廃家の穴
「ここか」
別の地域から来た輩から金をふんだくった翌日の夜、クレイは金髪男が言っていた東の外れにある廃家に来ていた。
一応来たという事実は残しておかなければならない。あの時咄嗟に出た嘘かもしれないし、本当に噂されている謎の声があるかもしれないのは定かではないが、クレイにとってはそんなものどうでも良い。
あろうがなかろうが金は貰える。なかったらラッキー、事実だったら多少面倒だがやる。それだけである。
「今日も元気にやりますかね」
廃家に忍び込む。本当にボロボロな家だった。そもそもこの辺りは人の通りが少なく住んでいる住人も少なく、空き家も多い。人がいないのはこちらとしてもありがたかった。
「声ねえ。今のところ聞こえないけど……ん? なんだこれ?」
廃家の奥の方に、床が突き抜けた大きな穴が存在していた。人が余裕で入れる大きさで、中は薄暗くて良く見えない。
「穴か……元いた奴が悪事バレた時用の逃走ルートでも掘ってたのか。なんでもいいか」
もういない奴のことなど考えても時間の無駄。考えるは今。穴に近づいて確信した。微かに声がする。
「ただ働きが良かったな」
愚痴を溢し穴へと飛び込む。それほど深くはなく足への衝撃は少なかった。やはり薄暗い。夜の明かりの無さもあり視界が悪くて仕方ない。
腰に付けてあるウエストポーチから赤いビー玉のような物を取り出す。それを手から離し地面に自由落下をさせる。すると、その玉から炎が揺らめき始め、一瞬のうちに炎が地下の地面に張り巡らされた。
この赤い玉はアリシアからもらった魔法。アリシアの炎魔法を一点に凝縮して、炎の性質を"燃やす"から"灯す"に変化させた器用な魔法だ。
つまりこの魔法の炎に殺傷能力はない。現に地面に張り巡らされた炎はクレイの真下にも存在しているが、クレイの足元を燃焼する様子はない。あくまで暗い場所を照らす役割しか持っていないのだ。
「見えた見えた」
おかげで声の正体がわかった。前方、背後にもいる。屍のなり損ないが複数あった。
「屍鬼か」
屍鬼。魔物の一種。正確に言えば、魔物の末路となる姿。生きる目的がなくなった、討伐され瀕死の状態などの魔物が、約2割の確率で屍鬼に堕ちると言われている。
その容姿は手足の長さが不均等な獣のようなものとなり、皮膚は爛れ自我を失い、怪奇で哀れな醜態となってしまう。堕ちた魔物は、人も同胞も区別なく襲いその死体を貪り喰らう。それが新たな生きる目的として確立され、その魂が燃え尽きるまで世に留まる。
「ああはなりたくないもんだな」
前方に4体、背後に3体の屍鬼がいることを察知する。大方、人が住みつかなくなったこの一帯に紛れ込んだ屍鬼がこの穴に落ちて出られなくなった、ということだろうとクレイは悟る。
「命終わらせてやるよ」
堕ちた魔物に興味などなかった。屍鬼はこれまでも何度か目にしている。倒し方は簡単。人間で言う致命傷のダメージを与えれば絶命する。両手にナイフを構えた。
クレイは狩りを始める。
疾駆。刹那、あった距離は無になる。左手のナイフで左の屍鬼の脳天を貫いた後、右手のナイフで右斜めにいる屍鬼を斬り裂く。激昂する感情など屍鬼にはないが、同胞がやられ2体が牙を研ぎクレイに迫る。
うち1体に1本のナイフを投擲。腹部を貫通し悶える屍鬼を押しのけ、クレイに近づこうとするもう1体の屍鬼。クレイは眉すら動かさず、背中にある鉈を握る。
振るい──両断。屍鬼の体は真っ二つにされ、ナイフが突き刺さり苦しんでいた方の屍鬼の首も落とす。
前方の4体を始末。残り背後の3体。
振り返る半回転を利用し鉈を投げる。鉈が空を舞っている間に屍鬼の肉に刺さったナイフを2本とも抜く。
鉈が1体の屍鬼の顔面に激突。音速の足踏みで距離をまたもや無に還し、鉈を握り返し下段へと振り下ろす。左横にいた屍鬼が腕を伸ばしクレイの頭を掴みにくるが、見ていないはずもなかったクレイが斬り伏せる。
右腕が失われた屍鬼を壁に突き飛ばし、首を掴んで左手でナイフを取り出し刺す。2、3度抜いて刺すを繰り返し、その命を刈り取った。
「よし、あと1体」
ここまで10秒もかかっていない。ナイフにも体にも返り血が飛び散って、地面の揺らめく火炎に重なって見える。
腹が減った獣は、満たされるために獲物を狩る。クレイの場合、満たす物が金だった。クレイのこれは日常茶飯事。いつもと何も変わらない仕事で、もうすぐ終わろうとしていた。
「今日は得したなっと……ん?」
やることを終わらせようと最後の屍鬼に目を向けた時、違和感を感じた。
(グゥ……ル?)
目の前にいる屍鬼である魔物の姿が、本当に屍鬼なのか疑問に思った。手足の長さは通常の人間と変わらない。皮膚は爛れているというより汚れているの方が近い。体から白い蒸気が出ているのも気になる。
屍鬼と言われれば屍鬼なのだが、さっきまで対峙していた者たちと比べると懸念点を拭えなかった。
(まいっか)
が、思考を放棄して屍鬼と判断した。そもそもこの考えは意味がない。屍鬼だろうがなかろうがクレイにはどうだってよかった。
何ならこいつを無視してこの廃家の穴を埋める手もある。そうすれば時間はかかるが餓死を待てばいい。本当にどうだっていいのだ。
だから、クレイは迷いなく狩りを選んだ。
屍鬼は動きを見せない。好都合。予想外の動きを見せる可能性があるが、それは反射でなんとかする。
殆ど屍のその肉体の心臓部位に刃を突き立てた。肉を貫き、本来心臓があるであろう深部に刃が到達した。屍鬼は抵抗すら見せない。抵抗するという思考ができないほど自我が欠落しているのか。
「拍子抜けだな」
ナイフを抜くと、屍鬼と思われる魔物は背中から地面に倒れた。死んだと見て間違いないだろう。
「杞憂か」
クレイは武器を全てしまう。これで仕事は終わり。後は帰ってナハヤから受け取っている金をもらうだけだ。クレイは入ってきた穴から出ようと穴の真下に向かう。
「寄る前にシャワー浴びるかなあ」
その時、
「あ」
声がした。クレイの切り替えは早かった。しまったコンバットナイフを真っ先に抜き取り背後を見る。死にかけのか細い声のようだった。
(生きてんのか……致命傷はどれにも与えたはずだが)
しかし自分の不手際の可能性も拭いきれない。仕方なく、クレイは声がした屍鬼の正体を突き止めようと1歩踏み出したが、2歩目は必要なかった。
「ああ……人がいる」
声の正体はすぐにわかった。あれはクレイが最後に仕留めたはずの屍鬼……"だった者"。今のこの姿を屍鬼と呼ぶには難しかった。
体から白い蒸気が出ていて、全身が半透明で今にも消えそうになっている。屍鬼のように見えていた醜悪な見た目は、半透明ではあるが清潔で麗しい肌が確かにある。
そして顔。屍鬼と見間違えた時には、顔と呼ぶにも疑わしいほど判別などできなかった。しかし今はわかる。そしてそれは、かの有名な彼に酷似していた。
「ゆう……しゃ?」