私に求婚したタツノオトシゴ様は『みにくいたつのこの子』でした
海水をたっぷり張った、白い陶器の水槽から、上半身を覗かせて、そのタツノオトシゴさんは言いました。
「公爵令嬢エミリー・アヒリー・ド・ダックワース。俺と結婚してくれ。俺と結婚すればいいことしかないぞ」
異世界にも程があるんじゃないかなあ、と思いました。
なぜ、タツノオトシゴが喋っているのでしょう? なぜ、わたくしがタツノオトシゴから求婚されているのでしょう?
確かに私、現世にいた頃、タツノコプロの昔のアニメは大好きで、特にガッチャマンをよく見ていましたけれど、だからと言ってタツノオトシゴから好かれる覚えはありません。
とりあえずは、こう聞くしかありませんでした。
「あなたは何?」
「そこは『あなたは誰?』と言ってほしいな」
表情を変えずに、タツノオトシゴさんはぶすくれました。
「じゃあ、あなたは誰?」
「俺の名はジャン・ジャック・シュヴァルマラン」
「名前があるのね」
「当たり前だ」
またもや彼が唇を尖らせた表情のままぶすくれました。私はなんだか可愛いと思ってしまいました。
「ところであなたと結婚したら、どんないいことがあるの?」
「俺は金持ちなんだ」
表情を変えずに彼は教えてくれました。
「それに何より、絶対におまえを幸せにする」
ふふふと笑いながら、私はさらに聞きました。
「どうして私なの?」
「おまえがふつうだからだ」
忖度など一切なく、彼は言い切りました。
「この世界は美女ばっかりだろ。そんな中でそのふつう顔が落ち着くんだ。ずっと見ていたくなる」
男のひとが作られたのでしょうか、この世界は確かに美女ばかり、胸の呆れるほど大きな女性ばかりです。男性に美形はそれほどいないのに。
そんな中で珍しいともいえる、『ふつう』の容姿をもつ私に彼が惚れたというのは、なるほどと思える話でした。
でもちょっと、失礼じゃない?
「ふつうなら誰でもいいのね? あなたは『ブス専』なの?」
「『ブス専』とはなんだ」
「美人よりもブサイクな女性のほうが好きな男の人のことよ。一般的に、自分に自信のないひとが多いと聞くわ」
「おまえはブサイクじゃない。ふつうなだけだ」
タツノオトシゴさんは言いました。
「もっと自分に自信をもて。それに、おれはずっとおまえのことだけを見ていた」
「え。ここからですの?」
そこは美しい森の中に作られた、物置小屋の裏にある、花咲く庭でした。森で花を摘みながらお散歩していたら、そんなところまで来てしまったのですけど、花のいい香りがするからと入り込んでみたら、彼がそこにいて、いきなり私の名前を口にし、求婚して来たのです。私がそこを訪れたのは初めてでした。
「おまえがこの世界に落ちて来た時から見ていた。異世界から落ちて来た時からだ」
「あ。なるほど」
それでなんだか事情が呑み込めました。
異世界からの転生者には、彼らにとってとても都合のいい能力が秘められていると聞きます。
『転生者を得る者は世界をも得る』と、お父様からよく聞かされていました。もちろん私は自分が転生者だということはお父様にも誰にも話していません。
そして転生者を得たお父様がいつまで経っても貧乏貴族だという事実で、そんな噂は嘘だとわかっておりました。
「ふふ。転生者である私の力が得たいのね?」
諦めさせようと、私は言いました。
「でも、あんな噂は嘘っぱちよ。転生者を得る者は世界をも得るだなんて。それなら私のお父様は、今頃王様にでもなっていないとおかしいもの」
「そんなんじゃない」
タツノオトシゴさんはぷるぷると小さな頭を振りました。
「そんなものを望んでんじゃないんだ、俺は」
「では、何をお望みなのかしら?」
にっこりしながら私は聞きました。
「おまえを幸せにしたいんだ」
真顔なのかどうかよくわかりませんでしたが、真剣な声で彼は言いました。
「おまえの人生を知っている。前世では平凡で貧乏なOLで、しかもトラックに轢かれてミンチになって死んだ。こっちでは貧乏な男爵家に生まれて、転生したから特別な人生が待ってるかと期待していたら、容姿はふつうだし、お金はないし、素敵な出会いもこれまでなかった。見てられなかったんだよ。おまえを幸せにしてやりたいんだ」
「お金持ちだって仰ってたけど……」
私は冗談を聞くように、訊ねました。
「お金の力があれば人を幸せにできると思ってらっしゃるの?」
「もちろんだ。見ろ!」
タツノオトシゴさんがなんにもせずにそう言うと、一瞬で私の着ている襤褸のドレスが、王妃様が来てらっしゃるような、豪華なドレスに変わりました。
「まあ! これ、魔法?」
貧乏貴族家に生まれ、現世にいた時もお洒落なんて、それほどには興味もなかったので、そんな姿になったのはほとんど初めてのことでした。
「どうだ。幸せな気分になっただろう?」
「うーん……」
何て言ったらいいか、よくわからない気分でした。少なくとも幸せというよりは、戸惑いに近い気分でした。
彼がお金持ちだというのが本当なら、彼について行けば、私は幸せになれるのだろうか? もう、もやしと雑草ばかり食べている毎日とはサヨナラできるの?
