ルーマニアでぐったりだ
ルーマニアのどこにドラキュラが潜んでいるのか。文献によってまちまちだったため、彼女は現地の人に聞くのが最も効率的に違いない、と考えていた。
飛行機の中で長時間揺らされ、ようやくルーマニアに到着。
降車すると、少し肌寒い。余念なき下調べによって、それくらい知っている彼女は、用意していた上着を羽織った。
しかし、予想外のこともあった。
空港及びその付近は、近代的過ぎて神秘さの欠片もなかったのだ。
彼女の読んだ資料によれば、ルーマニアの駅には中世の面影がまだ残っていた。なので、空港もてっきりそういうものだとばかり思っていた。だが、現実は思い描いていた想像を圧砕するものであった。
このような文明的な場所に、ドラキュラがいるとは到底考えられない。
ひとまず彼女は空港を出、タクシーに乗り込んだ。
「行き先はどこですか?」
ルーマニア語でそう聞かれた。この人は、ドイツ語も話せるのだろうか。
おそるおそる彼女がドイツ語で、それを聞いてみると、
「ええ、解りますよ、お嬢さん。それで、どこに行きます?」
非常に明瞭な発音で返された。
ほっと胸をなでおろし、彼女ははっきりとした発音で、しかし実に曖昧模糊な行き先を告げた。
一瞬運転手は聞き間違ったか、それとも大山がドイツ語に堪能ではないがために、言い間違えたと思ったらしい。すぐに聞き返してきた。
「すいません、もう一度言ってくれませんか?」
「田舎っぽいところへ連れてってください」
運転手は、頬を引っぱたかれたようにきょとんとしている。さすがにこれではまずいかもしれない。大山はそう考え、比較的明確な目的地を口にした。
「ドラキュラのいそうなところが解っているのでしたら、そこへ向かって欲しいんですが」
「ははあ、ドラキュラねえ……」
お客さんもですか、と運転手がヒュウ、とからかうように口笛を吹く。彼によると、この手の客が後を絶たないらしい。三日前にも、ドラキュラのいそうなところへ、という注文を受けたという。
「あなたでちょうど四人目ですよ。同業者も、なんだかんだ言って、あなたのような客を五回ほど乗せたことがあるらしいです。ま、長くなりそうですから、ひとまず出発しましょう」
運転手はエンジンを始動させ、ドラキュラのいそうなところへと車を向かわせた。
「あ、後、言い忘れましたけど、すごすごと帰りなさるお客さんも多い、らしいんですよ」
「え?」
思わず、大野は日本語で聞き返してしまったが、
「いえね、私は人づてで聞いただけなんですけど――」
と返された。
案外、表情や声色で、なんとなく解るらしい。
「なんでも、美男美女がいますぐ病院へ向かわせてくれ、と頼むらしいんですよ。なぜでしょうねえ。ドラキュラに本当に出会って、首筋にでもガブリと噛まれて、出血しているんなら解りますよ。でも、彼らは口を揃えてこう言うそうです」
会うなり、門前払いをくらった。
「いやはや、なんとも酷いドラキュラさんですな、はっはっはっは」
運転手が声を上げて笑うも、大山の顔はみるみる青くなった。
「おや、どうかしましたか?」
「い、いえなんでも……。ちょっと長旅で疲労がたまっているので」
返しながら、大山の頭では警報が鳴り響いていた。
彼女が得た知識によると、ドラキュラは美男美女の血しか求めないのだそうだ。無論、ドラキュラ全員がそうではないのだが、おそらくルーマニアにいるドラキュラはそうなのだろう。つまり、門前払いを受けた美男美女は、ドラキュラの審美眼による美醜検査で不合格の烙印を押されてしまったにちがいない。門前払いを受けた彼らには、ドラキュラと会う資格すら与えられなかったのだ。その美しさが、中途半端だったのだろう。
「しかし、どうして病院なんでしょうねえ」
運転手が左折する時、大山に再度聞いてくる。彼女は、答えを知っていた。その美を更なる高みへ持っていくために、整形手術を受けるためにちがいない、という模範解答を。
まさか。
心臓が大きく拍動し、胸を苦しめる。
磨き上げたこの賜物が、否定されたらどうしよう。
美への飽くなき探求、そして実行を重ねた結果、誕生したこの存在。
認定されないなど論外。
そのようなことが万一起こったとしたら大問題。
「そうそう、もう一つ疑問がありましてね」
運転手が、隣に座す大山に聞いてくる。
「皆さん、例外なく美男美女なんですよね、これが」
運転手が首を捻る。大山と同じ目的を抱いていた彼らは、誰一人としてドラキュラに会いに行く目的を告げなかったらしい。それもそうだろう。一体、誰が真実を口にしようか。
この美を永遠のものにするためです、と言っておきながら、門前払いをくらった暁には、犯罪者のごとく顔を隠して生きていかねばならないにちがいないのだから。
「よろしければ、教えてくれませんか? どうしてドラキュラに会いに?」
「ごめんなさい。そればっかりは教えることはできません」
「でしょうねえ」
運転手は驚きというより、やっぱりかあ、という色の方が大きかった。このような問答を何度も繰り返してきているからだろう。そしてこれからもずっとこの運転手は、その解答を手に入れることはないはずだ。
もう質問攻めにされるのはごめんだ。彼女は苛立ちを感じたので、運転手との会話を切断すべく「失礼ですが、私、とても眠いので、少し寝かせてもらえませんか?」と言おうとした。だが、運転手が清潔感漂う白手袋でそれを制する。
「ええ、ええ、解ってますよ。とても眠たいのでしょう? どうぞ、ごゆっくりお眠りになってください。着いたら起こしますから」