2日目 フィリア様
「……なんでケガしてるの?」
眠たそうな声で、ぬいぐるみを持った彼女はそう言った。
「……理由は聞かないでください。とりあえず、おはようございます。フィリアお嬢様」
「うん……おかげさまで早起きできた」
今の時刻は八時。ノートの記載を鵜吞みにするならば一時間早起きしていることになるのか。
よし。もう一回謝っておこう。
「……もういい。着替え、お願い」
結局七回位謝った所で、呆れられたのか、フィリア様はため息をついて鏡の前へと向かった。
「……?してくれないの?」
軽く欠伸をした後、催促するように、じとっとこちらに緋色の目を向ける。
「す、すみません。すぐに取り掛かります」
その目線に思わず鼓動が乱れそうになるが、これは仕事だ。
すぐに青基調のドレスを持って、彼女の後ろへと向かうと……
フィリア様の後ろ姿を初めて見ることができた。
前から感じてはいたが、彼女の身体は細いというよりは、瘦せすぎている。
肌着の中からちらりと見える鎖骨や肩甲骨だけでなく、肩の骨も少し見えてしまうほどなので、少し心配になってしまうほどだ。
ご飯とか、食べているのかな……いや、用意されていた朝食はお腹を満たすには十分な量な気がしたので、単純にあまり肉が付かない体質の可能性も……
「……」
しまった。考え事が長かったようで、振り向いて睨まれてしまった。
これからはドレスを着せながら考えることにしよう。
「では……失礼します」
……肌着がワンピースのようなものになっていて本当に良かった。
こういう着替えの手伝いって、普通ペチコート(いわゆる見えてもいい下着)を穿かせる所から始めるものではないと思うのだが。
……いや、お嬢様の身体の柔らかさとか、ほんのり髪から漂うフルーツのような香りだとか、余計なことは考えないようにしよう。頭がどうにかなりそうだ。
僕は変質者ではなく、従者に過ぎない。
丁寧に、時間をかけて彼女の着付けを行っていこう。
「……」
「……」
聞こえるのは布擦れの音だけで、会話を交わすことはない。
というよりは、話しかけても交わそうとしてくれない。
ただ、されるがままに、全て委ねて、服を着せられているだけだ。
僕は人形を着飾っている。
そんな言葉が浮かんできた。
「どうしたの。手が止まってるよ」
「すみません。リボンのバランスに手間取って」
「はやくして。飽きてきたから」。
「できる限りは」
人形のように見える理由がわかった気がする。
フィリア様は別に無口というわけではないし、表情も基本的にむすっとしているだけで、どこぞのメイド長よりかは豊か……な気がする。
今の所蔑みと呆れの顔しか見せられていないとは思っていない。思ってないぞ。
ならば、どこが彼女の印象をそう思わせるのか。
「お嬢様。それでは正面に失礼いたします」
理由は明確だ。
そう、結局初めに見た時と同じ。その目だ。
ただ、目の前の景色を視覚として認識しているだけ。
その光景に何の情緒も、反応もしない、虚ろな目だ。
ドレスの右部分にある、複数のテープ状の布を中心が直線になるようにリボン状に結びながら、改めて彼女の顔を覗き込んでみる。
うん。すっごい可愛い。でもやっぱり彼女の目は変わらない。
ここまで似合う可愛い服を着てるんだから、もっと反応してもいいのに。
流石にそれを面と向かって言う勇気はないが、この服を僕が着るなら口に出して言える。
「可愛いなぁ……フィリア様……」
「……ふーん。どうも」
だれか僕を殺してくれ。
羞恥で体中が焼けるように熱くなってくる。
せめて負の方向でもいいから反応してほしかった。
別に興奮はしないから、変態。だとか、気持ち悪い。位の罵倒が欲しかった。
だが口に出てしまったのならば仕方がない。僕は事実を口にしてるだけだ。
そう思えば体の熱も自然と引いてきた。
「はい。もう動いて頂いて問題ありません」