タツノオトシゴってどれくらい生きるのかしら。なんだか途轍もなく長生きするような気がするわ。彼が2、3年で死ぬならともかく、この先ずっと長く一緒にいないといけなさそう。
私は種族を超えて愛せる自信がありませんでした。いくら財産があっても、愛がなければ、いつか寂しくなる。
犬や猫、フェレットなら結婚したいと思ったこともあるけど、タツノオトシゴはわけがわからない。
私は断ることに決めました。
「ごめんなさい、シュヴァルマランさん」
「ジャンと呼んでくれ」
「……ごめんなさい、ジャン。あなたのことよく知らないし、愛せる自信がないの。お気持ちは嬉しかったけど」
「そうか」
「そういうことだから……。ごめんなさいね。それじゃ、私、帰るわね」
「気が変わったらいつでも来てくれ。俺はいつでもここにいる」
そう言うとジャンは水槽の中に潜り、海水の中をゆらゆらと泳ぎはじめました。
◇ ♥ ♤ ♣
お友達のマデリーヌさんに、森でお金持ちのタツノオトシゴさんに出会ったことを話すと、彼女は食いついて来ました。
「なんで断っちゃったのよ!? 凄くいい話じゃない! そのタツノオトシゴさん、あたしが貰っちゃって、いい!?」
「でも、タツノオトシゴよ? 結婚なんて、できる?」
「もちろんよ! だってお金持ちなんでしょう!?」
そう言えばマデリーヌさんは、相手に財産さえあればダニとでも結婚できる女でした。
私が着ている豪華なドレスを見て、話を信じ、そして目が眩んだようです。
「それにタツノオトシゴはイクメンよ? 彼に子供の世話を押しつけて、遊んで暮らせるのよ?」
「そ……、そうなんだ?」
あまり興味はありませんでした。
「何よりタツノオトシゴって、ほんの2、3年で死んでくれるのよ? 彼が死ぬまで愛しているふりをすればいいだけだわ」
「ええっ!? そうなの!?」
そんな……。
あの可愛いタツノオトシゴさんが、たったそれだけしか生きられないなんて。
ぽろっと涙が出てしまいました
「ね! 紹介してよ、そのタツノオトシゴさん!」
マデリーヌさんは私の手を握りしめて、迫って来ました。目が金欲に輝いています。
◇ ♥ ♤ ♣
「エミリー……」
白い陶器の水槽から顔を覗かせて、表情はまったく変わりませんでしたが、ジャンはなんだか寂しそうな声を出しました。
「紹介するわね、ジャン。こちらはマデリーヌ・ド・ドゥールーズ子爵令嬢。あなたとお付き合いがしたいんですって」
「こんにちは、ジャン・ジャック・シュヴァルマランさん」
マデリーヌさんは罅割れそうなほどの笑顔で挨拶をしました。
「エミリーさんから聞いてた通りの、魅力的なタツノオトシゴさんね!」
ジャンは表情を変えずに言いました。
「醜いって思ってるくせに」
「そ……、そそそそんなこと思ってませんわ!」
マデリーヌさんはなんだか焦ったように、挙動不審になりながら、かぶりを振りました。
「とってもお可愛くってよ! 天から落ちて来たミニチュア・ドラゴンのよう!」
「君は……ふつうだね」
「あら! あなたはふつうの女性がお好きだって、エミリーから聞いていましてよ!」
「そうだな……」
ジャンは唇を尖らせて、言いました。
「容姿はともかく、中身も君のような女性こそがふつうなのかもしれないな。それで言ったら、エミリーは、特別なのかもしれない。滅多にいないタイプなのかもしれない」
「エミリーさんのことはどうでもいいでしょう?」
マデリーヌさんは本性を隠そうともせずに、言いました。
「ここで出会えたのも、運命の糸が二人を結びつけたのですわ。タツノオトシゴはあなた、欲の申し子は私! あなたのお金が欲しい! わたくしと結婚してくださいまし!」
欲に目が眩んだマデリーヌさんの顔を、醜いな、と思いながらも、私はニコニコと笑っていました。
「エミリー……」
ジャンが私のほうを見ながら、聞きました。
「君はこの女性と僕が結婚することを望むかい?」
