表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ザ若奥さまストーリー  作者: 天ぷら3号
7/12

ザ・代理妻

よろしくお願いします。

 木曜日、朝一で亜矢子と会社に行き、課長と副長に面談した。二人は俺が全く話せなくなっていたことにビックリして診断書を受け取っていた。一ヶ月の休職願いは正式に受理され、上司たちは本物の女優と直に話すことに緊張しているようだった。



 午前11時にお姫さまがマンションにやって来た。親に買ってもらったボロミニカに乗ってのご来訪だ。若奥さまが出迎えてリビングに招き入れ、キリマンを飲みながらの話し合いになった。と言っても、俺はノートでの参加になるけど。


「由香利ちゃん、私が居ない時の透の手助けをお願い出来るかしら?ある意味あなたほどの適任者はいないと思うから」


「まあ、私はプー太郎の身なのでバイトとしてならお引き受けしますけど。料理も腕が上がったことだし。あと、この前のお話は前向きに検討中です。お兄ちゃんの協力を得て親を説得しているところです。そしたら亜矢子さんを本当のお姉さんだと思って頑張るつもりですから、透さんとは何も起こらないって申し上げておきます。念のためですけどね」


 テヘッと笑うお姫さまの仕草がカワイイ。そして吸い込まれるような黒い瞳だ。これが智美社長の言っていた「見つけられない特別」なんだろうか?でも、こいつは話し出すとダメだぞ!あくまで静止の被写体に限り映えるのだから。


 俺は「よろしくおねがいします」とノートに書き込み二人に見せた。詳細として、勤務時間は9時から5時までとOLさんみたいで日当は一万二千円とのことだ。時給千五百円って高くない?まあ、こちとらお願いする身だしいいんだけどね。期間は取りあえず一ヶ月。若奥さまが居ない日に限ってだ。


 とにかく病気を治さなくちゃいけない。亜矢子がここまで気を遣ってくれてるんだから。正直、彼女の心中は複雑なんだと思う。俺としては、この一ヶ月でどこまで回復出来るかがカギだ。会社にも迷惑掛けてるわけだし。


 もう出世は望めないな。メンタルヘルスの烙印押されちゃうだろうから。そんなことはどうでもいい。もう一度若奥さまが心から笑ってくれるようになって欲しいだけだ。


 でも、由香利がやさしく接してくれるイメージが湧いて来ない。付き合ってる時は、いつも俺が虐げられていたから。まあ、時も経ってるんだし、お姫さまの変貌ぶりを堪能するとしよう。俺は追い込まれると楽観出来るステキな性格なのだ。あとでツケは払わされるけど。




 こうして金曜日から由香利とマンションで過ごすようになった。亜矢子はもちろん東京へ向かったが、週末はCMスポンサーのイベントが有るので、帰って来れるのは来週の土曜日とのことだ。朝早く玄関口で口づけしてから「じゃあね」と手を振って、タクシーを待たせてあるエントランスに降りて行った。



 二時間ほどして由香利がやって来た。インターホン越しのエントランス画像にブッ飛んだ。お姫さまはメイド服のゴスロリファッションで着飾ってらっしゃる。もちろん髪には赤いカチューシャ付きだ。


 リビングに通しソファに腰を降ろしてからノートに「すごくにあってる。カワイイよ」と書いて見せた。


「これ、透のお世話する時の制服にするからな。ご主人さま、よろしくお願いします」


 お前なあ、そんな恰好じゃ買い物にも出られないぞ!食料備蓄してないんだから頼むぜェ!まあ、お姫さまをパシリに使う勇気なんて無いけどさ。



 取りあえずコーヒーを入れてあげた。何やってんだ、俺?染み着いていた主従関係からは容易に抜け出せないものらしい。


 退屈なテレビを見ながら由香利に聞いた。いや、ノートでだけど。「おひるはなにをつくってくれるの?」即答された。


「イチゴのホールケーキ!透、好きでしょ?ここに来る時イチゴパックを買って来たからね。材料も家から持って来たんだよ」


 イチゴのケーキってさあ、好きなのはお前だろ?今後はデザートが主食ってか?あんましキッパリ言い切られるんで否定出来ないじゃん。


「私、せっかくの機会だからお料理の腕を上げようと思ってるの。透に手料理を食べてもらえるなんて嬉しいわ。一石二鳥ってやつね」


 ケーキって手料理に分類されるのか?知らなかったよ。だいたい、料理の腕上がったって言ってなかったか?


