アレミラの街1
知れば知るほど、この世界はややこしい。
帝都へ向かう馬車の上で、私は考え込んだ。
隣国とはいえ他国の事なのだから詳しく知らなくてもいいような気もするが、ブローガレイン国の異変はこの世界の根本的なシステムに関わっているような気がする。
私は隣で馭者をしているガトーを見上げた。
「馬車の操縦って集中力いる? そうでもないなら質問したい事があるんだけど」
ガトーはちらりと私を見ただけで返事はくれなかったが、拒否はされなかった。
「ブローガレイン国を、その国家安全相互委員会とやらに訴えて助ける事はできないの?」
「助けたいのか?」
ガトーは意外そうな表情で私を見た。
「そりゃそうでしょ。今ブローガレイン国を助けないと、アリアシュア国に火の粉が飛んで来るのは明白じゃない。ブローガレイン国の為と言うより、アリアシュア国の為よ」
ガトーは頷いた。
「だが、その国家安全相互委員会が決めているんだ。他国への武力を以っての侵略は禁止だと」
「それはウィザードだけじゃなくて、軍部にも有効なの?」
ガトーは頷いた。
「周辺国家はほぼ武力が同等だ。なぜなら、ウィザードの数がほぼ同じだからだ」
「ウィザードの数で軍事力に差が出るの?」
またガトーは頷いた。
「お前は国家間の戦争はないのかと聞いたが、正確にはやろうと思ってもできないというのが正しい。なぜなら、侵略してくる軍にはまずウィザードが結界を張って自国を防御し、それを軍が突破できないからだ」
「ウィザード同士なら戦えるんじゃない? その結界とやらを突破して」
「ウィザード同士が戦えば周囲の国は滅ぶ。大陸は海に沈むだろう」
なるほど。ウィザートとやらはそれほど大きな力を持っているわけだ。
「ウィザードを増やせばいいんじゃないの?」
「それは難しい。なぜなら、ウィザードは突然変異で出現するからだ」
「突然変異?」
今気付いたけど、ガトーは「なぜなら」が口癖のようだ。
「そうだ。ウィザードに血統は関係ない。町民や貴族、誰でもウィザードになり得る」
確かマーロが、10歳くらいで精霊魔法に目覚めるとか言っていたけど、じゃあ両親がウィザードでもその子供がウィザードになる訳ではないのか。
「ウィザードがいつどの国で目覚めるかは、神にしかわからない」
平均的に分配されてウィザードが生まれるなんて、ずいぶんバランスを考慮された世界なんだな。
「他国のウィザードを買収して自国に引き入れるのは可能?」
「無理だ。なぜなら、国には楔がいるからだ」
楔。また新しい単語が出てきたぞ。
「楔って何?」
「楔は天女だ。ウィザードをこの世に繋ぎ止める存在」
話そのものは理解できるんだけど、徐々にファンタジー色が濃くなってきて気持ちがついていかない。
「楔ごと買収しちゃえば?」
「楔は買収されない。買収されないような人間が楔になるんだ」
よくわからないが、とりあえずウィザードの数を増やして国力をあげるというのが難しいという事はわかった。
しかし、このままではアリアシュア国もやがてブローガレイン国の異変に巻き込まれるだろう。
オーガのような化け物を更に上回る大勢の魔族がブローガレイン国を制圧してしまったら、次に餌を求めるのはおそらくアリアシュア国だ。
人間は通る事ができない『深淵の森』だって、魔族の巣なら連中はたやすく通過してくるだろう。
やはり国家安全相互委員会に泣きついて各国に協力を得るのが最善のような気がする。
待てよ。
ウィザードを増やせないなら、エトランゼやリターナーのような異邦人を他国より多く集めて、知識を総動員するという方法があるのではないだろうか。
「ところで、俺にも質問したい事がある」
思考を中断されて、私は慌てて隣のガトーを見上げた
「なぁに?」
「ラモラックで、どうしてお前はあの女将に売られた喧嘩を買った?」
「別に喧嘩を買ったつもりはないけど、どうしてあんなに怒られなきゃいけないのか、理由が知りたいと思ったの」
「調理の方法まで教えてか?」
「別に惜しいものじゃないもん。不愉快な思いをしながら泊まるのは嫌だったし、ちゃんと話し合わないと人間ってわかんないものでしょ?」
ガトーはじっと私を見ていたが、やがて「なるほど」と呟いて前方へ視線を向けた。
3つ目の町、アレミラに到着した。
帝都に近づくにつれ、町が活気を帯びてゆくような気がする。