「もちろんよ!」
私は二人のためを思って、即答しました。
「だってマデリーヌさんも私と同じ、転生者なのよ? 私には世界をも手に入れるような能力はないけど、彼女にはあるのかもしれないわ」
そう言ってから、マデリーヌさんのドゥールーズ子爵家も貧乏だったな、と気づきましたが、空気を読んで黙っていました。
「……そうか」
ジャンは寂しそうな声で、呟くように言いました。
「君が望むのなら……この女性と結婚しよう」
◇ ♥ ♤ ♣
ジャンは私のことはずっと見ていたと言ってたくせに、なぜか同じ転生者のマデリーヌさんのことは知ってもいませんでした。
二人の結婚式は盛大に執り行われました。町で一番大きな結婚式場で、水槽に入ったジャンと豪華なウェディングドレスに身を包んだマデリーヌさんが並び、半ば強引に新婦が新郎の尖った唇にキスをしました。
マデリーヌさんはお友達がとても少ないのですが、お金の力で式場にたくさん人を集めていました。もちろんすべてジャンのお金でした。
ドゥールーズ子爵様も奥様も、娘とタツノオトシゴの結婚を、心から祝福する笑顔で見つめてらっしゃいました。
私も二人を心から祝福しながら、でもジャンの無表情がいつも以上に無表情に見えてしまい、本当にこれでよかったのだろうかという気持ちにもなってしまいました。
◇ ♥ ♤ ♣
ある朝、突然に、私は思い出しました。
前世の記憶……。あれは私が小学校5年生の頃のことだったと思います。
道で死にかけているタツノオトシゴを拾ったのでした。
冷たく細い雨の降る下校時でした。私は早く帰って無料のスマホゲームがやりたくて、急ぎ足でした。
彼を見つけたのは奇跡のようなものでした。ふと歩道の脇の排水溝を見ると、流れる雨水の中に、木の枝やゴミと一緒に、見慣れないものが混じっていたのです。
「あ……。これ知ってる」
私はそれを拾い上げると、声に出して言いました。
「タツノオトシゴだ! なんで、こんなところにタツノコが?」
ぴくんと、渦巻きみたいに丸まっていたしっぽが動きました。
「生きてる……。助けてあげなくちゃ」
私はハンカチにそれを包んで、潰してしまわないように、ずっと手の上に乗せて、大切に家に持って帰りました。
ちょうどシーモンキーが全滅したばかりの飼育キットがあったので、塩水の中に入れてあげました。
底のほうでぐったりしていたので、励ましてあげました。
ガッチャマンのDVDを再生しながら、何度も何度も声をかけてあげました。
「元気になって! タツノコさん」
「頑張れ! 頑張れ!」
「立ち上がるんだ、タツノコよ!」
応援した甲斐があって、その日の夜にはシーモンキー飼育キットの中で、タツノオトシゴさんは立ち上がりました。
エサをあげようと思いましたが、何をあげたらいいのかわからず、ネットで調べると、タツノオトシゴはエサの点で飼育が難しいとありました。
ほとんど活きた小エビしか食べないというのです。そんな小エビなど、手に入れようがありません。
「ごめんね、エサはあげようがないの」
私は無表情でこっちを見ているタツノオトシゴさんに言いました。
「だから、私の愛をあげる!」
念力を送るように、狭い水槽の中の彼に、愛を送りました。
「あなた、可愛い! 大好き!」
両親は『うちの子、バカだな』と思っていたことでしょう。でも私は大真面目でした。
踊るように歩き回りながら、何度も彼に愛を送ったのでした。
「大好きだよ、タツノオトシゴさん! 愛してる! だから、もっと元気になって!」
私の愛をいっぱい食べたからなのか、タツノオトシゴさんはめきめきと元気になり、狭い水槽の中を泳ぎ回るようになりました。
結局、タツノオトシゴを飼うには大きな水槽が必要で、エサの管理も大変とのことで、海に戻してあげることになりました。
お父さんにお願いして、近くの海に、シーモンキー飼育キットに入れた彼を連れて行きました。