両肩の紐リボンと、首元のリボンを結んで、彼女と一緒に鏡を見る。
そこに扇情的な姿は既に無く、あるのは気品の漂う令嬢の姿だった。
この姿を自分が作り出したと思うと、達成感が湧いてくる。
あぁ。こう見ると姉のルッカと雰囲気は似ているな。
そんな余韻に浸っていると、
ぐい。
フィリア様が僕の服の袖を引っ張ったのだ。
「……お嬢様?どうかなさいましたか?」
「一言いい?」
「はい……どうぞ」
「こっちのこと見すぎ。集中して」
あはは。どうやらご不満たっぷりでいらっしゃったようですね。
「朝食をお持ちしました」
まだ機嫌は悪くしたままだろうか。恐る恐る聞いてみたが、
「……ありがと」
そんな心配は要らなかったようで、お嬢様はトレーに乗った食べ物を、淡々と摂取していた。
彼女の今日の朝食は卵とハムのサンドイッチ一つずつとオニオンスープ。ドリンクに紅茶の入ったティーポットとカップが用意されていた。爽やかないい香りが漂ってくる。
こんな言い方になるのは、別に僕が朝食を作ったわけではないからだ。
着替えが終わった後にすぐ、「お腹が空いたから、朝ご飯早く持って来て」とお嬢様に言われた時は焦りで頭が真っ白になっていたが、調理室には保護魔術のかけられた料理と共に「作りすぎた。昼も作るからご飯は夜から作っといて」という汚い字のメモが用意されていた。
僕はその料理を持って来ただけなのだ。
言うなれば、セッカさんの気まぐれに助けられたわけである。
……いや。うん。確かに仕事なんて他人がしてたのを見たことしかなかったし、子供の頃から旅で生きるための知識しか持ってなかった。無かったのだが……
ここまでできないとは思っていなかった……しかもまだ始めて一時間ちょっとで。
詰め込みとはいえ、ちゃんと従者のいろはを教えてもらったつもりだったんだけどなぁ。
「はぁ……」
部屋の遊具を一通り片付けた後、気が緩んでしまい思わずため息が出てしまった。お嬢様の前でするのは駄目なことは分かっていたのに。
ちらっとお嬢様方向を見てみるが、幸い黙々と食べているだけで、聞こえていたわけではなさそうだ。
相変わらずどこを切り取っても絵になる可愛さだし。
おっと危ない。まだ慣れてもいないのにこんな余計なことを考えるから失敗するんだ。
仕事に集中しよう。
埃を立てない掃除は全て終わらせた。
後はお嬢様が朝食を食べ終わるのを待つだけだ。
お嬢様の方を見てみるが、彼女は足をぶらぶらさせながら、サンドイッチを食べていた。
まだ半分も食べていない。
のんびりご飯を食べるタイプなのか。
いや、ただ一口が小さめなだけのようだ。
両手でしっかりと持って、もぐもぐと丁寧に食べている。
机の上だけ見れば、育ちのいいお嬢様といった姿だ。
そんな感じで咀嚼の様子を観察していると、急に席を立ちあがり
「……ご馳走様」
僕の方に目配せをした。
片付けをしろ、という意味なのは分かるが、一応言ってはおこう。
「お嬢様。僕の目にはまだサンドイッチが残っているように見えますが」
「おなかいっぱいなの。はやく片付けて」
そう言って彼女は僕の顔を見てくれた。
ただ、彼女は文句があるかという態度よりは、申し訳なさそうにしている印象があった。
まぁ……納得はできる主張と態度だ。
だが、僕の中では合点がいかない。
「……残っているのは一口分だけです。折角お嬢様の為に(セッカさんが)作った食べ物なんですから、残さないように食べてください」
僕の料理だったら仕方がない、で終わっていたが、これは人が作ってくれたものだ。こちらとしても申し訳ないが譲れない。
お嬢様はため息一つ吐き捨てて、戻り、最後の欠片を口に放った。
「……どうせ残しても何も言われないのに」
「でも、しっかり食べてくれたら嬉しくなりますよ」
「……それはあなたが作ってから言って。ゆきのサンドイッチは塩気が足りないの」




