2日目 魔術と魔法
彼女の食事も終わり、清掃も一通り終えた後は、自由時間のようだ。
「用が出来たら呼ぶ」
お嬢様にそれだけ言われて、半ば追い出される形で自室に戻ったはいいが……
「暇だな……」
胸に付けた翡翠のペンダントを光に当てながらごろごろしているだけで、結局何もやることが思い浮かばないで過ごしていた。
時刻はまだ十一時。
用があればペンダントが光ると言われてから、既に一時間経過していた。
あのメイド長……また肝心なことを教えなかったな……
人が噂すると、くしゃみをするらしいが、ほんとに起こってしまえばいいのに。
ああ駄目だ。このままだと身体が鈍ってしまう。
いち早くふわふわの寝具から抜け出さないと。
「よっと」
こういう時は自分の持ち物を見れば何かある。
ポーチの中に暇つぶしのできる物は……ないかなー。
なんてことを思いながらポーチの中を漁ってみる。
タオルと……水筒と……飯盒と皿と……もっと奥だったか……
「あった」
奥の方に引っかかっていたが、ようやく手に取れた。
表紙が両面とも厚紙の、麻紐で綴じた紙だ。ただそこまで紙の質が良いものではないので、魔力が漏れて、色あせてしまっている。
そういえば、屋敷外の村で使うわけにはいかなかったから、これに関しては一週間どころか、半月以上使っていないことになるのか。
使えない状態になっていなければいいが……
「良かった。ぎりぎり使えそうだ」
紙に書かれた魔法陣は多少掠れてはいたが、魔力を込めれば正常に作動するだろう。
これが使い物にならなくなったら、僕は路頭に迷う羽目になっているほどのものなので、本当に良かった。
いつ使えなくなってもおかしくないので、中身はまとめて取り出しておこう。
この道具は、数年前に開発された。
具体的な年数は覚えていない。
だが、それを手に入れた時、その利便性は、この世界の流通に革命的変革をもたらした理由を理解することに、時間はかからなかった。
当たり前だ。それは子供の時、いや、老若男女関係なく、誰もが一度は考えたことだ。
「そんなもの叶うわけがない」
と思っていた代物が、手元で、当たり前のように使えるのだから。
その道具の名前は『転移魔法陣』。
「からっぽの袋から無限に物が取り出せたら」
その道具は、そんな不可能を可能にした。
かつてMF小説で描かれた空想上の魔術。
かつて魔法と呼ばれた、再現性のない完全なる神秘。
『転移魔法』を不完全だが、再現性を以て、存在を証明したのだ。
『転移魔法陣』の使い方は非常にシンプル。
一つ。転移したい道具に、特定の『魔法陣』を刻印する。この際、魔法陣を描く際の素材、大きさ、色は自由で、どのように描こうと、消費する魔力は変動しない。(そもそもほとんど魔力を消費しない)
二つ。『転移魔法陣』と道具を接着し、『収納』して、『保存』する。
これだけ。
たった二つの工程で、あらゆる物品が、小さな荷物で輸送可能になったわけだ。
強いて弱点を挙げるなら、一つの魔法陣に一つの物しか『収納』できないことと、『収納』時に『転移魔法陣』と距離が離れれば離れるほど魔力消費が多いこと位だが、前者は大きな箱を用意すれば、複数の物品を包含して持ち運ぶこともできるし、後者はそもそも接着状態で使うものなので、無いようなものだ。
もちろん取り出す方法も簡単だ。
口で言おうが、心の中で思おうが、一つの言葉を唱えて魔力を込めるだけ。
「『解錠』」
本来は必要ない一言。無駄な文言を唱える。
単語一言の詠唱。これが僕の魔術のこだわりだ。
言い終わると同時に、僕がしまっていたものが水から浮かび上がるように、どこからともなく現れた。
旅道具一式と、護身用の武器。あとは旅先で買った本くらいがめぼしいものだ。
そこまでスペースを使うものは無いが、徒歩の旅を考えるなら、この量はとてもじゃないが持っていくことはできない。
まさに旅のお供としては必須級の至高の魔術だが、別に普及したところで旅人が増えたとか、行商人が増えたなどという話は一切無い。
便利になっただけで、別に国外の危険が減ったわけでは無いから、当然と言えば当然か。
これはあくまで物を転移させる魔術だ。
人を転移させることはできない。
この魔術の開発者のいる国まで、あと数日だったのになぁ……
研究して、戦闘に実用化してみたかったものだ。
そう思いながら、よく使うサバイバルナイフを握り、訓練を始めた。
そもそも、今の僕には必要のない行為ではあるが。
「『加圧』」
前は少し熱くなり失敗したが、冷静になればこの魔術は、調整が容易だ。
現にナイフ捌きの反復練習は、既に元の水準に戻っている。
ここまで速度をコントロールできるなら、この室内でもできるだろう。
身体は軽い。『加圧』のかかり具合は完璧。
後は出来るという自信だけだ。
深呼吸を一つ。
僕はナイフの刃を持って、壁に向かって投擲……
瞬間、踏み込む。
息を止め、脚に貯めた力を開放し、一言。
「『加速!』」
猛烈な抵抗感と共に、足を地につけ、停止した瞬間。
振り向いて、右手を横に薙ぎ払った。
「……よし。成功」
冷や汗を袖で拭いた後、安心感で壁に寄りかかってしまった。
流石に十メートル間に投げたナイフを追い越し、壁前で急停止後に振り返って、回転するナイフを目視でキャッチとなると、恐ろしいものだ。
失敗したら確実にルッカとセッカに大目玉を食らうところだった。
「……おえっ」
強烈な吐き気が襲い掛かって来た。
急激に止まりすぎて、脳に衝撃でも入ったのだろう。
もう少しこの技術は改良の余地がありそうだ。
まぁ数分もすれば収まるだろうし、これからの業務には支障はない。
お、丁度ペンダントが淡く発光した。
時計を見ると、既に正午を少し過ぎた頃だ。
用意されているであろう昼食を持ってから、フィリア様の部屋へ向かうとしよう。




