2日目 苦い茶会
「どうも。お邪魔してるわ」
重い足取りで自室に帰ると、ルッカが僕の自室に居た。カーネーションのカップで紅茶をいつも通り飲みながら、いつも通り綺麗な姿勢で座って僕を観て、くつろいでいた。
相変わらず彼女は、髪と瞳以外はフィリア様とそっくりだ。姉だから当たり前だが。
「……くつろいでも?」
「えぇ、十年来の旧友といるくらいの心持ちで構わないから」
慌てて襟を正しておいたが必要は無かったようだ。
「そんな友人を作った覚えはないですが」
「ふふ、少しは礼儀を持ちなさいって意味だったのだけれども」
「分かっています。この地域の人の真似事をしてみたくなったんですよ」
「あら、それなら勉強が足りないみたいね。今から座学を手配してあげましょうか?」
「……参りました。お言葉に素直に甘えさせていただきますよ」
置いた覚えのない、ルッカの座るティーテーブルの反対側に座ることにしよう。
近づくと、柑橘類特有の爽やかな香りに混ざって、不思議な香りが鼻腔をくすぐってきた。
「今日のお味は?」
「フルーツティーよ。今日はオレンジにシナモンを加えてあるから少し違う味になってると思うわ」
くるりとカップを回し、味わったあとにこりと笑って一言。
「ツクヨム。あなたもお一ついかが?」
「えぇ、もちろん。そのために用意してあるんでしょう?」
一瞬ルッカの視線がずれた。その視線の先には空のティーカップが置いてあった。
「ふふ……よくわかってるじゃない。ほら、注いであげるわ」
「……ありがとうございます。セッカさんは?」
「気にしなくていいわ、今日は個人的に来ているだけだから」
ルッカの慣れた手つきで注がれる液体は、赤では無く橙色だ。
とくとく、という水滴の集合体が奏でる音色は、視覚的だけなく嗅覚に刺激を与えるものであり、シナモン特有の甘い刺激が、脳にも同様の感覚を与え、一秒でも早く流し込みたい衝動に襲わせるには十分だ。
「ありがとうございます」
ルッカが席に戻るのを確認した後、改めて香りを堪能し流し込み、舌で紅茶を転がしてみる。
「どう?」
「なんというか……面白いですね」
「でしょう?普段の生活にはない刺激。これも平穏を思わせるものよね」
その比喩はくさいが、あじがある。
オレンジ特有の口内を締める味わいがシナモンによって緩和され、甘さを感じるにも関わらず、後味にはその甘さを醸していたものが、ほんのり裏切って辛みを残してくれる。さすがは香辛料、『転移魔法陣』の流通前は高級品だった理由がよくわかる。
氷雨さんは、今頃くしゃみでもしているのだろうか。
「夢中なところだけれども、こちらを見てもらってもいい?」
「……そうでしたね」
「ねぎらいだけで満足してもこちらが困るわ」
本題に戻りましょう、と言うように飲みかけの紅茶をルッカは置いて僕に目を合わせてきた。しかし、その琥珀の目の優しさは変わらない。
「こちらも質問したいことが沢山ありますからね」
三口目の紅茶を啜りながら、こちらも優しい目を意識して返すと、ルッカは軽く頷いた。
「えぇ、時間が残れば、ね。とりあえず初日の業務、お疲れ様。分かっているとは思うけれどこれはねぎらいの意味をこめての賄よ」
「はい、堪能させていただいていますよ」
「それはわかるわ。……十分すぎるくらい。」
くぁぁ……とルッカが欠伸をした。
「ごめんなさいね」
一瞬見せた油断の表情に少しどきっとしたが、よく見ると目の下には軽い隈が確認できる。
フィリア様もこんな感じの顔になるのかな……
「それで……あなたの業務に関してなのだけれど、話してもいいかしら?」
「はい、特には」
「そ。なら言うね、一言で採点するなら……」
身体へ少しばかり緊張と部屋に響く静寂の後、結果が彼女の口から放たれ言葉は……
