政略結婚の憂鬱
この日、私はお父様の私室に呼び出されていた。
侍女のラナからその知らせを受けてから、私の心はずっと憂鬱そのもの。お父様が私やお兄様を私室にお呼びになる時は、決まって重要な話があるときだからだ。
加えて、私は先日デビュタントを済ませている。
成人したばかりの娘に持ちかける話なんて、一つに決まっているもの。
そう、つまりは、私の婚約者の選定についての話だ。
次期国王になることが既に決まっており、幼い頃から婚約者のいる双子の兄、エドワードと違って、私には現在婚約者がいない。お兄様はお世継ぎ問題などがあるので早々に婚約が決まったけれど、私に関してはその緊急性がなかったためだ。
だけど、王女も政略結婚の駒としてその運命はある程度定められている。
私にも然るべき時が来たのだ。
コンコンコン、と扉をノックする。
「失礼します。お父様、リリィです」
部屋の扉を開ければ、お父様は窓辺に佇んでおり、私の声で振り返った。人の良い笑みを浮かべ、私にソファを勧めた。
「リリィ。よく来たな。まあ、座りなさい」
「では、失礼しますわ」
私とお父様は向かい合って腰を下ろした。近くに控えていた給仕係は私とお父様の前に紅茶の入ったティーカップを置いてくれたので、お礼を言った。湯気が立っており、素敵な香りが鼻孔をくすぐる。これはホーエンツォレルン家が最近注力している商品ね。少し口に含むと、爽やかな味。これはベルガモットだわ。私の好きな柑橘系。お父様が用意させたのかしら?
「…それで、お父様。察しはつきますが、私にお話とは何でしょう?」
「そうだね。リリィが想像している通りだよ。君の婚約者についての話だ」
「やはり、そうですわよね…」
私は、はあと小さく溜め息を吐いた。
与えられたものは何でも楽しむ、がモットーの私だけど、流石に自分の人生を捧げる結婚についてはその限りではない。お父様も、お兄様も、政略結婚だけど、相手のことを本当に愛しているのが伝わってくるし、その相手からも愛されているのが目に見えて分かるラブラブっぷりだ。だから、政略結婚に特別に抵抗があるというわけじゃない。
ただ若干夢見がちな私は、自分の好きな人といつか素敵な恋に落ちて、結婚の約束をするーーーそんな恋愛結婚にどうしても憧れてしまう。
それに自分の「王女」という立場を鑑みると、他の貴族令嬢たちよりも他国へ嫁がされる可能性がとても高い。慣れない土地で誰も頼る人が見つからず、孤独感に冒されたまま死んじゃったらどうしましょう…
でも残念ながら、その可能性が高そうね。
だって、私と同年代くらいの高位貴族の令息は皆んな大体婚約者がいる。王女が嫁ぐ先は大体公爵か侯爵あたりが相場なのだけれど、国内で残っているのは1枠くらいしかないもの!
ちなみに彼の家は国内で一番幸せな嫁ぎ先と令嬢たちの間ではよく囁かれている。殆どの令嬢が彼の婚約者の座を狙っているようなものだ。
ああ、私の婚約相手が彼だったらいいのになあ。
昔から思っていたことだ。
でもそんな都合の良いこと、現実にあるわけがない。
残念ね、と私はまた溜め息を吐いてしまう。
お父様は私の不安を感じ取ったのだろう、優しく諭すように私に語った。
「…リリィ。私はリリィの結婚について、この国の王である前に、父親として、リリィの意思を最大限尊重するつもりでいるよ。君が嫌だと言ったら、婚姻も考え直そう。ーーーだが、申し訳ないが、その相手を選ばせてやることはできない。理解できるね?」
「…ええ、もちろんです。お父様」
私は微笑んだ。
お父様のその言葉は十分に優しかった。甘いくらいだ。私が嫌だと反抗できる余地を残すなんて。
別に政略結婚は、嫌じゃない。
だからどんなお相手でも、私は嫌だなんて言うことはないわ。
ただ、恋愛結婚にちょっと憧れていただけ。
それと、結婚相手に理想を持ちすぎてしまっただけで。