「このまえつくってくれたおべんとうみたいなのでいいよ」と書いた。俺って謙虚な奴である。


「ああ、あれはお母さんが作った物を詰めて来ただけなの。家事を手伝ってるのは本当よ。ちゃんと盛り付けと配膳を任されてるんだからね」


 やっぱり詐欺だったかァ!このクソ女めェ!全身の力が抜けた。これは厳しい一ヶ月になるぞォ!冷凍してあるご飯と亜矢子のお手製カレールーをチンしようとも思ったが、お姫さまを怒らせるんで止めておこう。



 結局俺はケーキ作りの助手を仰せつかった。まあいいや。二人でやるのは楽しいし。あと、現金を五万円渡しておいた。買い物などの諸費用である。


 由香利は身長が百五十センチと亜矢子より十センチ低いので、何かと手が届かないらしい。特にシステムキッチンの上部棚に入れてある物は、いちいち取ってやらねばならないのだ。


 キッチンの六人掛けテーブルに材料と道具を広げケーキを作り始めた。もちろん生地をこねたり卵白をかき混ぜる仕事は俺がやらされる。由香利はレシピ本と睨めっこしながら細かくミッションを発動して来る。テーブル上はシッチャカメッチャカだ。でも、久し振りに楽しい気分だ。



 俺が一生懸命こねた生地のとろみを確認してオーブンに入れ暫し待つことになった。コーヒーを飲みながらお姫さまはしきりに耐熱ガラスの窓越しに中を覗き込む。やがてふっくらとしたスポンジケーキが焼き上がって来る……はずだった。


 現実はいつだって非情だ。生地が膨らまないのに焦って由香利は更に過熱する。やがてオーブンから煙が漂い始めスイッチをオフにする。焼き上がったのはクッキー?いや、これは大きく奇怪なお煎餅だ。お姫さまは気高い性格なので、全く気落ちなど見せない。思いのままに俺をなじるだけである。


「透ってダメねェ!やっぱり私がやってあげなくっちゃァ!まあ、何も出来ないってのもカワイイけどね」


 あのなあ、俺はお前の指示に従っただけだぞォ!生地だってこれでOKって言ったじゃないかァ!


 生クリームは成功した。そりゃハンドミキサーでかき混ぜるだけだもの。5号サイズの甘いお煎餅に生クリームとイチゴをトッピングして包丁で四つに切り分けた。


 由香利は「さあ召し上がれ!」と言って取り皿に乗せた奇妙な食べ物を差し出して来る。良しッ!機械的に養分だけ補充しよう。フォークで切れないのでブッ刺してかぶりついた。


 すごくホロ苦い味がした。口直しにコーヒーをガブ飲みしながら胃袋に流し込む。残った二分の一は冷蔵庫に保存された。お姫さまが帰ったらイチゴだけ摘まんで捨ててやるゥ!お腹を壊さないように隠れて胃腸薬を飲んでおいた。



 食後はリビングへ移り二人でミルクティーを味わった。もちろん俺がティーバッグで入れたやつだ。若奥さまのように茶葉をブレンドしてからは入れない。ダージリンとアールグレイの絶妙なブレンドは、本当に亜矢子の成せる技だからだ。


「透、お買い物に出ていい?何が食べたいの?一週間分くらい買い貯めておくわ。さっき見たら冷蔵庫もスカスカだったしね」


「そのふくそうはまずいとおもうから、あすくるときにすませてきてよ」とノートに書いてお願いした。残念そうにチェッと舌打ちされたけど同意してくれた。



 その日の夜は冷凍してあった若奥さまお手製のカレーをチンして食べた。これなら以前と同じじゃん!いや、お姫さまが帰ってしまったあとなので、おいしいカレーがすごく味気なく感じられた……。




 翌日、由香利はスーパーで買い物を済ませてからやって来た。両手に大きなレジ袋をぶら下げ、リュックまで背負って来やがった。食料備蓄ってやつだ。お前なあ、一度に買い込んだってそんなに食えるかよ!と言ってやりたかったが、報復を恐れて飲み込んでおいた。


 昼少し前に勝利と絹ちゃんが顔を出した。今日は土曜日だから、夫婦揃っての休日である。休みが合うっていいなあと羨ましかった。


 勝利が「あれ?亜矢子さんは不在なの?」と言うとお姫さまが「週末はスポンサーイベントが有るので帰って来れないんだって。だから私が代理妻をしてあげてるの」と返しくっついて来た。デヘッと鼻の下が伸びてしまった。



 杉村夫妻の来訪は非常に助かるものだった。いや、勝は役立たずなので意味無いけど、絹ちゃんが昼食を作ってくれたからだ。もちろんバイトの代理妻は盛り付けと配膳しかやらなかった。由香利が「私がお買い物をして来てあげたお陰よ」とふんぞり返っていたのは言うまでもない。さすがイイ女だと感心させられた。やっぱりお姫さまは孤高の存在でなければいけない。