「普通ね」
非常に聞き覚えのあるフレーズと高さのものだった。
「どうしたの?普通を目指すあなたにとって、最もうれしい評価だと思うのだけど」
「……ルッカさんもそれですか」
「『も』、ね。ふふ……そう、あの子もね」
紅茶を一飲みするルッカは、とても嬉しそうだ。
つられて僕も一口と傾けたが、もう既に飲み干していたようだ。
「ただ……料理が普通、なんて面白い評価ね。妹からそんなの初めて聞いた」
ん?今の発言はおかしい。
二杯目を注ぐ手を止めて、彼女に聞いてみる。
「まだ料理の評価に対して普通と下されたなんて……」
「今日の仕事を考えるなら、感性が求められる仕事なんて料理しか考えられないでしょう?」
どうやら僕の疑問は想定済みのようだ。
「それもそうですね」
二杯目はシナモンが溜まっていたのか甘みと辛みが強く、何度飲んでも飽きない味わいだ。
「ただ……そこが引っかかっているのよ、私としてはね」
「どういう意味ですか?」
「簡単よ。『普通』なら、普通なんて評価にはならないと思わない?」
「……?」
「どうして食事に対して普通という評価になったか自分で理解してる?」
あぁ……急に変わった。
ルッカの眼は、ぼくの嫌いな視線へと、スイッチを切り替えるように変わった。
人を値踏みする、裁定者の眼だ。
「僕の料理が気に食わなかったんでしょう」
「それならば、『嫌い』や『不味い』と言うでしょうね」
「なら、フィリア様に僕への関心が無かったからとか……」
「あんなに構われていたのに?私に喧嘩をうっているのね。」
「いえ、そんなつもりは……がっ」
「殴らせなさい」
「殴った後に言われても」
「次間違えたらもう一度という意味よ」
「理不尽極まってますね」
「私も痛いからおあいこよ」
ルッカのパンチは腰が入っていない素人のものだ。別に痛くはない。
ただ、彼女の拳に傷が入れば、僕の首が物理的に飛びそうだ。主にメイド長のせいで……
少しはまじめに考えてみるが、何も思い浮かばない。ただ、セッカさんのノートの通りに作っただけなのに。
いや……違う。そうか、そこだ。これが原因なのか。
「……気が付いた?」
「はい」
「そ。ツクヨム。あなた、普通に作りすぎたのよ」
「……紅茶、冷めるわよ」
「……どうも」
「そんな真面目な顔をしないで?舌が鈍くなるわよ」
少し、前の顔を思い出した。
一週間前のルッカの顔。
緊張する顔を愉しそうに観察する顔だ。
「あなたの働きぶりを見た時、私の中で固まっていた評価は違っていたの。最初はね」
湯気の立つ紅茶を彼女は美味しそうに飲みながら、一呼吸。
その吐息は淫靡で幸福を漏らすようなものだ。
「若干ぎこちない所はあったけれど、すぐにものを覚え、そつなくこなす器用なだけの旅人。一週間の研修を経て視たあなたは、ただの普通の執事だった。まぁ、感情や表情を隠すのはとっても上手だとは元々感じたけれど」
「……ありがとうございます」
「ほら、今も表情のせいで、皮肉なのか素直にとっているのか分からないでしょ」
「仕方ないですよ。昔からそうなので」
ルッカの容赦ない言葉責めに思わずため息を漏らしてしまった。
表情を隠すのが上手い、という意見は割と気にしているので言ってほしくないのだが。
特に隠すという所が気に食わない。
僕は別に表情を隠しているわけではなく、ただ単に表情を出すのが苦手なだけなのに、皆に
勝手に勘違いされている。
実際セッカに「うるさい」と言われるほどには考えてはいるし、頭の中では表情豊かな自分
が会話をしているわけであって……悪いのは僕の感情に追いついていない表情筋だ。
そういえば、昔からよく笑顔をもっと見せてと言われていたな。
……誰にだ?いつ言われた?
