1日目 PM
「はい。ここが今日から暮らす部屋」
妹様に出会う前、ルッカに案内された自分の部屋は、前よりも広く豪華だった。
といっても、最低限生活できる家具だけの部屋から、広さを大幅に増やしてユニットバスや大きめのデスクが増えた程度だ。
変わった程度……か。慣れというものは恐ろしい。
「僕が暮らすには広すぎるくらいですね」
先週までは小さな部屋でも天国扱いしていたのに、僕には贅沢な部屋だなぁ程度にしか思わないようになってしまっていた。
まぁ事実として、家具が少ないせいで走り回れるほどの広さはあるのだが
「折角妹の面倒を専属で見てくれるのだから、それに沿った待遇はすべきでしょう?」
という理由でこの広さになっているようだ。
え?つまりこれわざわざ改築してるの?流石に聞く勇気はないけど。
よく見ると、壁紙にうっすら境目があるのが見える。地下室なので壁に囲まれた箱のような空間だが、切り取り線のような壁紙の境目は巨人がいたら部屋をぱきっと半分に割れそうだ。
「もし何か欲しいものがあったらゆきを呼びなさい。あの子は耳がいいから、名前を呼んだらすぐに来ると思うから」
「大声で叫べばいいんですか?」
「……うるさいって言われたいなら。そういう趣味に興味はある?」
「遠慮しておきます」
「そ。ならそのまま別の部屋も案内していくわね。どうせあの子の部屋は地下の一番奥だし、流れとして説明した方がいいでしょ」
そう言って彼女はそのまま部屋の外へと出た。
そのままの流れで部屋の説明を受け続けていって、とりあえず地下の間取りは理解できた。
どうやらこの地下室はT字路となっていて、僕達が入ったルッカ様の部屋に直接繋がる階段から、薄暗い廊下を真っ直ぐ歩くと、図書室へと繋がる登り階段へと行き着く。
その階段二つに挟まって、僕の部屋(従者の部屋)があり、部屋の入口からそのまま進めば、地下にあるすべての部屋の扉へと向かうことができるようになっている。
「良くできた構造ですね」
「あら。もう理解したのね。つまんないの」
なるほど。予想に過ぎなかったが地下室の間取りの意味は合っていたのか。
自分の部屋からそのまま進めば妹様の元へと向かえる。
逆に言えば、それ以外の場所に行くことは有り得ない行動だ、と伝えたいわけか。
ルッカさんはたいそういい趣味をお持ちのようで何よりだ。
こう思ってみる。が、彼女はどこぞのメイド長とは違うので、当然僕の心の声は聞こえない。
ただ、この部屋は調理室だの、一人のために作ったには気合を入れて作りすぎた大浴場だの言って気にせずに、案内を続けてくれている。
……ちくっ。少し皮肉った思考に胸が締め付けられるような感覚があった。
彼女の足取りは軽く、心の底から楽しそうなのだ。
その姿はまさしく年頃の少女。可憐。その一言に集約するものだ。
『彼女の』執事を辞めた今。ようやく気が付いた。執事でいたら気が付くことはなかった。
ルッカ・ファートム・アーウィング。彼女は、当主を背負っているだけだ。
本来の姿は、今ここにいる、どこにでもいる少女なのだ。少女というには美しすぎるが。
少女を改めて見る。背が大きく感じた。
大きなものを背負う姿だ。だがその中身は見せない。
とてもおしゃべりな人なのに、その口は真意を一言も吐かない。
妹様以外にも、この屋敷は調べることが多すぎる。
ふと、少女が振り返り、僕を見つめる。
しばらく見つめた後、少女はまた、当主のルッカの顔に戻り、話しかけた。
「着いたわ。ここがあなたの新しい『お嬢様』の部屋。……ねぇ、聞いてるの?」
「すみません……少し考え事を」
「……私のこと?」
「どうして気が付いたんですか?」
「あなた。自分が思っている以上に語っているのよ。ここが」
そう言って、僕に指さした。その先は僕の眼だ。
