不況による苦行
「嘘でしょ? あなたがドラキュラだなんて信じられない。あなたの服装は、まるでリクルートファッションじゃない。就活でもしているの?」
「うむ、最近まで就活をしておった。なんせ、近頃、世間の目は厳しい。いい歳して、いつまで部屋でこもっているのだ、と言わんばかりだ。おまけに、ニートなどという便利であり我が輩にとって厄介な新たな用語まで作り出す始末。仕方なしに、就活しておったというわけだ。そして、ようやく我が輩もニート脱出に成功したのだ」
ハッハッハッハッ、とドラキュラが高笑いする。
その姿、ドラキュラの欠片もない。目鼻立ちがすっきりしており、目はブルーサファイア、黒髪はしっとりしていそうで、かなりの長身、すらりとしておりスタイルも抜群である。容姿端麗という言葉が、ぴったりそのまま当てはまるのだが、それを除いては彼をドラキュラたらしめているものは何一つない。この館にしても、外観こそドラキュラ城なのだが、内部が妙に近代的なのが引っかかる。
『係の者が到着しました』
アナウンスの続きが流れる。
「うむ、まあ疑うのも無理はなかろう。ところで御主、ここへ何をしに来た――と形式的に問うてみようかの」
おそらくそのような問いかけは、もう何度も繰り返してきたのだろう。
「じゃあ、形式的に答えてあげる。私に不老を授けてちょうだい」
「ふむ……」
ドラキュラは顎に手をやり、大山を中心にして、円を描くようにしてゆっくりと歩き始めた。値踏みするかのような目つきは大変に不愉快だが、事実この男は品定めしているのだから致し方ない。
「よし、合格だ。御主はドラキュラが備えていなくてはならぬ美を持ち合わせておる。ゆえに我が輩は、永遠の美を御主に授けよう。ただし、後悔するでないぞ? ドラキュラは子を産めぬ。己は若いままであり続けるが、周囲は老いさらばえてゆく。ついには友人、知人、恋人、家族、誰一人としていなくなる。その孤独に、御主はたえられるか?」
ドラキュラが、ふっふっふ、と嫌らしげに笑う。自分は乗り越えられたが、お前はどうだかな、と見下したような笑いである。
彼女はムッとしたが、その過酷な真実を受け入れることなくして、永遠の美を得ることができぬ、という彼の理論が正当性を帯びていることを認識していた。
永遠の美、それは徹底した孤独との抱き合わせ商品なのである。それに通常の抱き合わせ販売とは違い、独占禁止法にも抵触しない。や、そもそも、ここは日本か、と彼女は変に法学的思考を展開している自分を恥じた。
「で、でも、あなたがドラキュラだなんて……信じてないんだから!」
この男がドラキュラでないのならば、無用な悩みも問答も不要である。
不要物で苦労することほど、馬鹿らしいものはない。彼女は、鼻で笑ってみせた。
「やれやれ、我が輩は本当のドラキュラだというのに。よろしい。ならば、その証拠をお見せしよう。御主、携帯なるものを持っているか?」
「え? ええ」
「うむ、では、それをもってして我が輩を撮影してみよ」
ふふふふ、と大胆不敵な笑みを浮かべるドラキュラ。
最初、大山は彼の思惑をつかめなかったのだが、携帯電話を取り出し、構えたところで、理解した。
そして、撮影。おそるおそる携帯の画面を覗くと、そこにはその男の影も形も映っていないではないか。そう、もぬけの殻のリクルートファッションを除けば、そこには男が存在するという証拠が何一つないのである。
「これでも疑うかね?」
それはつまらぬ真似。
この超常現象を説明するには、彼がドラキュラである、ということでしか説明できない。
「よろしい。信じてもらえたようだ」
「え……ええ……じゃあ、私に永遠の美を?」
「うむ、御主は、ドラキュラに必須の洗練された美を持っておる。我が輩としても、御主には同族になってもらいたいところだが、先程の忠告は理解したのかな?」
大山は、彼の言葉を思い出した。
不老がもたらす不毛な苦労。
底深き苦悩。
愛する者だけが時によって風化していく不幸。
有象無象には、決して理解しえぬ苦業。
しかし、それでもいい。大山は下唇をきつく噛んだ。自身の身体が老いさらばえてゆけば、どうせ自然に身体が崩れていくにちがいないのだ。それならば、つかのまの幸福であっても、楽しまなくては損ではないか。
大山は厳かに頷いた。
目を細め、ドラキュラが満足げに頷いた。そして、近寄ってくる。
ついに、首筋に吸血痕のできる時が来た。それが時の風化を阻害するには不可欠な行為であると理解していながらも、ついつい大山は身構えてしまった。
「よし、では着いてきたまえ」
しかしドラキュラは、言葉を吐いただけだった。彼は踵を返し、エレベーターへと向かっている。
安堵と落胆が、彼女の中に降り立った。どうして今噛みついてこないのだろう。訝りながらも、彼女はドラキュラに続いて、エレベーターに乗り込んだ。
ドラキュラは『B1』のボタンを押した。
エレベーターはなんの音も立てずに降下し、開扉と同時に、ベルの音、次いでアナウンスが流れた。
