9.12月21日の日記
どうして友達が口をきいてくれないのか、ようやく分かった。
彼女は「私が人の不幸をあざ笑う子だ」って思っている。今日の帰り、信号を待っていたら、別の子たちにそう言いふらしているところを聞いちゃったんだ。
違う、って言いたかった。私はあのとき、悩みを聞きながら鼻で笑ってなんかいないのに。
どうしてそんな事を思われたんだろう、って考えて、やっと、気付いた。
あのとき、咳を我慢しようとして、でもしきれなくて、鼻から息が出てしまったのを「笑われた」と友達は解釈していたんだ、って。
だから、話に割り込んで訂正しようかと思った。
けれど、話を聞いていた別の子たちは、友達の話を信じちゃったみたいで。
――ああ。この子たちはきっと、本当のことなんて気にしていないんだ。
そう、思ったんだ。
そのとき、ふと、この間お父さんとお母さんが言っていたことを思い出して。
気付いちゃった。
誰も、本当の私なんて見ていないんだ、って。
親も友達も、きっと先生も、みんな、みーんな。
本当のことなんか、どうでもいいんだ。
勝手に自分の中に偽物の「私」を作って、それに向けて言いたい放題、やりたい放題やっているんだ、って。
気付いた瞬間、目の前がぐにゃり、って、歪みはじめた。
本当って、なんだろう。現実って、なんだろう。私の見ているこの世界は、どこまでが本物でどこまでが偽物なんだろう。分からなくなって、どんどん目の前に広がる景色はマーブル模様になっていって。
ああ、私は終わるんだな、って。
そう、思った。
でも。
ふと、思ったんだ。
偽物の自分に向けられた感情を私自身が受け止めて、それにいちいち反応しているのって、馬鹿らしいなあ、って。
心なんて、よくよく考えてみたらただの信号でしかないのに。
自分じゃないモノに投げつけられた言葉たちに対して、私の脳が信号を発して、勝手に喜んだり悲しんだりショックを受けたりしている、なんて。
本当に、馬鹿馬鹿しい。
ぜんぶ、どうでもいい。
そう思ったら、なんだか、無性に笑えてきちゃった。
もう、どう思われてもいい。
誰かが「本当」を摑むことなんてないんだから、どう思われてもいいや。なにが本当か本当じゃないのかも、よく分からないんだし。
そうやって笑っていたら、吹っ切れたのかな、世界が元通りになっていった。
駅の方に向かって駆け抜けた。信号が何色だったかなんて、覚えてない。
なにかのかせが外れたみたいだった。
もう、なにもかもがどうでもよくなった。
みんな、「本当」の形なんて、どうでもいいんでしょ?