町の規模も徐々に大きくなり、相変わらずの粗末な木造建築ではあったが、家のサイズそのものは大きくなってきている。
明後日には帝都にたどり着く。
元の世界へ帰る方法が見つかるかもしれないと思うと気が急いたが、エレック達を急かすのも悪い。
昨日と同じように酒場兼食堂兼宿屋のような場所に腰を落ち着けた。
どうやらこの世界はそれが一般的なようだ。酒場はそれ単独で存在する事もあるようだが、宿屋は高確率で酒場と食堂を兼ねている。1階が食事処で2階が客室なのだ。
夕食はうま煮のようなものをご飯にかけたものだった。この世界で初めてお米を食べた。やはり嬉しい。多少ボソボソしていようが固かろうが、さほど不満は感じなかった。
夕食でビールを飲んいたエレックとマーロは、この旅の疲れが出たのか早々に部屋に戻り、ガトーは町を見てくると出かけて行った。
部屋の小さな固いベッドに横たわり、私は天井を見上げて昼間の会話を思い出した。
ウィザードがダメなら異邦人を増やす方法は取れないのか、ガトーに聞いた。
しかし、それも無理だと即答された。
異邦人は未知の知識や技術を持っており、どの国も発見次第囲い込んで、決して国外へは出さないそうだ。
また、どこへ流れ着くかも予測不可能だそうで、先に発見して保護するというのも現実的ではないらしい。
ただ、流れつきやすい国というのはあるのだそうだ。
もっとも数が多いのが、隣国ブローガレイン国。
ブローガレイン国は、数百年前まではその地理の不便さからどの国とも国交らしき国交はなかったそうだ。
だがそこに異邦人がやってきて、造船の技術をもたらした。
そこから文化交流が可能になり、経済が発展し、300年ほど前に国家安全相互委員会に加盟するに至ったそうだ。
その話を聞いて、私は異邦人の確保を諦めた。手段もないのに魔物の巣窟と化している隣国へ行って異邦人達を連れてくるなんて、ちょっと現実的じゃない。
消極的対処法としては、逃げてきたブローガレイン国のウィザード達に、自国を結界で封鎖してもらうのが、今の所もっとも有効な時間稼ぎの方法だろう。
その結界というのも、どういうものだかわからないのだけど。
考え込んでいると、不意にノックが聞こえた。
「俺だ、ガトーだ。ちょっといいか?」
今更ガトーに警戒心はなく、私はドアを開けた。
「なぁに? ガトー」
「会わせたい人がいる」
知り合いでもいるのだろうか。私は部屋を出てガトーに続いた。
ガトーは宿屋を出てしばらく町を歩き、小さな酒場のようなところへ私を案内した。
促されるまま奥の少し仕切られたテーブルへ行くと、ガトーのような兵士の男が2人と、それより少し質のいい軍服を着た男が座っていた。
指揮官と兵士、という感じだ。
「よく来てくれた、ロッカ・ノナカ」
指揮官らしき男が私に座るように進め、私は奥の席に座り、その隣にガトーが腰掛けた。
「初めまして。どちら様?」
指揮官は鷹揚に頷いた。なんだかちょっと威張っているような雰囲気を持っている。
「私はこの辺一体を任されている、士官のブルーノ・ドラゴネット。彼らは私の部下だ」
士官。それはロベルタ隊長より地位が上なのか、よくわからない。
「ロッカ・ノナカです。私に何か?」
ドラゴネットは、傲慢そうな笑みを浮かべた。
「君には、これから私と共に帝都へ向かってもらう」
は? と声が漏れた。
そんな話は聞いていない。ロベルタ隊長は、エレック達3人が帝都まで送ってくれると言っていた。
私の考えなど忖度せず、ドラゴネットは続ける。
「本当ならもっと早くに君を迎えに来たかったのだがね、このガトーが道を違えたせいで遅くなってしまった」
あのY字の分岐点。左へ行くか右へ行くかで、言い争いになった。
私はゆっくりとガトーを見た。
「ガトー、これはどういう事?」
声が低くなるのを抑えられなかった。
ドラゴネット士官は、エレック達から私を引き離すつもりなのだ。
今までの会話から、何となく異邦人が国に有益な存在であるという事はわかった。おそらくだけど、異邦人を発見し帝都まで護送すれば、褒賞とまでは行かないまでも、何か出世の手がかりにはなるに違いない。
このドラゴネットという男は、ロベルタ隊長からその手柄を横取りしようとしているのだ。
そして、ガトーはその手伝いをしている。
「あなたはロベルタ隊長の部下なのではないの?」