「地下一階です。保存室、製造室、塗装室、加工室をご利用の方はここでお降りください。また、塗装室、加工室を使用する方は、一階の受付にてその旨を申請してからのご利用となりますのでお気をつけ下さい」
ドラキュラは聞き飽きているのか、半ばそれを無視しながら、ずんずんと奥へ進んでいく。
あたふたと大山も続いた。なにせ、彼女は走れないのだ。少しでも遅れをとってしまうと、見失ってしまうかもしれない。
ドラキュラに追いついてから、彼女は辺りを観察してみた。
どうやら、ここは何かの研究所のようである。葉緑素を連想させる色の液体で満ち満ちた巨大なビーカーが、両脇にずらりと並べられている。そして、その中には人間が封入されていた。彼らは皆一様にして、穏やかな顔つきであり、美男美女であった。
「あ、あの人達は?」
「うむ、永遠の美を授ける工程で、あそこに入らねばならんのだ。いやはや、実に嘆かわしいことだ」
ドラキュラは振り返りもせず、大きく溜息を吐いた。
彼が言うには、永遠の美を授与するにあたって、かつては首筋に二本の犬歯を突き立て少しばかり血をすすれば良かったのであるが、これが近年において問題視されつつあるらしいのだ。
というのも、ドラキュラは多くの人間の生き血を飲むことによって、その生命を繋ぐのだが、あろうことかエイズというものが流行りだしたのである。そう、エイズの人間に噛みつき、その牙で別の人間を噛めば、もう結果は言わずもがな。
「いやはや、最近のドラキュラへの風当たりは強いものでな、だからこうしてあらゆる検査をし、御主の健康状態が良好であることを、まずは確かめねばならんのだ」
なるほど。ドラキュラにとっても、今の世の中は大変住みにくいものとなりつつあるらしい。
「解るよ、その苦しみ。どうして、世の中はこうなってしまったんだろうね」
「うむ、本当にその一言に尽きる。その上、電気代、ガス代、水道代も、人間諸君は我が輩に請求してくるのだぞ?」
思わず、大山は「はあ?」と言ってしまった。日本語なのだが、ドラキュラにはそれでも十分に彼女の考えが伝わったようだ。
「御主ら人間はそれを至極当然のことと捉えておるようだが、ドラキュラにとっては死活問題なのだ。ドラキュラは働かぬ。そして、電気も水もガスも使わなかった。まあ、時たま水は使うのだが知れた程度よ。ゆえに、人間どもは水道代を請求してこなかった。無論、我が輩が怖くて請求できなかった、というのが主要因なのだろうが」
リクルートファッションのドラキュラのどこに畏怖を覚えるのだろう。大山はそれを否定したかったが、今、ドラキュラの機嫌を損ねるのは得策ではない。そうね、と彼女は棒読みで同意した。
「近年のエイズ問題、ニート、といった問題が我が輩達にも降り注いできた。実にけしからん。ドラキュラは貴族なのだぞ? 働かなくてもよいのだ! しかしながら、現実は厳しかった」
大山が彼の顔を見ると、目に涙が光っていた。よほど苦労してきたらしい。
「ゆえに、新卒を相手取っての大戦争をせざるをえなかった。既卒の我が輩は――しかも遙か昔だ――面接ではそのことをよく聞かれたものだ。今まで何をしていたのか、とな。
だが、どうにかこうにか就職でき、そして仕事の関係上このような大がかりな装置を自作したのだ!」
ドラキュラが、大仰に両手を上へ向けた。
「なんとか世間からの激しい批判から回避できた、と思ったのだが、いかんせん、我が輩の会社が経営不振らしくての、なかなか給料が振り込まれないのだ」
今度は、肩をがくりと下げ、うなだれてみせる。
「それがゆえ、電気代、ガス代、その他諸々の経費を支払うのが厳しいのだ」
それからも、ドラキュラの不平不満が続々と群れをなして溢れてきた。人間が引き起こしている環境問題は大変迷惑だとか、ドラキュラ城に抵当権を設定し借金しようとしても、この物件には価値がないと言われたりとか、愛妻のカーミラに離婚され現在財産分与請求権を行使されているとか、かなり中年臭い愚痴になりつつあった。
「よし、着いた」
ここがどうやら検査第一工程のところであるらしい。所狭しとカプセルが転がっている場所である。カプセルは下半分が青色、上半分が透明であり、中に人間が一体、そして説明書が封入されている。
「えーっと、待ちたまえ」
ドラキュラが山のように積まれたカプセルそっちのけで、傍らにぽつんと置かれている古めかしいパソコンを機動させ、何やら調べている。
「ではでは、むむむむっ! な、なんということか! なんたることか!」
ドラキュラが頭を抱え、悩ましげに低く唸る。
「何か問題でも?」
「うう、うむ、大ありだ、大ありだ!」
ドラキュラが、パソコンを拳で軽く叩き、そして大山をじっと見つめた。
「実はな、我が輩には、御主にまだ説明しておらぬことがあるのだ」
「え? な、なに?」
嫌な予感がする。大山は一歩後退したが、ドラキュラは一歩詰め寄ってきた。
「説明するのも面倒だ。仕方ない。許せ、とは言わぬ。せめて恨んでもらいたくないものだ」
ドラキュラはそう言ったかと思うと、大山に息を吹きかけ、卒倒させた。