「今まで狭いところに閉じ込めてごめんね? 広い海に帰ってお行き」
手のひらに乗せた彼にそう言うと、彼は無表情な顔で、私をじっと見つめました。まるで『この恩はきっと返す』と言ってくれているようでした。
「うん。いつかまた会おうね」
私は微笑みかけながら、彼に言いました。
「愛してるからね。あなたは可愛いよ」
岩の上からそっと海に入れてあげると、泳ぎ出しました。体をまっすぐ立てて、へんな泳ぎ方でした。
離れて行きながら、彼が私のほうを振り返ったように見えました。
「バイバイ! また会おうね!」
私がそう言って手を振ると、手などないはずなのに、彼が『いいね!』とサムズアップをしたように見えました。
どうして忘れていたのでしょう。
ジャンはあの時の、あのタツノオトシゴさんが異世界に転生した姿なのかもしれない。
寝起きのぼうっとした頭で、私は考えました。
『彼は恩返しがしたかっただけなのに……私、覚えてなくて、マデリーヌさんに彼を押しつけてしまった』
まるで浦島太郎に助けられた亀が、お礼に龍宮城に連れて行ってあげようとしたら、浦島さんは彼を助けたことすら忘れてて、意地悪じいさんを背中に乗せられたみたいなものだな、と思いました。
マデリーヌさんと結婚して、ジャンは今、どうしているのだろう。
彼に会いに行きたくなりました。
◇ ♥ ♤ ♣
ちょっとびっくりしてしまいました。マデリーヌさんの住む襤褸屋敷が、ほんの数日で立派な豪邸に建て替わっていたのです。
「あっ、エミリーさん! ちょうどよかったわ!」
宝石を散りばめたドアを開けるなり、キラキラのドレスに身を包んだマデリーヌさんが言いました。
「タツノオトシゴって、どうやったら死ぬのかしら? 海水から出しておくだけでいいの?」
「ジャ……、ジャンを死なせる気? あ……、あなたの夫でしょう?」
「だって醜いんだもの。あんなものがわたくしの夫だなんて、許し難いわ」
「『可愛い』って言ったじゃない! 醜くなんかないわ! ジャンはとても可愛いタツノオトシゴよ!」
「まぁ、魚としてみれば可愛いと思ったのよ。でも、人間として見ると醜いでしょ? あんなものを夫として見るなんて、出来るわけがないわ」
マデリーヌさんは平気な顔をして言いました。
「お父様も搾り取るだけ取ったらすぐに殺せって。もう、充分に搾り取ったから……」
「失礼!」
私は強引に、彼女の豪邸に上り込みました。
「ジャン!?」
応接間に入ると、私は信じられないものを目にしました。水もないテーブルの上に、無造作にジャンの体が横たわっていたのです。
息も絶え絶えに見えました。
「ああ……! ジャン! なんてかわいそうなことを……!」
私は駆け寄り、彼を抱き上げました。
「今すぐ海へ連れて行ってあげる!」
「やあ……エミリー」
ぐったりしながらも、ジャンが言いました。
「もしかして……前世の記憶を思い出したのかい?」
「喋らないで! 早く海に入って、活きたエビを食べないと……!」
「それはわたくしの夫よ!」
戸口に立ったマデリーヌさんが大声をあげました。
「この泥棒猫! わたくしの夫を横取りするつもり!?」
「エミリー……。言ってくれ。大事なことなんだ」
ジャンは構わずに私に聞きました。
「前世の俺のことを思い出してくれたのか?」
私はうなずきました。
「思い出したわ。忘れててごめんなさい。それより、早く海へ……」
「させないわ!」
マデリーヌさんが体を張って出口を塞ぎます。
「彼のお金はあたしのものよ!」
「あの時、君は、俺に『愛してる』と言ってくれた……」
ジャンの息が止まりそうに見えました。
「今でも……愛してる?」
私は涙声で答えました。
「愛してるわ」
マデリーヌさんが激怒しました。
「なんて恥知らずなことを! 正妻の目の前で!」
「あなたにジャンは渡さない!」
私は彼女を睨みつけました。
「私、彼のことを、愛してるんだから!」
「言ったわね?」