「ロベルタの元へ遣わした私の部下なのだよ、ロッカ。軍を裏切る者が出ないよう、ガトーは各部隊に派遣された情報員の1人なのだ」
口を挟むドラゴネットを無視して、私はガトーを見つめた。
「手柄を横取りする事が、情報員の仕事なの?」
ガトーは私から目を逸らした。
「答えて、ガトー。短い期間だけど、私はあなたを仲間なのだと思っていた。信頼できる人なんだと思ってた。違ったの?」
ガトーは難しい表情を浮かべて私を見た。
「ロッカ、話せば長くなる。今はドラゴネット士官の言う事を聞いてくれ」
「理解させずに指示に従わせるのは、奴隷や家畜扱いと同じよ」
ドラゴネットのニヤニヤした顔が癇に触ったけど、全力で無視した。
「理由を教えて」
やがて、ガトーは大きなため息を吐いた。
「ロッカ、俺は現在のこの国を憂いている。今この国に必要なのは、隣国への援助ではなく、自国を守る事だ。ロベルタ隊長はそこを考えきれていない。自分に与えられた陣営のみを守る事しか考えられん。だがドラゴネット様は違う。有事の際には臨機応変に対応すべきだとお考えだ。俺はその意見に賛同し、こうしてお前をドラゴネット様に会わせた」
「国を憂いる事と、他者から手柄を横取りする事と、どういう関係があるの?」
「そんな小さな事にこだわっている場合ではない。今はドラゴネット様のようなお方こそが国の中枢にいるべきなのだ」
「全然小さな事じゃないでしょ。他人を出し抜く事しか考えていない人間が中枢にいるような国に、明るい未来なんかある訳ないじゃない」
ドラゴネットの表情がだんだん険しくなってきた。
「自分だけがいい思いをしたい、なんて、誰だって思う事よ。私だってアリアシュア国の為にブローガレイン国を救うべきだと思ってる。あなたはどうなの? プライドはないの?」
私はドラゴネットに向き直った。
「あなたはどうして私を自分の手で帝都に届けたいの? 出世したいから?」
「……いい加減にしろよ、小娘」
「あなたが出世したいと思う気持ちは否定しない。誰だってそうだから。問題はその先よ。あなたは出世して何をしたいの?」
隣に控えていた兵士が「貴様!」「無礼な口を!」と叫んでいたが、無視してドラゴネットに視線を合わせ続けた。
「国を憂う気持ちだって否定しない。大切な事だと思うから。あなたはこの先、ロベルタ隊長があの時手柄を横取りされた事など瑣末な事だと思えるほどの偉業を成し遂げられる自信があるの?」
「リターナーごときに何がわかる。今この国は緊急事態に陥っているのだ。ブローガレイン国のバカ共のせいで魔族は流れ込む、難民の食料に国庫が削られる、上のバカ共はキレイ事を並べて保身しか考えていない。誰かがこの危機を食い止めねばならん。その権力を得る地位に上り詰める為なら、多少の汚い事など瑣末な事だ」
「そうやって他人を蹴落として、最後は結局自分も地獄に落ちる人達の話を、私は向こうの世界で山ほど聞いたわ」
リターナーである私の知識をちらりと見せると、ドラゴネットは一瞬口をつぐんだ。
女子高生の超絶舌先八寸を見せる時が来た。
「出世したら手に入るものは多いわよね。誰でもそっちに目を向ける。でもそれは浅はかな人間の不見識な考えよ。本当に利口な人は、出世した時に失うものをちゃんと理解している。だから失うものを最小限に減らして上手に出世する。誰かを蹴落として出世するなんて愚の骨頂よ。だって、ずるい方法で成り上がればみんなに妬まれるもの。恨んだり妬んだりする人間の視線が気持ちいいなんて変態もいるけど、そんな人間は先が見えてる。あなたは誰かの上に立つにあたって絶対に失ってはいけないものが何だか知ってる?」
ドラゴネットは私の立て板に水の発言にやや気圧されるように、少し考え込んだ。
「……金、か」
「違うわ、信頼よ」
胸を張って私は言い放った。
「今この国は大変な事に巻き込まれようとしている。魔族がやってきて明日にでも死んじゃうかもしれないのよ。オーガに出会った時に、お金を出せば見逃してくれると思う? お財布を出そうとしている間に骨ごと食べられちゃうよ。いざって時に助けてくれるのは、自分を失うまいと思ってくれている人達よ。信頼され信頼できる人達なら、窮地には必ず助けてくれる。お金じゃ利害関係は買えても信頼は買えないの。今あなたのしようとしている事は、出世をするにあたって一番やってはいけない事よ」