「私、お父様の選んだ方なら、間違いないと思っていますもの。お断りすることなんて、いたしませんわ」
私の覚悟に、お父様は心打たれたように碧眼を大きく見開いてから、目尻を下げた。力強く頷いた。
「リリィ…そうか、よく言ってくれたね。ありがとう。君は本当にエドワード同様、良い子に育ってくれた……、……いやーそれにしても良かったよ。実は、リリィの婚約はもう10年も前から決まっているから、断られたらどうしようかと。私も友人のジールに合わす顔がなくなってしまうからね」
「ジール様、?どうしてそこでジール様のお名前が出てくるのですか…?、え、まさか、…もしかして…私の婚約者って…?」
ジール=ラーデエル。現ラーデエル公爵であり、国王であるお父様を、宰相として、友人として、公私ともに支えてくださっているお方だ。そしてジール様には2人の子供がいる。私は彼ら兄妹とは幼い頃から仲良しだ。特に次期ラーデエル家当主である彼とは、同学年なこともあり、これまでの人生で多くの時間を共有してきた。
黒髪に碧眼。すっと通った鼻筋にシャープな骨格。すらりと長い脚。彼は浮世離れした美しい容姿をしている。何度意図せず令嬢を頰を染めさせてノックアウトさせてきたことか。
おまけに勉学も体術も常にトップクラス、魔法の才に関してもあの化け物の兄にも引けを取らない優秀ぶり。
そんなハイスペックなのに、性格まで穏やかで紳士的という完璧すぎる男性。
彼こそが、件の、国内で一番幸せな嫁ぎ先である。
それが、まさか、私の婚約者…?
うふふ。
いやいや、そんな都合の良い、夢みたいな展開あるわけがない…!!
「リリィのことだから、ずっと勘づいていたと思うけどね。正式にこの場で伝えておくよ。君の婚約者は、ルーア=ラーデエル。ルーア君だよ。良かったね、彼ならリリィも安心だろう?」
「……」
いえいえ、お父様?全然、私気づいておりませんでしたのですけれど…!
はあぁぁぁ!!
でも、良かった。
ルーアが婚約者なんて!
夢みたい!
はあ〜っ、幸せ!
ルーアとなら、絶対上手くやっていけるわ!!
うふふ、私たら、なーんにも心配することなかったわね…
******
翌日。ルーアのもとに、晴れて婚約者同士となった挨拶をしに行くと、不安そうにしていたルーアは私がこの婚約を喜んでいることをわかって、とても嬉しそうな顔をしてくれた。
ほんと、女性を喜ばせる天才ね。ルーアたら。
「良かった。俺は、リリィにこの婚約を拒否されたらどうしようかと思っていたんだ」
「ええ?そうなの?そんなの、あり得ないのにー」
「え?」
「私、ルーアが婚約相手だって知って、すごくすごく嬉しかったんだから!」
私は昨日の興奮冷めぬまま、ルーアに顔をぐいっと近づけた。
「そう…なのか…?」
「そうだよ!私、とっても幸せ」
「…!」
ルーアは私のストレートすぎる告白に、驚いたように目を見開いたけれど、すぐに破顔した。
「ああ、俺もリリィのことがーーー」
「だって、幼馴染が婚約者なんて最高だよね!」
「…ん、?」
ルーアは首を傾げ、不可解そうに私を見た。もう!と私は同意を求めて、ペラペラと捲し立てる。
「だって、そうじゃない?私、愛のない結婚なんて絶対嫌!知らない男の人と結婚しろなんて言われたらどうしようかと思ったけど…昔から知っているルーアが相手なんだもの!穏やかなルーアとなら、絶対上手くやれるわ!」
「…あ、ああ…」
「ふふ、それにルーアはこの国で一番幸せな嫁ぎ先って社交界で言われているの、知ってた?家柄や能力は勿論、性格まで素敵で、もう大人気なのよ!ルーアと結婚する女の人は幸せだなあって思っていたけれど、まさかそれが私だったなんて!嬉しい!」
「……」
え、何で泣きそうな顔をしているの?ルーア?
ああ、頭を抱えて…
え、え、?
うーん、ちょっと食い気味に語りすぎちゃったかな?
いけない、いけない。