「目で語る、なんてかっこいいたとえじゃないですか」
「何言ってるの?ここ。顔に出てるのよ」
「……さっきの発言はキャンセルします」
「申し訳ないけど、返品不可なのよ。言葉って商品は」
「なら忘れてください」
「安心して。死んでも忘れないつもりだから」
「そんなご無体な」
……訂正。こいつマジで性格悪い。
ため息を一つ。さて、新しい生活が始まる。
僕は高揚感と共にドアの扉を……扉……と……
「……何をためらっているの?ツクヨム」
「……」
僕は扉の前で立ち尽くしている。妹様がいる部屋の前で。
ドアノブを手に取り、止まっていた。
「……今更緊張でもしてるの?」
「いえ。そんなことはないです」
緊張は無い。むしろ楽しみで仕方がない。ただ、僕の手は震えている。
あぁ……またか。また始めるのが怖くなったのか、僕は。
息が出来ない。手先だけだった固まりが、凍えと並行して腕へ広がっていく。
部屋が静かなせいか、歯の鳴る音が鮮明に脳に響く……
「……ツクヨム」
「……」
……
「はぁ……あなたにアドバイスをしてあげる。一つだけね」
その後の彼女との時間は、始まりを恐れる僕には最高のアドバイスだった。
ルッカは僕の横に立ち、ドアノブを持つ手を重ねると、染み込むような声で告げ知らせてくれた。
「進むのが怖くなったら、私達を見て。あなたはもう、この屋敷の家族だから」
その声は、優しく、温かく、身体を融かしてくれた。
くさい言い方だが。
まるでお姉ちゃんだな。
と口にしかけるところでしたよ。
ようやく、僕はドアノブを回して、その先へ進むことができた。
部屋に入った時の感想を端的に言えば、「広い」の一言だ。
内装は走り回れるとかぬかしていた前の部屋の倍の広さ。いや、シャワールームが無いので広さはもっとかもしれない。
一人で使うにはあまりにも広い。広すぎる。
だが、その部屋はあまりにも鬱屈としていた。もちろん空間的な意味ではなく、部屋の明るさや湿度といった、外的要因でもない。
空気と言うか、雰囲気というか……概念的にそうであると感じさせる部屋だった。
「なんだ。まだベッドにいるのね。フィリア?起きてるの?」
そんな風に辺りをしばらく見まわしていたら、沈黙を保っていたルッカが呼びかけて、部屋に音をひびかせていった。
また、空間に静寂が訪れる。
……ごそ。
部屋の奥。シーツの擦れる音だ。
音の先は、パーテーションとカーテンで仕切られた空間で聞こえた気がする。
ただ……それ以降は布擦れの音がある程度聞こえるだけで、声を返すことは無かった。
「おはよう、フィリア。そして久しぶり。何か月ぶりだったかしら?前に会ったのは。そうだった。ごめんなさい。私たちにとって『どのくらい前』に会ったかなんて、どうでもいいことだったわね。……今日はあなたにプレゼントを渡しに来たの。……まぁ、前にも何度か同じプレゼントは渡したけれど、今回は簡単には『壊れない』はずよ」
パーテーションの向こう。返事は……予想通り来ない。
ふと横を見ると、ルッカは隣にいなかった。
「何してるの?今日はあなたがメインなのよ?」
彼女は、既にフィリア様の姿を見せる気満々のようだ。
早く。こっちにおいで。
そう言うかのように手招きされて、僕はそれに従う。
床に散りばめられたぬいぐるみ、絵本。それらを踏まないように気を付けて彼女に近づいていくのは、さほど難儀なことでなかった。
ただ……その床の物々は、妙に注目させられる。
それらは……ほとんどが
「早く来なさい。」
「……そう急かさないでください。すぐに向かいます」
観光を楽しませてはくれないようだ。
また、ルッカの隣へと並び直すと、また彼女は向こう側へと話しかける。
「フィリア。開けるわよ」
ルッカは重い扉でも開けるようにカーテンを開け、隠された景色が露わとなった。