4.母親と父親
――いまだに、信じられないんです。
あの子は本当に、自殺、だったんですか。
……そうですよね。遺書を用意して、死んだんですよね。胸ポケットに入れていたせいで血濡れになって判読不能になってしまったけれど、かろうじてそれが遺書であることだけは分かったんですよね。
ええ、分かっています。だけど、やっぱり、たったひとりの、唯一の子どもでしたから。
あまり、かわいげのない子ではありましたけれど……。
あの子は、我が子ながらよく分からない子でした。特に、ここ数か月はなにを考えているか全く読めませんでした。なにを話しかけても「うん」「そうだね」って、そればかりで。自分のことを、全く話さないんです。表情も、いつだって薄笑いのままでした。私はなんともないから気にしないで、とでも言いたげな……。
そんなわけがない、とは思っていました。
担任の先生から学校での様子は伺っていましたし、なにより本人の態度が変わってしまったのを感じていたので。
以前はもう少し、感情豊かな子でした。けれど、いつからか表情が固定されて、口数が減って、それで……一度だけ、怒ったんです。「言葉にしなきゃお母さんはなにもあなたのことが分からないんだよ」「なにか言いたいことがあるなら言って。困っていることや辛いことがあるなら相談して。そうしてくれないと力にはなれないんだから」って。
けれどあの子は、それでも笑うだけでした。
「ありがとう。でも、大丈夫だから」って。
そんなわけがないんです。なにかを隠して抱え込もうとしていることだけは、はっきりと分かったんです。心を読めずとも、私は母親ですから。我が子の異変を感じ取ることだけはできます。
「大丈夫なわけないでしょう。お母さん、心配なんだよ」
そう声をかけました。あの子に、少しでも近づきたかったんです。
でも、あの子は笑顔を崩さぬまま、こう言い放ったんです。
「お母さんは、私のなにを知っているの?」
……なにも、言えなくなりました。
目の前が真っ暗になって、足元からすべてがガラガラと崩れ落ちていくような、そんな気がしたんです。
それ以来、あの子に歩み寄ることが、怖くなってしまいました。自分の子どもが、得体のしれないなにかに変わってしまったような気がして。
だから、こんなことを言ったら、罰当たりだとは思うんですけれど。
あの子がいなくなって、ショックではあるんですけれど、どこか、ほっとしている自分がいるんです。
***
――あの子が自殺、ですか。
正直、信じたくはありませんよ。でも、包丁にはあの子の指紋しかなくて、拭き取ったような形跡もないんですよね。……自殺をする人ほど馬鹿な奴はいないって、あれほど言っていたのに。
本当に、本当に馬鹿な娘ですよ。
生前から、生意気で反抗的な子ではありましたけれど……。
例えば、あの子がなにか悪いことをしたとするじゃないですか。
もちろん親ですから、ちゃんと注意して叱ってやらなければなりませんよね。そしてあの子は悪いことをしたのですから、しっかり責任を取って謝罪をしなければなりませんよね。
けれど、あの子は「ごめんなさい」を言えないんです。下からこちらをにらみ上げるようにして、ぎゅっと唇をかみしめているんです。自分は悪くない、とでも言いたげに。
なにか文句があるなら言いなさい、と言っても、あの子は口をつぐんだまま。目でなにかを訴えて、それで終わりなんです。そして、自分が悪いのにどうして謝れないんだと、そう怒るとようやく「ごめんなさい」と言うんです。指摘しないと謝れないなんて、それどころか相手をにらみつけるなんて、人としてあり得ないことですよね。だからそのことにも怒って。
そんなことを、延々と繰り返してきたんですよ。だから正直、あの子には失望しはじめていて。
そんなときにあの子が自殺をしたものですから、私はあの子に怒鳴ってやりたい気持ちでいっぱいなんです。けれど……ショックと、失望と、怒りと、深い悲しみと……感情がないまぜになっていて、うまく言葉にならないので、なにも、なにも叫べないんです。