「それはキレイ事だ。信頼だと? 子供の友達ごっこじゃないんだぞ!」
「私はオーガを退治するロベルタ隊長を見たわ。ロベルタ隊長がオーガに吹き飛ばされた時、自身の危険を顧みず、ロベルタ隊長とオーガの間に立ちはだかる兵士達を見た。それは友達ごっこなんかじゃなく、強い信頼関係があったからだと思う」
「あの男と私を比べるな!」
ドラゴネットは怒鳴ったが、私は少しも堪えなかった。
「別に比較している訳じゃないし、ロベルタ隊長に必要以上に恩を感じている訳でもないよ。ただ、あなたが私を強引にエレック達から引き離して帝都へ連れて行ったとしても、少なくとも私は2度とあなたやガトーの事を信用できない。誰かに聞かれたら、あなた達の事は他人の手柄を横取りするような人間だと言うでしょうね」
ドラゴネットの顔は引きつっていた。
異邦人の信頼を失う事が、この世界でどういう事なのかは具体的にはわからない。
だが、国をあげて囲い込むほどの存在であるなら、影響力は皆無ではないだろう。
「ロッカ、それ以上言うな。消されてもいいのか?」
「消すって、殺すって事? ガトー。本当にこの国を憂いているのなら、異邦人を殺すという事がどういう事かわかるでしょ? むざむざ知識を失う事になるのよ」
「見たところお前はまだ子供だ。それほど知識や技術を有しているとは思えん」
「私これでも議員を目指していたの。向こうの世界の成功例をたくさん学んだわ。それに自分で言うのもなんだけど、優等生だったの。成績だってトップクラスだったんだから」
そこで私は一つ思い至った。
ドラゴネットは出世したいだけじゃなく、多分ロベルタ隊長が気に入らないのだ。
ロベルタ隊長の名前を出した途端、比較するなど怒鳴りつけたのがいい証拠だ。
ロベルタ隊長を蹴落とし、自分はその手柄を横取りして出世するなんて、一石二鳥だと思ったのだろう。
「……なるほど。ラモラックで女将にデタラメな情報を与えたのはあなたね? そうやってロベルタ隊長の信用を落としたかったんでしょう」
ドラゴネットは何も言わず、血走った目で私を睨みつけていた。怒りで言葉が出ないという感じだ。
「卑怯な事を卑怯だと自覚できているうちに、そういう生き方は辞めた方がいいよ。そのうち卑怯な事が当たり前になって、周囲から卑怯のレッテルを貼られて、卑怯じゃない事をした時に信用してもらえなくなる。子供の友達ごっこってバカにするけど、大人だって同じでしょう? 信頼できない人に大事な仕事を任せられる? 大事な地位について欲しいと思う? ガトーにも言うけど、思想が同じだからといって強い絆ができるわけじゃないの。それはただの連帯感よ」
日本の学校に巣食うイジメの暗い闇を、この目で見て学び、躱しながら生きてきた。
生徒のみならず教師達の人間関係も把握し、成績をキープしながら親の期待に応える。
その経験を以って、子供だからとバカにされるような人生は送っていないという自負が、私にはある。
ガトーは視線を落とし、ドラゴネットは低い声を発した。
「ここで貴様を殺し、エレック達も殺して口封じをしてもいいんだぞ」
「私の存在はあの陣営にいるみんなが知ってる。ここへ来る途中の町にだって私達の痕跡はある。私の存在そのものをなくす事はできないよ。必ず追跡調査が始まる。1番に疑われるのはガトーでしょうね。それとも、ガトーごと殺すの?」
「なら貴様は私にどうしろと言うのだ! この国がこのままブローガレイン国に飲み込まれるのを、指をくわえて見ていろと言うのか!」
「そんな事言ってないでしょ。頭を使ってよ」
私は自分の頭を人差し指でとんとんとつついた。
「私はこれから帝都へ行く。異邦人なら一般市民より多少は偉い人に話を聞いてもらえるんじゃない? だったら、今ここで私に国を救う方法を話して納得させればいいじゃない。出世するまで待たなくなって、国の中央にあなたの言葉を届けられるかもしれないでしょ?」
「お前は私を信用していないんだろう。そんな人間の言葉を上に届ける保証がどこにある?」
「それは話を聞いてから決める。あなたが私を騙そうとするのではなく、本当に国を憂いて何か考えがあるのなら、それを理解できれば信頼関係は生まれるでしょ」
ドラゴネットはしばし黙り込んだ後、私を見た。
「私と、信頼関係を築けると?」
「人は話し合えば分かり合える事もあるんだよ」
さぁ言ってごらん、と私は無駄に胸を張った。