 若奥さまは毎晩メールして来るけど「由香利ちゃんは良くやってくれてるよ」と報告してある。嘘じゃない。実際俺は楽しく過ごせているからだ。




 日曜日はラッキーだった。上川夫妻がランチに招いてくれたからだ。もちろん由香利もお相伴に預かった。特上寿司はいつ食べてもおいしい物である。これもお姫さまの大好物だ。智美さんは由香利を観察するように見ていたが、特別なことは何も言わなかった。この天才セレブはいつも強引なことはしない。あくまで本人の意志を尊重する。一見受け身のようだが、俺は静なるポジティブだと思ってる。それを淡々と実行出来るのが器の大きさなのだ。



 しかし、マトモな食事はここまでだった。翌日からはレトルトか冷食のチンが主体だ。一度だけ外食に出た。俺は大衆食堂でカツ丼を食べ、不足していた栄養を補充した。




 金曜日、明日は久し振りに亜矢子の手料理が食べられるなあとボンヤリしていたら、「キャーッ!」という悲鳴とガッターンと家具が倒れたような音が聞こえて来た。俺はキッチンへすっ飛んで行った。お姫さまがフロアに転がって椅子が倒れていた。


「ういイ!おいいうッうーあァ!ああういう?」(由香利!大丈夫か!頭打ってないか?)


 システムキッチンの上部棚が開いたままだ。きっと何かを取りたかったのだろう。


 彼女を抱き起こしたらニコッと笑ったのでホッとした。


「あ痛てて……。大丈夫だよ。頭も打ってないし。ゴメンね。麻婆春雨を取りたかっただけだから。それより透、少しだけ話せたじゃん!ヤッタネ!私のお陰だよ」


「おああ。オウいいおいみっいい。えお、あいビイっあお」

(ホントだ。ショックがいい方向に転んだみたい。でも、マジビビったよ)


「待って!一気に無理しないで!よーしッ!お昼は特上寿司の出前で済ませて、午後から話す練習をしましょう。私がずっと相手をしてあげるからね。嬉しいでしょ?」


 俺はうなずいて笑顔になった。表情筋が思いっ切り突っ張って痛かった。



 お寿司を食べてからリビングに移りキリマンで一息ついた。お姫さまは俺の傍らにピッタリ寄り添いソファに座る。


「透、私の目を見て!今感じてることを話しなさい。ゆっくりでいいからね」


 本当に吸い込まれそうになった。由香利が大きく切れ長な瞳を見開くと、黒目の部分が多いのでとても魅力的なのだ。これが「特別」ってやつなんだ!至近距離で見つめられたら誰でも言葉を失うぞ!俺は思うがままに話した。


「う、うあいち、ホン…アイイ。あいいう」

(由香利ちゃん、ホントにカワイイ。ありがとう)


「何?愛してるって言いたいの?」


 お姫さまは昔のように気高い笑みを見せつけやがる。今にもオッホッホと聞こえて来そうだ。俺は大きくかぶりを振った。


「い…うよ。あい…おうえっえいあおうお」

(違うよ。ありがとうって言いたかったんだよ)


「うーん、わからないなあ。透、書斎って何処なの?」


 俺が隣の部屋を指すと由香利はバタバタと駆けて行き、直ぐに一冊の童話を手に戻って来た。若奥さまが朗読の練習用に揃えた物の一つだ。


「ハイ、最初からゆっくりと読んで行きましょう。小さい子に読み聞かせるような感じでね」


 俺は「王子さまとポプラのようせい」という話を少しずつ読んだ。お姫さまが寄り添っているのでドキドキしてしまう。でも、一生懸命頑張った。時々彼女は俺の頬を掴んでグイグイほぐしやがる。結構痛いんだけど、今まで固まっていた表情筋がほぐれて来るのがわかる。そんなことを幾度となく繰り返した。



 ティータイムを挟んで三時間以上続けた。お姫さまが相手じゃなかったら絶対放り出してたと思う。それほど単調なエクササイズだった。成果は絶大だった。彼女が帰る前には、スローならある程度は活舌出来るようになっていたから。


「透、良かったじゃん!これで明日から亜矢子さんと話せるじゃない!」


「うう。うかいい…おあえ」

(うん、由香利ちゃんのお陰)


 よしッ!ゆっくりなら何とか大丈夫みたいだ。意思疎通は計れる。お姫さまには大感謝である。若奥さまが喜ぶ顔が目に浮かんで涙が溢れて来た。こんなポジティブになれたのは久し振りだ。


 由香利は俺の肩を抱きしめ口づけして来た。少し寂しそうな目が意外だった。


「もう直ぐ透は亜矢子さんの下へ戻って行くんだね。喜ばなくちゃいけないんだけど、やっぱり少し寂しいな」


 お姫さまは潤んだ瞳のまま帰り支度を始め、俺は小さな肩に手を掛けそうになったけど我慢した。



 由香利が帰ってから暫くして、童話で練習し少しだけ話せるようになったことを若奥さまにメールしておいた……。


読んで下さりありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