マデリーヌさんが歪んだ笑いを浮かべました。
「法律でどう裁かれるのかご存知なのかしら? 他人の夫を妻から掠め取ろうとする女が?」
するとジャンの体が眩しく光りました。
「わっ!?」
「きゃっ!?」
私とマデリーヌさんが揃って声をあげた目の前で、一糸纏わぬ美青年が、ゆっくりとテーブルの上で立ち上がりました。
「……ジャン?」
私が訊ねると、その美青年はタツノオトシゴの面影を残す顔で、麗しく微笑みました。
「そうだよ、エミリー。君の『愛してる』の言葉を食べて、こんな姿になれてしまった」
「キャーーー!」
マデリーヌさんが黄色い声をあげました。
「わたくしの夫が……こんなイケメンだったなんて……! キャー! 一生、一緒よ! 離さないからねっ!」
「マデリーヌ・ド・ドゥールーズ子爵令嬢」
ジャンは彼女に指を突きつけ、言いました。
「君との結婚を解消する」
◇ ♥ ♤ ♣
殺されかけたという事実があったので、ジャンの離婚の意志は簡単に通り、二人は結婚三日目にして離婚が成立しました。
「やっぱり海はいいな。生き返る気持ちがする」
海面から上半身を出して、美青年の姿のジャンが笑顔を見せました。
「よかった。元気になって」
私は岩の上から微笑みを返します。
「……でも、どうしたの? どうして異世界に転生したらお金持ちになっちゃったの?」
「当たり前のことだろ? 転生したからチート能力を得たんだよ」
「私はなんにも出来ないのに? ずるい」
「君のおかげだよ、エミリー」
彼の顔を眩しい陽光が染めました。
「君の愛を食べたから、僕はなんでも出来るようになってしまった」
「ふふ……。なるほどね」
私はなんとなく合点が行き、自分に誇りがもてました。
「あなたにチート能力を与えるのが私の能力だったみたいね」
「エミリー」
ジャンが海の中から私を熱烈に見つめました。
「君がいなければ僕はあの雨の中で死んで、消えてしまっていたかもしれない。あの日君が愛を食べさせてくれなかったら、転生してチート能力を得ることもなかった。君は僕の恩人なんだ」
「恩人だから求婚したの?」
「それだけじゃないよ。転生してからの君の人生を見守ってたけど、心優しくて心が綺麗な君が、散々な目に遭ってた。見ていられなかったんだよ、毎日もやしや雑草ばっかり食べている君のことが……」
ジャンは海の中から上がって来ると、手を差し出して来ました。
「ね、こうやってみて?」
人差し指と親指を龍の口みたいにして、ジャンがそう言いました。
「こう?」
私はその指の形を真似しました。
「これでいいの?」
なんか怖いような、口を開いた龍のような形でした。そこにジャンが彼の指をくっつけました。すると龍の口みたいだったそれは、二つ合わさってハートの形になりました。
ジャンが言いました。
「タツノオトシゴの愛の行為はね、オスとメスがこんなふうにくっつき合って、ハートみたいな形になるんだ」
「恋愛成就のシンボルマークよね」
私はそのハートマークを見つめました。
「もう一度言うぞ? よく聞けよ?」
そう前置きすると、ジャンがそれを口にしました。
「公爵令嬢エミリー・アヒリー・ド・ダックワース。俺と結婚してくれ。俺と結婚すればいいことしかないぞ」
「喜んで」
私は笑顔でうなずきました。
「あなたの気持ちに応えるわ」
「あっ……。ただし……」
ジャンが急いで言い加えました。
「タツノオトシゴの姿じゃなくなったら、お金を産む魔法は使えなくなっちゃうんだけど……それでも、いい?」
私はふふっと笑うと、即答しました。
「構わないわよ。だって、今の私には、あなたを愛して行ける自信があるもの」
こうして次の年、ジャンは千匹の可愛いタツノオトシゴの赤ちゃんを産みました。
タツノオトシゴはオスが出産し、オスが子育てをするのです。
でももちろん、私も育児を手伝いますとも。
千匹の育児は大変ですけど、私とジャンの可愛い子供たちですもの!