──思い出す必要はないさ。
「本当にそうかしら?まぁ、その分妹を見た時のあなたの顔は驚いたけれど」
入り込んだ思考は、こちらを観るルッカの発言によって、現実へと引き込まれた。
さて、どんな話をしていただろうか。
そうか、表情についてだ。
「えっと、そんなに変わっていたんですか?」
「それはもう。ね。目の前で恋の運命を見せられたら誰だって気が付くわ」
「……お嬢様に見惚れたのは事実ですからね。否定はしません」
体温が上がるのを感じたので、隠すように紅茶を飲むが、少し温くなっており、渋みが下に残った。
「えぇ、あと五秒凝視したらその目を潰してやろうかと思うほどにね」
ルッカさん、目が怖いです。
「それで、どうしてあなたはセッカと同じ料理を作れたの?」
「それは……セッカさんに料理を教えてもらったから──」
「あの子と全く同じ味付けの仕方を?」
「ノートに書いてあったものをそのまま──」
「盛り付け、焼き時間、食材の切り方も?」
「……」
「はぁ……百歩譲って一週間でセッカの技術を身につけ、億歩譲ってセッカ丁寧に教えたということにするわ。するじゃない?でも、『普通』なら完全に同じ味になるなんてことがあるの?それもただ見ただけでね」
「……」
「紅茶がまずくなっちゃうわね。これ以上は止めておくわ」
またひとつ、深いため息を一つした後、席を立って指を鳴らし、
「あぅ」
ティーテーブルと椅子を収納した。
「別に思考を変えろとは言ってない。ただ、『普通』に執事をこなしていくのなら、私は介入をやめないわよ」
「いてて……何故ですか?僕はあなたに挨拶した時、確かに言いましたよね?『平穏な日常を送りたい』って。それを行うための努力の一環として『普通』に仕事をしたんですよ」
腰をさすりながら彼女に不満を投げてみるが、どうやら苛つきは止まらないようで、睨むよ
うな眼へと少しずつ変貌した。
しまった。
だが、もう遅い。
今更になって僕はルッカをいつの間にか怒らせていたことに気がついたとしても、発した言葉、態度は取り消すことができないのだ。
「……そう評価したのに不服な反応を返した人に言われるとは思わなかった言葉ね。反論の一つを返す暇があれば、あなたの人生における自己矛盾を治すところから始めるところからいかが?それを解決できないのなら、ただ無意味に、無個性に、無表情な人生を妹に押し付けさせないで」
何も言い返せない。
粛々と受け入れるしかない。
ただ漠然と日常に憧れて旅を続けていた月詠夢に深く、鋭く貫いたから。
「……早く明日に備えなさい。一日でも長くここに居たいのならね」
ルッカ様が部屋から去った後、僕は今日の出来事を思い出していた。
一つ一つ、丁寧に、好きな本を捲るように。
ただ、思い出すたびに自分の失敗とルッカ様の発言の正当性に精神を殴られ続けていく。
青痣を執拗に叩かれる痛みに近い。
「そりゃあ、ルッカ様も怒るわけだ」
布団に飛び込み、足をバタバタさせてもっと思い出す。
ただ、フィリア様に言われた通りに動き、フィリア様に問われた事に淡々と返すだけの自分。
何の面白みのない、つまらない僕と、それを退屈そうに見る少女の顔の、赤く虚ろな眼だ。
冷静になれば当然だ。
彼女にとって、僕は『自分でやっていたことを手伝ってくれるだけの人』なのだから。
こんなの、『平穏な日常』でもなんでもない。
ただ、生きているだけだ。
「どうすればいいんだろうなぁ」
今日は夜更かしというものをやってみることにしよう。
……
──パキ




