、というのはコンディションを調べる有力な材料である、とは疑いないところだろう。
いつもと違う音が奏でられれば、いつもと違う存在がそこにある。視覚ほどではないにせよ、周囲に発せられているものを感じ取って判断するすべは多くの動物にそなわっているだろう。
ときに、この手の音ならこいつだな、とほぼ反射的に判断できるものがある。人間社会ならば踏切とか救急車とか、ちょいと耳へ入れただけで正体を想像し、相応の動きをとるだろう。
ほかの動物たちにとっても同じ。種によっては、この音を聞いたならこうしたほうがいいと伝わっているものもあるかもしれない。言葉が通じない以上は、その動きでもって判断よりないけれどね。
私が以前に体験したことなのだけど、聞いてみないかい?
排水溝へ大量の水が流れ込むときの音。君も耳にしたことがあるんじゃないかな?
俗にいう、ウォーターハンマー現象のことは、知っていよう。管内の圧力が流水などで急激に変化し、あたかも鈍器で管をぶっ叩いたかのような音を壁や天井へ響き渡らせる。これは管にダメージが蓄積しやすく、積み重なれば事故につながりやすい。
一番手軽な対策は、急な水流操作を控えることだろうな。どのようなことも、いきなりでかいパワーをぶつけられたら驚くし、傷つくものだ。
とはいえ、これがトイレの流水だったとすると、一気に流さなくてはハンパに残って詰まる恐れも出てくるし、避けられないお勤めといったところか。
私が実家にいるとき、よく聞いたのはお風呂のお湯を抜く時だったな。
私自身はよく知らないのだが、私が生まれるより前にお風呂の残り湯活用に関し、少しトラブルがあったようでね。いささかもったいないと思われようとも、全員が入り終わった後の湯は、そのまま栓を抜いて流しきるよう教えられていた。
私はどうも長風呂の気があって、途中で入ると後がつかえがちになる、とのことで大トリを任されることが多かったな。そのため、お風呂の栓を抜く係も務めていた。
いったん身体を洗って湯船につかった後、出たら改めて頭とかを洗っていくのが私の入浴スタイル。シャワーを浴びたらもうそのまま出てしまうので、このタイミングで栓を抜いてしまうんだ。
話に聞くと、一般的なサイズの浴槽でも200リットルはお湯が入るのだという。
時間かけて溜めたそれを、開栓とともに豪快に流し込むのだから、浴槽の排水溝側としては驚きの瞬間のはずだ。
仮に「慣れ」があったとしても、受ける量と痛みに違いはない。私は水音をバックにして、いつも通りに頭を洗い始めた。
その泡立てたシャンプーでまんべんなく頭へ手ぐしを入れていき、いよいよシャワーを浴びせかけたところで。
ドンドン! ドンドン!
浴槽の底から、にわかに衝突音が聞こえてくる。
すでに私はこのころ、親からウォーターハンマー―現象について教わっていた。これまでにも同じように、お風呂で水を流す際に似たような音を聞き、理由を尋ねていたからだ。正直、何も分からないうちは怖くて仕方なかった。
しかし、「慣れ」は痛みを変えられずとも、心の重みは和らげてくれる。「なんだ、またかよ」とさして集中を乱すことなく、シャワーから出る湯をかぶっていく。
どうせそのうちおさまるだろ……とのんきに構えていたのだけど。
ドンドン、ドンドン! バン、バン、ガラリ!
ガラリ!? と私は自分の耳を疑った。
バン、バンというガラスをたたく音もさることながら、ガラリとは明らかにガラス戸を開ける音だ。
この浴室のやや上部。湯気などを逃がすために取り付けられている小窓。そこは入浴中、ほんのわずかだけ開いておくようにしていたんだ。
いつもなら、わずかな時間だけ開けて、すぐに閉め切りなおしてしまうのだけど、このときの私はどこか気を抜いていたのだなあ。
いったい、何が入ってきたのか? 反射的にまなこを開けてしまって、すぐに私は鋭い痛みを両目に受けた。
シャンプーの泡だ。おそらくは弱アルカリ性で、目というデリケートな部位への刺激が、激痛となって私の脳へ指示を求めてきたのだろう。このときはいっとう強い痛みで、私は必死にシャワーの水を顔へあてがうことになった。
当然、音の出どころにはされるがままになる。
あのガラスを開ける音の直後、確かに軽めの何かが、かすかに水音を立てて浴槽に降り立つ気配があったんだ。
ドンドン、ドンドン! ドンドンドンドン!
底からの叩く音はなお勢いを増す。
音の具合からして、もはや浴槽の残りはほんのわずかなのは違いない。そうなれば管への負担も減り、水撃も小さくなっていくと思われるのに。
何度も目を開けようとしては痛みに悩み、なんとか目をこじ開けられたときは、すでに流水が絶えてからしばらく経ったときだった。
目を見開くのとほぼ同時に、浴槽の破片のひとつが飛んで、私の左ほおをかすめていく。
直前に響いた衝撃音とともに、浴槽の底にはピンポン玉がすっぽり入るくらいの穴が開いていたんだ。直後に、ガラス窓もまたぴしゃりと閉まったが、そこには何の姿も見当たらない。
なにより妙なのは、穴が開いたのは浴槽の底面の半ばまでで、管などが通っているだろう地面やアスファルトのあたりはまったくの無事だったということ。
あの叩く音の主は、浴槽そのものに閉じ込められていたのだろうかね。