事故と化け物と火縄銃
私の人生は順調だった。
両親のお陰で顔もそこそこ、胸もそこそこ。
それに加えて学業に対する私の努力。
勉強だけは本当に頑張った。顔は高校生の身では素材で勝負するしかないが、勉強なら頑張れば頑張った分だけ報われるというもの。
クラスでもヒエラルキーの下にならないように、校則に抵触しない程度におしゃれも頑張って、勉強の合間に最近の話題もチェックして。
なのに、これはどういう事か。
私は、眼下に横たわる自分の遺体を見下ろした。
制服のブレザーのボタンは弾け、髪は血がべったりと付着してぐちゃぐちゃだ。今朝のセットも頑張ったのに。
何よりもその白眼。
閉じたい。ものすごく閉じたい。
自分の遺体の瞼を下ろそうとしてみたのだけど、通り抜けるだけで全く触れない。あ、アイプチがバレバレだ。これは恥ずかしい。
勘弁してよ。これじゃあ作り上げたおしゃれな優等生のイメージが台無しじゃん。
自分の遺体の隣にしゃがみ込んでため息を吐いた。
周囲は慌ただしい雰囲気と悲鳴、私を撥ねた軽自動車の後続は渋滞を起こしている。舐めた非常識な野郎はスマホで撮影していた。お前絶対に化けて出てやるからな。こっちは幽霊なんだからな。
あー幽霊かぁ、私、死んじゃったんだ。
お父さんとお母さん、悲しむだろうなぁ。生意気な弟は、鬱陶しい優等生の姉がいなくなって清々するかな。いや、あいつも泣く。ああ見えてあいつは私が好きだから。
死の自覚があるって事は、私は成仏できるのかな。
いやでも未練あるからなー。
いい大学入って、エリート議員になりたかったんだよなぁ。
バシッとスーツ着て、あわよくば国会中継なんかに映っちゃったりして、「美しすぎる議員」とか言われてみたかったんだよなぁ。
私の顔面偏差値的には芸能界では勝負が難しいから、その他でメディアに取り上げられる世界で「可愛い」とか「美人」とか言われてみたかったんだよなぁ。
まずは代議士になって偉い先生に師事しようと、親戚のおじさん達にそれとなくツテがないか聞いて回ってたのになぁ。
全部無駄になっちゃった。
まさかの信号無視車両で即死。
ちゃんと信号を守ったはずなのに、あの軽自動車が突然スピードを上げて突っ込んできた。
即死だったのが救いだ。多分、地面に落ちた拍子に頭部を強打して意識不明になって、そのまま心停止しちゃったんだろう。
自分の努力が無駄になった事も相当悔しいけど、やっぱり両親を泣かすのが辛いな。
ごめんね、お父さん、お母さん。せめて守護霊か背後霊になって、これからは家族を見守るからね。
そう思っていた時に、救急車がやってきた。
ごめんね、救急隊員さん。多分私、手遅れっぽい。
救急車は並みいる自動車の群れをモーゼのごとく割り、こちらへやってきた。心なしか後光が差しているようだ。
こうやって、救急隊員さん達は日々人命を救っているのだ。そりゃあ後光も見えるというもの。
……あれ。
なんだか、本当に光っているような。
光輝く救急車を見守っていると、それはどんどん近づいてきて、あっという間に私を飲み込んだ。
目を開ける。
周囲があまりにも騒々しくて目を覚ましたようだ。
意識が途切れる前の出来事を思い出そうと、もう1度目を瞑る。
その時、大きな揺れを感じた。
慌てて飛び起きると、周囲には瓦礫が積み上がっていた。
折れた板や割れた屋根瓦のようなものが無秩序に積み上げられ、その上で木製の大きな車輪らしきものが惰性で回転している。
ここは、いったい何が起きているのか。
視覚の次に聴覚が復活した。悲鳴が聞こえたのだ。
驚いた時や絶叫系アトラクションで聞くような悲鳴じゃない。断末魔のような絶叫だ。
首を巡らすと、人が食われていた。
あまりの光景に頭がそれを認識しない。
人が、食われている。
ソレは人の倍はある身長で、上半身は何も身に付けておらず、盛り上がった背中の筋肉は茶色っぽい緑の皮膚が覆っている。
血が滴るままくちゃくちゃと音を立てて喰い荒らし、食われている人はすでに血の気のないひどい形相だ。
ちぎった人間の手足を凄まじい顎の力でバリバリと噛みちぎっている。
あまりの光景に悲鳴も出ない。
血の匂いに吐き気が襲ってくる。
「突撃1班! 前へ!」
這い上がってくる恐怖と戦うより前に、突然聞こえた声に振り向くと、鎧を身に付けた大勢の人達が到着したところらしかった。
「前衛は一撃浴びせたら2班と交代! 波状攻撃のタイミングを守れ! 2班は銃身に弾込め用意!」
リーダーらしき男が叫ぶ。
鎧と言っても鉄の一枚板のような物を胸当てにしているだけだ。確かに鉄は硬いけど、人間の骨を噛みちぎるような化け物に通用するのか。
それに、彼らの武器らしきものは、私の知識に一番近いものでいうと火縄銃だ。しかもかなり初期の形の。
「攻撃を散らすな! 一点を狙え! 撃て!」
直後、まるで爆弾が爆発したかのような銃声が響き渡った。
刑事ドラマで見るような軽い音じゃない。思わず耳を塞いだ。
放たれた弾丸のうち数発は、あの化け物に当たったようだ。
当たったようだが、仕留める事は出来なかったらしい。
それまで背中を向けていた茶緑色の化け物は、身体のあちこちを欠損して、そこからどす黒い霧のようなものを上げながら振り向いた。
体つきは人間に酷似しているが、顔はまさに鬼だった。知性や理性のない怒りの表情をむき出しにしている。
ライオンのような、象のような咆哮を放ち、化け物が集団に襲いかかる。
「慌てるな! 2班! 撃て!」
また地響きを起こして火縄銃が発射された。
いったいどうなっているんだ。ここはどこだ。あの化け物はなんだ。
足がすくんで動けなかったが、ちょうど私の体は瓦礫の陰になっていたらしく、化け物にも集団にも気付かれていない。
化け物の大きな体が跳躍し、集団の真上にまで飛び上がった。
「3班! 撃て!」
3度目の爆音が響き、空中に浮かぶ化け物の身体に更に穴を開けた。一層どす黒い霧が化け物を覆う。
だが、化け物はまだ倒れなかった。身体中に霧を纏わせたまま集団の中央に地響きと共に着地し、その太い腕を振り回して数人を吹っ飛ばした。
化け物の咆哮と人々の絶叫が場に満ちる。
「陣形を立て直せ! 同士討ちに注意せよ!」
リーダーが叫ぶ。だが化け物は少なくない損傷を負いながらも勢いは止まらない。ほとんと黒い霧の塊となって体勢を低くすると、リーダーに目がけて体当たりをした。
リーダーが声もなく吹き飛ぶ。
目に見えて集団が浮き足立つのがわかった。
「隊長!」
誰かが叫び、化け物を中心に集団は輪を描くように後じさった。
すぐさま数人がリーダーに駆け寄り、リーダーを背にして化け物に向かって銃を構えた。
「足止めを!」
また誰かが叫び、その時に化け物を中心として足元に光る鎖のようなものが人の輪からいくつも出現し、交差した。
「止めたぞ! 全員弾込め用意!」
光る鎖に足を固定されたのか、化け物が動きを止め、唸り声を上げた。
「撃て!」
集中砲火を浴びた化け物は、その体を黒い霧に変え、唸り声を断末魔に変えて、姿を消した。